大橋秀行の現役時代戦績、タイトルは?名言集!
大橋秀行の資質は、具志堅用高を超えた「150年に1人の天才」
大橋秀行は、1965年生まれの50歳。1985年プロデビュー後、第12代日本ライトフライ級王座、第14代日本ライトフライ級王座、第4代WBA世界ミニマム級王座、第4代WBC世界ミニマム級王座という、輝かしい戦績を誇ります。そのため、現役時代の大橋秀行についたキャッチフレーズは、「150年に1人の天才、フェニックス」。具志堅用高を超える天才ボクサーして活躍しました。
そして初の世界王座獲得から4年後の1994年、引退表明と同時に、大橋秀行は、自身でボクシングジムを開設しました。ボクサーという職業は、その輝かしい現役時代よりも、リングを降りてからの生き方が難しいようで、愚直にボクシングに生きた選手ほど、世渡りが下手な人が多いようです。しかし、大橋秀行は、ボクシング引退後も確実に歩み続けています。
大橋秀行のほんとうの凄さは、リングを降りてから
大橋秀行が引退した後は、現役復帰への思いを断ち切るため、わざと体重を増やしたそうですが、太りすぎてしまったというエピソードがあります。大橋秀行は、このエピソードでも分かる通り、現役時代と引退後の暮らしについて、明確なビジョンを持った数少ないボクサーといえます。
大橋秀行は後輩の育成に力を注ぐとともに、総合格闘技に対する造詣も深く、格闘家山本”KID”徳郁に、ボクシング指導を行ってもいます。「誇れるのは世界チャンピオンになったことじゃなく、何度負けても立ち上がってきたこと」と語っている大橋秀行。リングを降りてからも大橋秀行が活躍できているのは、このチャレンジ精神なのでしょう。
大橋秀行が世界王者3名「井上尚弥・八重樫東・川嶋勝重」を育て上げた!大橋ボクシングジムの実績は?
大橋秀行会長が育てた、大橋ジム出身のチャンピオンたち
大橋ボクシングジムは、ジムを開いて以来、WBCスーパーフライ級チャンピオン川嶋勝重、WBAミニマム級・WBCフライ級・IBFライトフライ級チャンピオン八重樫東、WBCライトフライ級・WBOスーパーフライ級チャンピオン井上尚弥を輩出し、中でも八重樫東は、昨年末IBF世界ライトフライ級タイトルマッチを制した、日本人で3人目の、3階級を制覇した現役チャンピオンです。世界王者を3名も育て上げている大橋ボクシングジムは、今や日本ボクシング界の名門ジムと言えるでしょう。
大橋秀行は女性ボクサーの育成にも努め、世界チャンピオンを輩出
大橋秀行は、東日本ボクシング協会会長就任後、女性にジムを解禁し、女性ボクサーの育成も始めました。そして2012年9月、大橋ボクシングジム所属の宮尾綾香が、WBA女子世界ライトミニマム級王座を獲得します。この結果、大橋ボクシングジムは、ワタナベジムに次いで男女世界王者を輩出したジムとなりました。ジムのマネジメントだけでなく、プロモーターとしても優秀で、テレビ東京・帝拳プロモーションとのタイアップにより、世界戦を定期的に開催している大橋秀行。
また、テレビ各局で、ボクシング番組を積極的にオンエア。現在、大橋ボクシングジムの会長として、新人ボクサーの育成に努めている大橋秀行ですが、ボクシングというスポーツビジネスを経営する手腕にも、非凡な才能を示しています。
大橋秀行が応援する、セカンドキャリアの「明日は、どっちだ?」
大橋秀行の新たな取組みが、注目を集めています。大橋ボクシングジムは、2016年2月に、焼き肉店「ぶち関内店」を横浜市内にオープンさせました。この店は、かねてからボクサーのセカンドキャリア支援を考えていた大橋秀行と、元日本ウエルター級王者で、全国に焼肉店チェーンを展開する坂本孝雄氏との共同事業による1号店で。現役ボクサーやOBを、積極的に雇用していく構想だそうです。
大橋秀行は、「引退後、すぐに気持ちを切り替えるのは難しい。働きながら人間関係を築いていく場になれば」と、選手のうちからの、セカンドキャリア育成を力説しています。現IBF世界ライトフライ級チャンピオン八重樫東も、試合がない時期には「ぶち関内店」で働く予定といい、引退後には独立するプランも考えているとか。
「ボクサーは不安定な職業だし、こういう取り組みは底辺の拡大にもつながる。人と接するのは自分にとっても良い人生経験になる」と、さっそく店員のユニフォームを着て、笑顔で答えていました。かつてボクサーは、ハングリーでないと戦えないとされてきました。
また、それにこそ、一瞬に賭ける男たちのロマンがあるとも言われてきました。しかし、現代。たとえボクサーであったとしても、終わりなき日常を生きていかねばならないわけで……。これからも大橋秀行には、ボクサーの社会的地位の向上に励んでもらいたいものです。