2019年12月25日 更新
上條恒彦はヒット曲「だれかが風の中で」を下手に歌っていた?!
上條恒彦はヒット曲「だれかが風の中で」を下手に歌っていた?!今でも記憶に残るCMソングとは?
上條恒彦は、「だれかが風の中で」や「さよならの世界」といった大ヒット曲を持つベテラン歌手です。数々のNHK大河ドラマにも出演するなど俳優としても活躍しています。
上條恒彦は、歌手として芸能界デビューしました。代表作は、1971年に発表され、レコード売り上げ38万枚の大ヒットとなった「出発の歌(たびだちのうた)」です。上條恒彦がリードボーカル、六文銭がバックコーラスを務めた同曲は「ポピュラーソング・フェステバル71」でグランプリを獲得した後、「第2回世界歌謡祭」でグランプリ・歌唱賞を受賞しました。
翌1972年には「第23回NHK紅白歌合戦」にも出場。その後、時代劇「木枯し紋次郎」の主題歌「だれかが風の中で」を歌い、「出発の歌」に続く約23万枚というヒットを生み出しています。また、「さよならの世界」は「第4回世界歌謡祭」で歌唱グランプリ受賞と、力強くも優しい歌声が高く評価されています。
そんな上條恒彦は、1980年代に放映された丸大食品のCMソングも担当。このCM内で流れる歌に続く「大きくなれよ~」というフレーズは、ご記憶の方も多いのではないでしょうか。
上條恒彦はジブリの名脇役!今までに3作品に出演
上條恒彦は、ジブリアニメ声優としても活躍しています。これまでに演じたキャラを知れば、名前は知らなくとも、声は聞いたことがあるという方も多いでしょう。
上條恒彦が最初に出演したのは、1992年公開のジブリ映画「紅の豚」マンマユート・ボス役です。空中海賊マンマユート団の親分で、物語の冒頭で子供たちをさらいますが、主人公ポルコ・ロッソにあっけなくやられてしまいます。海賊でありながら人情の厚いキャラが、上條恒彦の太く落ち着いた声にぴったりでした。
次に演じたのは、1997年公開の「もののけ姫」ゴンザ役。タタラ集団を率いる女城主エボシ御前の側近で、少々短気で、生真面目というキャラでした。そして3作品目は、2001年公開の「千と千尋の神隠し」父役。とはいっても、主人公の千尋のお父さんではありません。油屋の従業員を管理する立場のキャラで、見た目は蛙のような姿です。
いずれの役も作品を盛り上がるためになくてはならない重要な役どころばかりで、味のある声を持つ上條恒彦は、まさにジブリ作品の名脇役と言えるでしょう。どの役もどこか上條恒彦を思わせるような風貌をしており、なんだか愛着を感じてしまいます。
上條恒彦には上條恒ほか6人の子どもが?!現在は長野県の八ヶ岳山麓で田舎暮らし!
上條恒彦には上條恒ほか6人の子どもが?!妻や息子の現在は?
上條恒彦には、前妻との間に子供が2人、現在の妻との間に子供が4人で、なんと計6人も子供がいます。
最初の結婚は1968年。この時に、長男の上條恒(かみじょうこう)と、次男の上條契が生まれました。1979年に離婚すると、2人の息子は、上條恒彦が引き取り育てることに。
そして1983年、元女優で上條恒彦の付き人であった悦子さんと再婚し、4人の子供が生まれました。ネットなどで子供は4人とされているのは、再婚後の子供の人数を指しているのかもしれません。現在は俳優や演出家として活躍している長男の上條恒は、「とても厳しく、怖い存在」だった父親と確執があったことを明かしています。
息子たちに何の説明もなく再婚し、「前妻との間にできた子供は失敗作」とまで言った父親……しかし、2014年に上條恒がプロデュースした舞台「しあわせのタネ」に上條恒彦が出演した時には、その存在感に圧倒されたそうです。同じ世界に生きる者として父親のすごみを改めて感じた上條恒にとって、真の親子関係はこの時に始まったのかもしれません。
また、末っ子の上條駿(かみじょうしゅん)も、父親と同じ芸能の道へ進み、現在は俳優として活躍しています。
上條恒彦のパワーの源は自ら作った野菜にあり?
上條恒彦は、1940年3月7日生まれで御年77歳。出身は長野県で、地元の高校を卒業した後、1958年に上京しました。新聞配達や、歌声喫茶の歌手など、さまざまな職業を経験した上条恒彦は、1964年に会勤労者音楽協議会で勤務し始めます。
そして1969年、NHKの音楽番組「ステージ101」のレギュラーに抜擢され、大ヒット曲となる「出発の歌」をリリース。歌手活動の傍ら、俳優としても活躍の場を広げ、TBSドラマ「3年B組金八先生」の社会教師・服部肇役で人気を博しました。
特撮ヒーローものの「宇宙刑事シャリバン」伊賀電一郎役をご記憶の方も多いかもしれません。最近では、2017年4月から放送され、大御所俳優が多く出演していることで話題のドラマ「やすらぎの郷」に出演中です。
テレビドラマの他に、舞台作品にも年に1、2本出演するなど、今なお精力的に活躍を続けている上条恒彦。パワーの源は、長野県の八ヶ岳山麓で、自ら野菜を作り食べるという田舎暮らしにあるのでしょう。
上條恒彦の八ヶ岳山麓田舎暮らしは30年!芸能界での先駆者だった
2017年8月7日放送の「徹子の部屋」に、上條恒彦夫婦が出演しました。妻・悦子さんによると、上條恒彦の第一印象は、「お酒の匂いがぷんぷんしていて、お酒の樽が歩いているかと思った」だったとか。2人の年の差は16歳。ひと回り以上年下の妻をもらうことに、かなり抵抗があった上条恒彦ですが、周りからの後押しや、悦子さんの妊娠が決定打となり、「授かり婚」という形で晴れて夫婦になりました。
結婚後は、長野の八ヶ岳山麓で、上條恒彦の連れ子2人と妻・悦子が生んだ4人の子供との田舎暮らしをスタート。上條恒彦が自分たちの食べる野菜を栽培し、収穫した野菜を悦子さんが美味しく料理する日々を送っています。
その充実した田舎暮らしの様子や、自然の恵みたっぷりな食卓の様子を紹介した本が「八ヶ岳山麓 上條さんちのこどもごはん」です。同書が宮﨑駿監督の目に留まり、ジブリ美術館のカフェメニューに取り入れられたというのですから、悦子さんの料理の腕前はかなりのレベルなのでしょう。
現在は、モデルでタレントの林マヤや、元米米CLUBのダンサー竹下宏太郎など、本格的に田舎暮らしをしている芸能人も多いですが、田舎暮らしを始めて30年の上条恒彦は、その先駆けと言っても過言ではありません。
公私ともに充実した日々を送る上条恒彦。これからも、声で、歌で、お芝居で、年齢を重ねるごとにさらに味わい深くなる世界を見せ続けてほしいものです。