タフィ・ローズの現役時代の成績、年俸は?富山で電撃復帰していた

タフィ・ローズの成績や年俸は?巨人時代の日本語対応で問題に?

タフィ・ローズは独特のフォームで豪打連発!成績や年棒は?

タフィ・ローズは、日本の野球界で13年間活躍した強打者です。近鉄バファローズを振り出しに、読売巨人軍、オリックス・バファローズと3球団を渡り歩き、中心打者として君臨しました。バットを小刻みにゆする独特のフォームから豪打を連発したタフィ・ローズは、近鉄時代の2001年には、王貞治のシーズン本塁打記録55本に並ぶという偉業を成し遂げています。

1990年代後半から2000年代にかけて、打棒で存在感を見せた外国人選手と言えばタフィ・ローズという野球ファンも多いことでしょう。前が見えるのか心配になるほど深いヘルメットのかぶり方も懐かしいものです。タフィ・ローズの日本での通算成績は、1670試合出場で6274打数1792安打464本塁打1269打点、打率2割8分6厘。主要タイトルは、本塁打王4回、打点王3回、最高出塁率1回です。

MVP受賞は1回で、ベストナインに選ばれること7回。外国人選手では唯一となる400本塁打の成績も記録しています。1986年のドラフト3巡目でヒューストン・アストロズに入団したタフィ・ローズは、俊足の外野手として期待されながら、メジャー定着を果たせずじまい。

その後は、シカゴ・カブス、ボストン・レッドソックスを経て1996年に近鉄入りします。タフィ・ローズは、「いてまえ打線」の中心打者として長打力を見せつけ、2001年にはリーグ優勝に貢献。しかし、毎年ホームランを量産するため、当初は7000万円だった年俸も毎年はね上がり続け、フロントと対立した末、2004年に5億5000万円の年俸で巨人入りしました。

その後も好調だったタフィ・ローズでしたが、チーム内での孤立と故障が響いて戦力外に。一時アメリカに帰国した後、2007年にオリックスに入団して健在ぶりを見せつけています。しかし、2009年シーズン終了後の契約交渉が難航し、打ち切りとなったことから退団。日本プロ野球において、外国人選手として最高のホームラン数を誇りながら、寂しい去り際となってしまいました。

タフィ・ローズは巨人時代に日本語対応でコーチとトラブルに!

普段は陽気な性格で、積極的にファンサービスに励んだタフィ・ローズでしたが、キレやすい性格が玉にキズ。プレー中に激高するトラブルメーカーとしての顔も持っていました。巨人時代にも、コーチとトラブルを起こしてブチ切れて問題になったことがあります。

2005年4月のヤクルト戦のことでした。外野手として打球を追わなかったため、コーチから「緩慢プレー」だと指摘されたタフィ・ローズは激高。コーチにつかみ掛かるなど不穏な空気に。あげくに報道陣へ「負けたのが俺のせいにされた。日本で10年間やってきたけど尊敬の念が感じられない」と日本語でまくしたて、「ジャイアンツ下手くそ!ジャイアンツなんか大嫌いだ。東京に帰る!」と大荒れ。

傍らでなんとか静めようとする通訳を押し切り、「どんどん紙面に書いて」と手が付けられない状態になりました。当然、高額な罰金を徴収されたタフィ・ローズ。それ以外にも、史上最多の14回退場処分という不名誉な記録も残しています。デッドボールや危険球での退場以外に、ストライク・ボール判定を巡っての暴言というケースもよく見られました。

タフィ・ローズは応援歌で強打連発!各球団の引退理由、富山で電撃復帰の理由は?

タフィ・ローズは応援歌で強打連発!

