明治の女流作家として名高い樋口一葉(ひぐちいちよう)は、5千円札の肖像画としてもその姿が知られています。日本の紙幣に女性の肖像が採用されるのは、樋口一葉が2人目でした。
正式な戸籍名は「奈津」といいますが、「夏子」と名乗ることが多かったという樋口一葉。歌人・中島歌子(なかじまうたこ)の下で歌と古典を学び、小説家・半井桃水(なからいとうすい)に小説を学んだ後、わずか14ヶ月の間に「たけくらべ」や「にごりえ」「十三夜」といった名作を次々と発表していきました。
樋口一葉が小説家を目指したきっかけは?
1872年、士族の家に生まれた樋口一葉は、幼い頃から物覚えがよく頭の良い子供だったそう。同じ年頃の女子が好む羽根つきや手毬には興味を示さず、大人が読むような娯楽本ばかり読んでいたといい、全98巻からなる長編小説「南総里見八犬伝」をわずか3日で読み終わってしまったという逸話もあります。
母・多喜が女性に学問は必要ないという考えだったため、上級の学校には進学できなかった 樋口一葉ですが、父・則義は彼女の文才と向学心を認め、14歳の時に中島歌子の「萩の舎」に入門させます。「萩の舎」で学んでいたのは上流・中流階級の令嬢が大半で、下級役人の娘である樋口一葉は身なりでは叶わないながら、歌会ではトップの得点を獲得するなど、成績は群を抜いていました。
樋口一葉が15歳の時に上の兄・泉太郎が肺結核で亡くなり、その2年後には事業に失敗した父が負債を残したままこの世を去ります。下の兄・虎之助は勘当されていたため、彼女は17歳にして一家を背負うことになりました。
母と妹の3人で針仕事のような内職をして生計を立てますが、それだけでは足りず、さらに借金を重ねる貧困生活が続いた樋口一葉は、「萩の舎」で一緒に学び、ライバルのような存在だった姉弟子が小説で多額の原稿料を得たことを知り、自分も小説を書こうと心に決めます。そして19歳の時、東京朝日新聞(現朝日新聞)の記者で専属の作家でもあった半井桃水に師事し、小説の指導を受けました。
20歳になった翌年、半井桃水が創刊した同人誌「武蔵野」に「闇桜」を発表。この頃から「樋口一葉」というペンネームを使い始め、作家活動を開始しました。しかし、半井桃水との仲を疑われたために門下を離れ、図書館で独学しながら執筆を続けます。そんな中、姉弟子に紹介された文芸雑誌「都之花」に発表した「うもれ木」で、樋口一葉は初めて原稿料を手にしました。
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樋口一葉の代表作「たけくらべ」とは
その後も姉弟子の紹介を受け、新たに創刊された文芸雑誌「文学界」に「雪の日」を発表した樋口一葉でしたが、作品の構想が思うように浮かばず、収入を得るため吉原の近くで雑貨店を始めます。この時の実体験からヒントを得て生まれたのが、樋口一葉の代表作「たけくらべ」だと言われています。
吉原に住む14歳の少女・美登利(みどり)と、僧侶の息子・信如(しんにょ)の淡い恋模様を描いた短編小説「たけくらべ」は、「文学界」の1895年1月号に掲載予定の原稿がなかなか集まらず、困った編集者から依頼されたものでした。同誌の創刊号に作品を発表していた樋口一葉は、以前から書き溜めていた小説「雛鶏」の題を「たけくらべ」とあらため、同誌で7回にわたる連載として発表しています。
翌年、一括で文芸雑誌「文芸倶楽部」に掲載された本作は、森鴎外(もりおうがい)、幸田露伴(こうだろはん)、斎藤緑雨(さいとうりょくう)といった文豪に高く評価されます。しかし、樋口一葉は本作の発表時すでに結核を患っており、病状が進行していました。彼女の才能を見込んだ森鴎外は、当時最高の腕を持つと言われた複数の名医に往診を依頼しますが、どの医師も快復の見込みはないとの診断を下し、樋口一葉は1896年11月23日、24歳6ヶ月の若さでその生涯に幕を下ろしました。
樋口一葉の肉筆原稿など文学的価値の高い資料は、彼女の妹・くにをはじめとする親族によって保存、整理され、都内目黒区の駒場公園内にある日本近代文学館や、山梨県甲府市の芸術の森公園内にある山梨県立文学館に所蔵されています。
また、都内台東区には女流作家の単独記念館としては国内初の「一葉記念館」があります。樋口一葉の旧居跡横に建てられた同記念館には、「たけくらべ」の下書き原稿や「萩の舎」の歌会で樋口一葉が詠んだ和歌の短冊など、貴重な収蔵品が展示されています。
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樋口一葉の作品・名言も恋愛にまつわるものが多い?
1892年3月に発表した処女作「闇桜」から1896年5月発表の「われから」まで、樋口一葉が残した22作には、恋愛を絡めたものが多くあります。女性ならではの繊細な感性は、樋口一葉が世を去る間際まで書いていた日記にも現れており、小説と同様に文学的価値が高いと言われています。
樋口一葉の名言としてよく紹介されるのは、「切なる恋の心は尊きこと神の如し」という言葉。切ないほど一心に人を恋い慕う気持ちは神のごとく尊いものだという、20代前半の女性らしい純真な思いが伝わる言葉ですね。
しかし、恋とはキラキラした心地よい思いばかりをするものではないということを、 樋口一葉は「恋とは尊くあさましく無残なもの也」という言葉で表しています。人を想う気持ちは尊いものである反面、あさましく奪い合ったり、無残に人を傷つけたりもするものだというこの言葉も、端的に恋愛の本質を鋭く抉った名言です。
当時、画期的な治療法がなかった肺結核により、24歳でこの世を去った樋口一葉。彼女の残した作品は少ないながらも、様々な社会背景の中で生きる女性の姿を描いた作品の数々は、今も名作として文学ファンに支持されています。お札の肖像をはじめ、「文スト」の略称で知られる人気のスマホゲーム「文豪ストレイドッグス」のキャラクターとして描かれている他、その生涯や作品は、何度も舞台化、映像化されています。現代に名を遺した樋口一葉の生涯は、短くとも輝かしいものだったといえるでしょう。
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