2022年7月6日 更新
竹原慎二・元世界ミドル級王者がガンで余命5年と宣告?
竹原慎二「広島の粗大ごみ」から世界ミドル級王者へ
竹原慎二は1972年1月生まれの43歳。若い時は、「広島の粗大ごみ」と言われるほど、相当なワルだったようです。1988年にプロボクサーとして上京、プロデビューを果たし、着々と王者にまでのぼりつめます。
24戦無敗のまま、日本人初の世界ミドル級王者となっています。竹原慎二の身長は186㎝ですから、減量や体重管理は大変だったと思われます。プロボクサー引退後は芸能界入りし、バラエティ番組「ガチンコ!」の企画「ファイトクラブ」でコーチとして参加したことで一躍に有名になりました。
竹原慎二のガン闘病を支える妻、子供は?
竹原慎二は2014年に膀胱ガンであることを発表しました。40代の竹原慎二は、ガンの進行が速く、余命5年と宣告されたそうです。「もう死ぬんだ。無理だ。病気には勝てないや」といつもは強気な竹原慎二が、毎晩泣いていたそうです。半分諦めかけていたところ、同じ元プロボクサーの畑山隆則から、信用おける医者を紹介されます。それから手術に向け、苦しい闘病生活が始まりました。
「パパを私が絶対死なせない」と懸命に闘病を支えてくれた妻に、「いつも喧嘩ばかりで、良い旦那じゃなかったのに、これほど愛されていたとは」と妻に感謝の言葉をたくさん伝えるようになったそうです。ガン闘病に効くと聞けば、何でも実践している妻。その姿を見ている中学生と高校生の子供2人も、家族総出で闘病しているに違いありません。
竹原慎二ボコボコ相談室の真っ当すぎ名言集!
竹原慎二に関する逸話
ボクシングをやろうと思っていたわけではなく札付きのワルだった竹原慎二をボクシングジムを経営していた父親が無理やり始めさせたことがキッカケで世界王者までなってしまいました。通っていた学校は吉川晃司の出身校でもあり、今でも吉川晃司のことを「アニキ」と呼んでいます。大の犬好きで、現役時代はペットショップで犬を見てから試合会場に向かっていたという優しい一面もあるようです。
ボクシング時代の身体を見て貰えばわかりますが、身長186㎝の竹原慎二にとってミドル級というのは大変厳しい階級だったと思います。減量してしまえば力も奪われるボクシングの世界で無敗のまま王者になった竹原慎二の努力と精神力は並大抵のものではないでしょう。そして喧嘩ばかりしていたという妻とは、自分が病気になったことで仲直りができ、愛情を再確認したそうです。竹原慎二は情に深い男のようですね。
竹原慎二の名言集!
竹原慎二の「ボコボコ相談室」での回答が気持ち良いくらいのストレートで面白いと評判になりました。名言もたくさん飛び出しているので、少しですがまとめてみました。Qやめたいと思っているのですが仕事中のパチンコがやめられませんAお前が賭けとるのは、自分の首じゃ!Q何の保証もないベンチャー企業で休みも無く働く夫。普通の仕事についてほしいA旦那が疲れとるのは仕事じゃなくお前にじゃ。大企業に勤めていたとしても明日はどうなるかわからん時代じゃ。夢は男のエネルギーなんじゃ、必死に夢を追っかけている旦那を妻として支えることができんということか?Q友達無し、彼女無し、孤独が辛いAお前に魅力がないからじゃ。自分の欠点に気づかんアホに女が惚れる訳がない。
Q営業として業務に励みいよいよ管理職のポストを与えられ不安とプレッシャーで潰れそうです。克服方法を教えてくださいA俺だって、明日が不安じゃ。プレッシャーを悪いものだと思い込むからあかんのじゃ。「責任感」とか「危機感」って呼べや。プレッシャーを感じない奴のほうがおかしい。「絶対やらなあかん」っちゅー責任感はそりゃストレスだろう。そのストレスを解消する方法は1つしかない。成し遂げること。前に進めや。
竹原慎二の精神的な強さ
43歳という若さでのガン。頭の中が真っ白になり「おれ死ぬんだ」と考えてしまったそうです。「膀胱全摘しか考えられない。」「膀胱を残したいなんて悠長なことを言ってる場合ではないですよ?」ガンを取るには膀胱を全摘し、ストーマという糞尿をためる袋を装着しなければなりません。これから先ずっとストーマを付けていくなんて考えられない「最後は自宅で過ごしたい」などど死を覚悟したこともあったそうです。
「パパを死なせない!」妻がどうにかして竹原慎二を救う方法はないのか?と猛勉強をし、命よりも大事なんてものはないと貯金をはたき、車を売ってお金を作り、竹原慎二の為にお金を湯水のごとく使いました。この妻の献身な姿に竹原慎二も生きる選択をし始めました。「家族みんなたくさんの人が待ってるよ 負けてたまるか絶対に勝つ勝つ勝つ」「俺は世界チャンピオンになった男だ ガンなんて大したことない、勝つ、絶対に勝つ」と夫婦で、妻の作った「がんノート」に書き込んだそうです。
竹原慎二自身の精神力も強いのでしょうが、竹原慎二を支えた妻がいるからこそ竹原慎二は「死」という恐怖から這い上がってこられたのだと思います。散々妻とは喧嘩していたと話す竹原慎二でしたが、いざという時に頼りになる女性を選んだ竹原慎二の眼は間違っていなかったのだと感じました。竹原慎二夫婦を見ていると、竹原慎二の言葉に重みが増すようです。完治と言われるまであと5年。もう前に進むだけです。これからも竹原慎二の姿は人々に力を与えてくれるでしょう。