池永康晟の画集「君想ふ百夜の幸福」のモデルはこの人だった!

池永康晟の画集「君想ふ百夜の幸福」のモデルはこの人だった!

池永康晟の画集「君想ふ百夜の幸福」のモデル、あの美人はダレ?

池永康晟は、竹久夢二以来の天才美人画家と名高い日本画家。2014年1月に発売されて以来、異例のロングセラーとなった画集「君想ふ百夜の幸福」の美人画は、どれも実在する女性をモデルに描かれた作品です。その中でも「蝋燭/潮騒・真喜子」は、タレントの溝手真喜子をモデルに描いた作品であることが明らかになっています。

「目も耳も鼻も唇も、その人を自分の記憶に残すことに役立つけれど、目の前の愛する人を形として残せるのは私の指だけ。愛した人を描き残しておけば、来世でまた会うことができる」と語る池永康晟が描くのは、女性が池永康晟に気を許し、ふと気を抜いた瞬間。普段は元気いっぱいの溝手真喜子にアンニュイを見出すとは、さすが美人画の天才です。

池永康晟の他の作品については、タイトルをご覧になると分かるように「約束・志麻」「朝闇・ゆう」のように、末尾にモデルとなった女性の名前が必ず記されています。しかし、彼女たちが何者であるかは公表されていません。池永康晟によると、これまでに15人ほどを描いてきましたが、そのほとんどが街で偶然出会い、自らモデル依頼をした女性たちなんだそうです。

池永康晟の画集「君想ふ百夜の幸福」が売れている!その魅力とは?

池永康晟の画集「君想ふ百夜の幸福」は、表紙に一目ぼれして購入したという声も少なくありません。発売以来増版を重ね、Amazonでも在庫切れが続出するほどの大反響となりました。美人画といえば、江戸時代の浮世絵で発展した”歌川派”が最も有名ですが、竹久夢二や鏑木清方らが築き上げた明治時代の彩光の記憶を残して、戦後しばらくは廃れる一方でした。

そんな中、池永康晟という1人の天才画家の登場によって、斬新かつノスタルジックな独自の世界観をもつ「現代美人画」が注目を浴びるようになったのです。「君想ふ百夜の幸福」には、美人画の他にも、男性や猫を描いた優れた作品も収められています。

しかし、繊細でもの言いたげな女性の表情、それを溶かし込むような古色を帯びた衣服や背景の綿密さで紡がれる美人画の魅力は、それらの比ではありません。池永康晟の初期作から最新作までが詰め込まれた画集「君想ふ百夜の幸福」。その表紙に記された「これを描き終えたら私は君を失うのだ。」という池永康晟の言葉のように、絵という永続的な世界に閉じ込められた見事なまでの儚さに、人々の胸は締め付けられるのです。

池永康晟展の評判・評価は?10年ブランクの理由と復活まで

池永康晟展の評判・評価は?「ゆいはん」の原画に会えると人気!

「池永康晟展」は、今年10月22~31日、ギャラリーもりもとで開催された約1年半ぶりの個展となりました。「水蜜桃・穂波」「金枝・沙月」など新作9点の美人画が展示され、さらに「これほどまで現代的に美人を描けるのは池永康晟をおいて他にいない」と大評判!

それもそのはず、池永康晟の日本画技法は、長年試行錯誤を重ねて作り上げた、全くの独学よって築いてきたもので、その作風は正真正銘、唯一無二のものなのです。池永康晟の美人画は、こういった個展を通して世界の注目も集めるようになり、今や多くの海外本の装丁や、ステーショナリーに作品イメージが採用されているのです。

今回の個展では、池永康晟が、AKB48次期総監督・横山由依をモデルに描き下ろした4作品の美人画が収録されている横山由依ファースト写真集「ゆいはん」より、「宵支度・由依」の原画が初めて一般公開され、大いに話題を呼びました。早くも「宵支度・由依」再来待望の声がAKB48ファン以外からも挙がっているようです。

池永康晟、始まりも挫折も「天使」だった。10年ブランクの理由と復活まで

池永康晟は、幼い頃、女性の柔らかで光沢のある形状美を「天使が作ったに違いない」と考えていました。いわば、今の”女性を描く自分の指”は、あの時想像していた”女性を作る天使の指”なのです。とはいえ、池永康晟が人物を描く日本画家の集まり「指派」に活動の場を見出したきっかけは、美人画ではなく「天使の絵」。美術館で観たメロッツォ・フォルリ作「奏楽の天使」に強く心を打たれた池永康晟は、心の内では人間を描きたいと思いながらも、天使の絵を描き続けます。

しかし、「誰かみたいに描きたい」に導かれている自分に激しい葛藤を覚え、身に付けたものを全て捨てなければ望むものを描けないと考えた池永康晟は、一度、絵筆を置かざるをえなかったのです。絵を描かない間、たった1色、自分だけの肌色を見つけるために、基底材、下塗り、上塗り、養生の組み合わせと方法の試行錯誤を毎日繰り返した池永康晟。

やがて「自分だけの色見本」が完成した2005年、10年のブランクを経て復活した池永康晟は、すでに40歳。実は美人画を初めとする本格的に作品を発表し始めたのもこの頃からなのです。

池永康晟は独自の世界しか見つめていない、美人画のカレンダーが飛ぶように売れるワケ

池永康晟は、遅咲きのブレイクを果たしましたが、すでに3歳の時に「自分は絵を描く人に生まれた」と思ったそうです。しかも、お絵かきをしながらという凡庸な時空間ではなく、土遊びをしていて、見上げた空が暗い銀鉛色になって、みるみる黒くなっていくのを恐れながら得たインスピレーションだといいます。

やはり、池永康晟は、生来の鋭敏な感覚と、芸術に対する特殊レンズの持ち主だったということでしょう。やがて池永康晟は、地元大分県立芸術短期大学附属緑ヶ丘高校で専門指導を受けるようになりました。しかし池永康晟が、他の学生のように、著名な誰かの絵に夢中になったり、自分の興味の対象を確認するようなことはなかったそうです。

美大にも進まず、全く独学で日本画壇とは無縁の製作を行い、常に「私の居場所はどこか」と問答を繰り返してきた池永康晟。「1枚の絵には1つの事を描けばいい」と、つきものが落ちたように向かったのが「美人画」でした。つまり、1枚の絵に池永康晟が閉じ込めるのは「私に心を許してくれた女性が見せる瞬間の美しさ」。

たったこれだけのことなのに、私たちは誘惑され、届きそうで届かない郷愁に駆られ、つい「衝動買い」してしまうのです。画集「君想ふ百夜の幸福」に続いて、品薄となっている2016年カレンダー「星の消ゆるを待つ」の、人々が一目ぼれした絶妙なモダンを説明するならば、「グラビア」や「萌え」の視線から生まれたものだと言えるのではないでしょうか。まさに「現代+日本画」、そして、池永康晟が編み出した独自の技法で描かれた「現代美人画」は、完全にニュージャンルとして台頭したことは間違いないでしょう。

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