井手口陽介は小学校や中学校、高校時代から飛び抜けていた!嫁や子どもと共に海外移籍先も視野に

2017年10月20日 更新

井手口陽介がプロサッカー選手になれたのは兄・正昭のお陰だった!小学校や中学校、高校時代から飛び抜けていた!

井手口陽介の成功は2人の兄のお陰だった!長兄・正昭もJリーグでプレー!

井手口陽介(いでぐちようすけ)は、Jリーグのガンバ大阪に所属し、サッカー日本代表としても活躍する、期待の若手ミッドフィールダーです。並居る海外組の選手たちを押さえ、日本代表の中盤のスタメンを勝ち取った井手口陽介。2017年8月末に行われた2018年ロシアW杯予選の天王山オーストラリア戦では、試合を決定づける豪快なミドルシュートを叩き込むなど大ブレイクしています。

井手口陽介は、8歳上と5歳上の兄の影響でサッカーを始めました。長兄は、横浜FCなどを経て、JFL(日本フットボールリーグ)のFC大阪に在籍する井手口正昭。次兄の稔は、アビスパ福岡の下部組織でプレーしました。あるとき次兄の出場した全国大会を見た母親は、井手口陽介に、レベルの高い地域でプレーすることを提案したと言います。

そこで、長兄が阪南大にいたこともあり、福岡で育った井手口陽介でしたが、ガンバ大阪のセレクションを受験することに。一発合格した井手口陽介は、母と共に中学から大阪に移住。その後、各年代別の日本代表に選出され、周囲から「怪物」と呼ばれるまでになります。

井手口陽介の小学校や中学校、高校時代から飛び抜けていた!

井手口陽介は、1996年8月23日、福岡県福岡市に生まれました。2人の兄の影響から幼少期からサッカーに触れ、小学1年生の時に開催された2002年日韓W杯では、ブラジルのロナウドに憧れて何度も繰り返しプレーを見るほど熱中したとか。アビスパ福岡のスクールに通いながら、中央FC、ストリートSC、油山カメリアFCで、フォワードとしてプレーしていました。ガンバ大阪のセレクションに一発合格を果たした中学校からは、ガンバ大阪一筋です。

母の進言で受験したガンバ大阪のジュニアユースセレクションでは、最終選考を待たずして満場一致で合格が決まったという井手口陽介。いかにずば抜けた実力を持っていたかがうかがわれます。ガンバ大阪では、各カテゴリーを飛び級でプレーしながら、大阪の追手門学院高等学校2年生時の2013年には、2種登録選手としてトップチームに登録されました。2014年4月16日のナビスコカップ鳥栖戦で、17歳7カ月で公式戦デビューした井手口陽介は、2016年後半からはレギュラーに定着しています。

井手口陽介が結婚した嫁や子供は?噂される海外移籍先はどこ!?

井手口陽介が19歳で結婚した嫁や子供について!授かり婚の事情とは!?

井手口陽介は、2016年6月19日に、中学の同級生だった一般女性と入籍したことと、入籍の2日前に長女が誕生したことを発表しました。嫁の名前は大野夏海さん。長女の名前は愛希(ひなの)ちゃんです。長女誕生の翌日に行われたアウェー鳥栖戦で、ガンバ大阪が先制した際には、チームメイトからゆりかごダンスで祝福されました。

19歳での授かり婚となった井手口陽介ですが、そこには、がんで余命半年だった夏海さんの母のために結婚を急いだという事情があったと言います。2015年、付き合い始めてすぐの頃に、夏海さんの母の膵臓がんが見つかりました。父もガンで失っていた夏海さんに、井手口陽介はすぐプロポーズ。病床の夏海さんの母に「娘さんをください」と断りを入れ、「頼むな」と託されたそうです。

その半年後の2016年3月に、夏海さんの母は帰らぬ人となりましたが、きっと安心して旅立ったことでしょう。見た目はやんちゃな井手口陽介ですが、男気のある優しい青年であることが分かります。

井手口陽介の気になる海外移籍先は!?イングランド移籍は実現するのか?

井手口陽介は海外志向が強く、早ければ2017年冬にも移籍するのではないかと囁かれています。2017年9月には、イングランド2部のリーズ・ユナイテッドAFCが正式オファーを出したとの報道が流れました。リーズ・ユナイテッドAFCは、イングランド1部リーグを3度も制した古豪で、熱狂的なサポーターがいることで有名なクラブです。また、元日本代表の藤田俊哉がアジア圏補強担当者として所属しているため、可能性は十分あります。

しかし、イングランドでプレーするには、厳しい条件をクリアした選手のみ発給されるワークパーミット(労働許可証)が必要です。FIFAランキングに伴う過去2年間の代表選出場率をクリアしなければ、なかなか発給されません。特例もありますが、FIFAランキング40位前後の日本人選手の場合、過去2年間の代表戦に75%以上出場している必要があります。そのため、現在20%台の井手口陽介は厳しいでしょう。しかしもちろん、イングランド以外への移籍も充分あり得ます。

井手口陽介が求めたのは遠藤保仁のパスと今野泰幸の動き!目標はライバルに!

井手口陽介は、自身の成長において、ガンバ大阪で共にプレーする元日本代表の遠藤保仁と今野泰幸の影響が大きいと語っています。豊富な運動量とテクニックを誇り「怪物」と呼ばれながらも、プレーに粗さのあった井手口陽介は、日本を代表するレベルの選手が多く在籍するガンバ大阪では、なかなか出番がありませんでした。

そこで、相手が受けやすいように考えて出す遠藤保仁の細かいパスや、味方が苦しい時こそ運動量を増やしてセカンドボールを物にする今野泰幸の動きを練習中に目で追い続け、取り入れていくことに。そうしていくうちに、いつしかその2人は、井手口陽介の「目標」から「ライバル」へと変わっていきました。

井手口陽介の努力が実ったのは、2016年元旦に行われた浦和レッズとの第95回天皇杯決勝戦です。サイドバックの米倉恒貴が負傷退場し、ボランチからサイドバックに下がった今野泰幸の代わりにボランチに入った井手口陽介は、今野泰幸以上の働きを見せ、ガンバ大阪を優勝に導いています。

気持ちと当たりの強さ、疲弊した時間帯で輝く井手口陽介に、「ケンカ番長」というアダ名を付けたのは、リオオリンピック日本代表監督の手倉森誠でした。彼は、世代最年少の19歳の井手口陽介をリオオリンピック日本代表に選出。結果はグループリーグ敗退となりましたが、井手口陽介が世界に向けてインパクトを残したことはたしかです。これから世界に羽ばたくであろう若き怪物、井手口陽介の活躍に注目しましょう!

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