池田聡は「モノクローム・ヴィーナスで」デビューから人気歌手へ!デビューまでの秘話を公開
◆出身:栃木県
◆血液型:A型
◆所属事務所:Studio Soft Clip
池田聡(いけださとし)は、栃木県烏山町出身のシンガーソングライターです。伸びやかで透き通っている一方で、どこか哀愁を感じるような、それでいて親しみやすい歌、というのが池田聡の歌の特徴です。
そんな池田聡の歌が世に知れることとなったのは、1986年です。オリコンランキングでは常に上位を当時のアイドルグループ・おニャン子クラブが独占しており、一方で他のアイドルとは一線を画し、少しクールなアイドルだった中森明菜が「DISERE -情熱-」でレコード大賞を受賞。また一方では安全地帯やチェッカーズ、レベッカなどバンド勢も音楽シーンを盛り上げていました。そんなバラエティに富んだ音楽性の時代に、池田聡はデビューすることとなりました。
きっかけは、一本のデモテープです。デビューの前年、当時日本大学理工学部に在学していた池田聡は、大学の留年が決定。そして自身のバンドも解散と、絶望の淵に立たされた彼は当初、音楽を諦めて家業を継ごうと思っていたそうです。しかし、その運命を一本のデモテープが変えることとなるのです。
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池田聡が明かす「モノクローム・ヴィーナス」誕生秘話とは?
芸能事務所から「お前の歌、いいらしいな。CMソングを歌わせてやるから」と言われ、当時大学留年にバンド解散と、立て続けに災難が降りかかっていた池田聡は、当初“デビューさせてやる詐欺”だと思ってしまったと語っています。
デビュー曲を作成する過程では、作詞家より「君は恋愛が成就するような声をしていない。フラれる男の美学。そういう詞がいい」と言われ、出来上がった歌詞が、1986年8月5日にリリースされた「モノクローム・ヴィーナス」です。別れてもなお彼女を思う男性の心情があふれる歌詞と、池田聡の伸びやかで憂いを帯びた歌声がマッチし、デビュー1曲目から大ヒット曲となりました。
池田聡は当時の歌を今聴くと、とても下手だと語っています。しかし一方でレコーディングでは何度もダメ出しをされて100回近く歌うこととなり、与えられたハードルを越えたいという強い思いも、歌声に現れているそうです。本人はその必死さがヒットにつながったのではないかと語っていました。
そのようの過程を経て作成された池田聡のデビュー曲「モノクローム・ヴィーナス」はCMソングに起用されたこともあり、久米宏と黒柳徹子の司会で人気を博したランキング番組「ザ・ベストテン」に、6週連続でランクインするヒット。地元・栃木県烏山町では、朝にランクインを知らせる町内放送が流れるなど、街をあげた応援で大変な盛り上がりを見せたのだとか。
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池田聡がレコード大賞で金賞受賞!俳優デビューも
鮮烈なデビューを果たした池田聡の快進撃は、とどまることを知りません。デビューから1年後の1987年4月21日、3枚目のシングル「濡れた髪のlonely」でレコード大賞金賞を受賞しました。また、1986年11月5日リリースのファーストアルバム「missing」も優秀アルバム賞を受賞しています。
当時のレコード大賞受賞者を見ると、大賞は近藤真彦、ベストアーチスト賞に少年隊の他、長渕剛、五木ひろし、石川さゆりなど、現在でも人気を博している歌手たちが勢ぞろいしています。その中で、デビューからわずか1年の歌手がレコード大賞金賞を受賞するなんてすごいことですね。
そこから活動の幅を広げていった池田聡は順調にヒット曲を連発。1994年には同世代の中西圭三、伊秩弘将、吉岡忍とユニット「ICE BOX」を結成し、シングル「冷たいキス」をリリース。翌1995年も伊勢正三と「IS」というユニット組んだりと、多くの企画ユニットに参加します。
また、1993年7月から放送されたドラマ「ポケベルが鳴らなくて」に緒形拳演じる主人公の息子役で出演し、俳優デビューも果たしました。同作の企画は、音楽プロデューサーの秋元康、演出は数々の人気作品を手掛けている堤幸彦です。注目度の高いドラマに出演したということから、当時の人気ぶりがうかがえますね。
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池田聡はブラジリアン柔術でかなりの実力者?過去には怪我も?
歌手に俳優とアーティスティックな才能が光る池田聡ですが、実はフィジカル面も強いのです。趣味で始めたブラジリアン柔術では、紫帯とかなりの実力者。過去には総合格闘技のチャンピオンとのスパークリングで左腕に関節技をかけられ、力こぶがブラブラと垂れ下がることに。すぐに医者に診てもらい大事には至らなかったそうですが、それを話のネタにできるほど、ブラジリアン柔術に熱中していることがわかりますね。
2020年の誕生日には57歳になる池田聡ですが、普段から身体を動かしているからか、現在もタイトなスケジュールでツアーを行っています。「ぶらりツアー」と題して全国を回るライブツアーや、ファンからのリクエストでセットリストが構成されるリクエストライブが人気で、2020年1月19日に神奈川県の三浦海岸で開催する「オールリクエスト LIVE 三浦海岸」など、チケットがsold outになっている会場が見られるほどです。
公式サイト内のブログで「『always and forever ~いつも そして いつまでも~』僕の音楽はそうあって欲しい。いつも そして いつまでも、人の心に寄り添う音楽を作りたい」と、自身の曲作りについて綴っている池田聡。これからも多くの人の心に深く染み入るような曲を聴かせてくれることでしょう。
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