近鉄時代の応援歌では、「今進め 男タフィ」という出だしで歌われていたタフィ・ローズ。「豪快なアーチを 勝利を待つスタンドへ」という歌詞に違わず、豪快なホームランを連発しました。巨人へ移籍すると、応援歌は「大海原で暴れろ吠えろ キングタフィ・ローズ」にリニューアル。「キング」とは、本塁打王を獲ったことを指しているのでしょう。

オリックスでは「また進め男タフィ」と歌詞を変更していますが、基本的には近鉄時代の応援歌を受け継いでいます。歴代応援歌で歌われているのは、いずれも彼の持ち味である強打ですが、タフィ・ローズはもともと長距離打者タイプではありませんでした。

むしろ、メジャーで俊足の外野手として注目された経歴を持つように、来日してから3年連続2桁盗塁を記録していることはあまり知られていないかもしれません。そんなタフィ・ローズがパワーヒッターとして覚醒したのは、1998年オフのウエートトレーニングがきっかけでした。

打率2割5分7厘と低迷するなど来日以来最低の成績に終わたそのシーズン、奮起してウエートトレーニングに取り組んだタフィ・ローズは、翌シーズンに長打力が飛躍的にアップ!40本塁打101打点で初の打撃タイトル2冠を獲得し、ホームランバッターの仲間入りを果たしました。

タフィ・ローズは各球団でトラブルの末に引退!富山で電撃復帰していた

日本球界で抜群の実績を残したタフィ・ローズですが、プレーした球団全てをトラブルの末に去っています。近鉄時代の2003年オフに、複数年契約を希望したタフィ・ローズは、「外国人選手には複数年を認めない」としたフロントと対立。「どんなに頑張って実績を残しても『ガイジン』としか扱ってくれない」という発言が飛び出すなど事態は深刻化していき、結局は近鉄を去ることになりました。

そして、高額な年俸を出せる巨人に移籍。一時は野球人生を巨人で終える意向まで示していましたが、試合中の守備を巡ってコーチと口論になり大荒れし、チーム内で孤立する事態となりました。加えて、右肩の故障で成績を落としたタフィ・ローズは、巨人からあっさりと戦力外として見限られてしまいます。

巨人退団後にアメリカに帰国し、一時は現役引退を表明していましたが、2007年の春季キャンプからオリックスに入団。ブランクを全く感じさせない中軸打者にふさわしい大活躍を見せました。そのオリックスでも、2009年のオフの契約交渉が難航し、代理人から音沙汰がなかったことから交渉打ち切りとしてオリックスを退団することに。

その後は、どの球団に入団することもなく、2度目の現役引退となったタフィ・ローズ。しかし、2015年5月に、近鉄時代のチームメイトだった吉岡雄二が監督を務める日本の独立リーグ富山GRNサンダーバーズからのオファーで電撃的に現役復帰を果たしました。

野手コーチ兼任で入団したタフィ・ローズは、プレー面での活躍に加えて、その人気で営業面にも大きく貢献します。それが評価され、2016年もチーム残留予定だったものの、オフ中にふくらはぎを痛めたことで来日できずに終わりました。2017年も契約を結ぶことはなく、またしても残念な結末を迎えています。

タフィ・ローズの現役時代は「退場王」!審判に吐いた暴言は退場確実の捨てセリフ

タフィ・ローズは現役時代に、「退場王」という裏タイトルを持っていました。もちろん、本当にそんなタイトルがあるわけではありませんが、宣告された14回退場は史上最多記録です。普段は陽気でフレンドリーな性格だったものの、グラウンド内では一変して激情家の顔を見せたタフィ・ローズ。14回の退場宣告は、その激情が響いた結果だったことは言うまでもありません。

中には、デッドボールや危険投球への怒りも含まれていますが、ストライク・ボールの判定で審判に暴言を吐くケースも多く見られたことから自業自得と言えます。実は、退場を宣告する側の審判員にとって、選手への退場宣告は「一番勇気が要る」そうです。監督や選手が侮辱行為に及ぼうものなら毅然として対処しなければならないという覚悟をもって臨むことが求められます。

近鉄に在籍していた当時のタフィ・ローズがオープン戦で見逃し三振に倒れ、審判に暴言を吐いて退場処分になりましたが、こういった行為も審判にとっては絶対に看過できないものです。余談ですが、タフィ・ローズが吐いた暴言は、審判学校で、退場確実の典型的な捨てセリフとして指導されているとか。

審判はそこまで強い覚悟でジャッジに臨んでいるわけですから、うかつに暴言を吐くのは軽率な行為。そういったことを、タフィ・ローズにはもう少し学んで欲しかった気がします。ともあれ、彼が再び現役のユニフォームに袖を通すことはあるのでしょうか?これまで何度も再起を果たしてきただけに、もう一度日本でプレーする姿を楽しみに待ちたいものです。

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