2022年4月4日 更新
武尊は新生K-1界のカリスマ!ハンパない強さとは?
武尊は新生K-1の若きスター!アグレッシブな超攻撃型スタイルでカリスマ的な人気に!
キックボクサーの武尊(たける)は、スーパーバンタム級初代王者としてカリスマ的な人気を誇る新生K-1の若きスターです。優しい笑顔に癒されると、女性や子供からも高い人気を得ています。ファンサービスの熱心さにも定評がある武尊は、どんなに疲れていてもサインや握手を断ることはまずありません。
しかし、いざリングに上がれば、アグレッシブな超攻撃型スタイルで「倒すか、倒されるか」というエキサイティングな試合を展開。「ナチュラル・ボーン・クラッシャー」(生まれついての破壊者)の異名が示すように、アグレッシブなファイトスタイルで、観客を興奮のるつぼに叩き込みます。
勝ってバク宙するパフォーマンスでも有名な武尊ですが、これは小さいころから自己顕示欲が旺盛だったため。ヘアースタイルをモヒカンカットにしたり、髪を赤く染めたりしたのも、少しでもファンの注目を集めることで、自分と新生K-1の認知度を高める目的があるようです。
K-1ファン以外には格闘技の認知度が至って低いという現実に、もっと格闘技のPRに本腰を入れなければならないと実感している武尊。目指すは、子供たちから憧れの目で見られるようなK-1ファイターになることです。そのためにも、もっとエキサイティングなパフォーマンスを見せたいと考えているそうです。
武尊の強さはハンパなかった!プロ初黒星によるモデルチェンジが強さの秘密か?
武尊の戦績を見ると、29試合で28勝(15KO)1敗とハンパない強さを見せています。まさに「ナチュラル・ボーン・クラッシャー」の名に恥じない圧倒的な内容。プロ入り後は、5戦して4KOと破竹の勝ちっぷりを見せた武尊でしたが、6戦目にして、そのファイトスタイルを見直すきっかけが訪れます。
試合中に鼻を骨折した武尊は、ドクターストップがかかり、TKOによる初黒星を喫しました。鬼気迫る表情で「まだできる」と食って掛かり、ストップをかけるリングドクターを手こずらせた武尊ですが、文字通り、鼻っ柱をへし折られた敗戦をきっかけに、自分の戦い方を徹底的に見直したといいます。
従来は、相手をノックアウトすることに重点を置いた攻め一方のスタイルでしたが、しっかりとガードしてカウンターを狙うディフェンス仕様に変更。このモデルチェンジが、現在のハンパない強さの秘密であることは言うまでもないでしょう。しかし、常に相手をノックアウトするという意識は変わらず、倒せると見れば、思う存分パンチを振り回して倒しにいくというスタイルは一貫しています。
自分のスタイルを失わずにモデルチェンジを果たしているのですから、ただ強いというだけではなく、クレバーさも持ち合わせているということでしょう。
武尊の身長体重、プロフィール!高校時代の苦労とは?
武尊のリングネームは本名だった!歴史好きの両親が日本武尊にあやかった!
武尊のプロフィールですが、1991年7月29日生まれの25歳。鳥取県米子市出身です。身長168cm、体重58kgで、本名は、世川武尊(せがわたける)と言います。本名は、歴史好きの両親が、古代の英雄・日本武尊(やまとたけるのみこと)にあやかってつけたそうです。
小学校の頃に、テレビでアンディ・フグを見て憧れた武尊は、小学校2年で空手道場に通い始めます。高校進学後にはキックボクシングに転向。3カ月で高校退学後、定時制高校に編入。この時期には、本場の技術を学ぶため、ムエタイで知られたタイで単身武者修行に励みました。
帰国後、念願の「K-1甲子園」に出場したものの、ルールの壁に阻まれて惨敗した武尊。しかし、その非凡な資質と大きな将来性を見込んだ前田憲作(現・K-1プロデューサー)から、「もっと強くなってみないか」と誘われ、高校卒業後に「チームドラゴン」に入団しました。
2011年のプロデビュー戦から5戦4KOと勝ちを重ねますが、6戦目でTKO負けを喫します。その後、ファイトのモデルチェンジに取り組んだ武尊は、再び快進撃を見せ始めました。2013年には、見事に、Krush(クラッシュ)の58㎏級王座を獲得。現在は、新生K-1のカリスマとして、ファンからの絶大な支持を得ています。
武尊の高校時代の苦労が並大抵ではなかった!タイでの武者修行での過酷な日々!
今でこそK-1のカリスマと呼ばれる武尊ですが、高校時代に味わった苦労は並大抵のものではありませんでした。定時制高校に編入し、タイへ武者修行に行くとは相当な覚悟があったと思われますが、タイへ渡るためには、当然ながらお金が必要です。渡航費用や滞在費用を稼ぎ出すため、アルバイトをしたり、バイクを売ったりした武尊は、何とか30万円を用意しました。
これは「やりたいことは自分の責任で」という両親の教育方針だったためです。何とかタイに渡航したものの、それからがまた苦労の連続でした。修業は1日8時間で、寝泊まりはタイ人と雑魚寝。お風呂などはありません。過酷な環境に何度か心が折れそうになった武尊でしたが、強くなるという目的を果たすため、自らを奮い立たせる毎日が続いたそうです。
帰国して高校卒業後にチームドラゴンに入門したころもまだ苦労は続いていました。お金がなく、特売のもやしと鶏ムネ肉しか食べられない日々を乗り越えたのは、「何としても格闘家で成功する」というモチベーションだけ。彼の強さは、このように苦労した経験に支えられていると言っても過言ではないでしょう。
武尊が5カ月ぶりに実戦復帰!「めちゃくちゃ強かったと言われる1年に」と意気込み十分!
2017年4月22日に開催された「K-1 WORLD GP 2017 JAPAN」で、約5カ月ぶりの復帰となった武尊。2016年11月のK-1 WORLD GP初代フェザー級王座決定トーナメントで、K-1史上初の2階級制覇を達成したものの、右拳骨折で全治2カ月と診断され、今回の試合が復帰戦となりました。
「試合ができないので、フラストレーションがかなり溜まった」と言う武尊。当初は2カ月くらいでパンチが打てるという見込みだったはずが、骨がついた後も痛みが残り、スパーリング復帰したのは3カ月経過してからだったそうです。予想以上にケガの回復が遅れましたが、「練習をずっと積んでいたので、ブランクとはそれほど感じていない」と焦る様子は見せていませんでした。
「右が打てないので、左のパンチを凄く練習した」「ディフェンス面や蹴りなど、他の部分も強化できた」と収穫も口にしたところを見ると、ケガの功名ともなった様子。今回の対戦相手は、IFSフェザー級・MTU同級・TBA同級王者のビクトー・サラビア。戦績は5勝(3KO)2敗と少ないものの、「アマチュアの時から注目され、数字では分からない強さがある。ストリートファイトの経験が豊富で、戦績以上に経験値がある選手だ」と決して油断できない相手。そして、「自分とファイトスタイルがよく似ている。火花バチバチな熱い戦いになりそうです」と、試合前に激しい一戦を予想していました。
結果は、3R 2分23秒でKO勝ちをおさめました。そしてすでに、2018年3月開催が決定したメインイベントを見据え、モチベーションも高めつつあります。新生K-1の象徴としてメディアへの露出も多くなってきている武尊。そのキャラもあって、今後より高い注目を集めることは確実でしょう。