2022年10月11日 更新
未唯はピンク・レディーとして活動していた!受賞経歴を紹介!
◆出身:静岡県
◆身長:166cm
◆血液型:A型
◆所属事務所:モーアーティスト
未唯、ピンク・レディーとして国民的人気アイドルに!
未唯(mie)は1970年代にピンク・レディーのミーとして国民的人気を誇るアイドルとなりました。
未唯と中学、高校の同級生だったケーこと増田恵子がデュオを結成してオーディション番組「スター誕生!」に出演。ビクター音楽産業の飯田久彦に見出されて露出度の高いキラキラの衣装を着たユニークなファッションで1976年にメジャーデビューすると、すぐに大ヒット曲を連発するようになりました。
未唯は日本レコード大賞を受賞していた!?
未唯のピンク・レディーは1977年の「ウォンテッド」で「第19回日本レコード大賞」大衆賞を受賞。大賞は惜しくも逃しましたが、翌1978年の「UFO」で念願の大賞を受賞。「サウスポー」で同年の「第9回日本歌謡大賞」大賞を受賞しまし、紅白歌合戦にも計4回出場しています。
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未唯はピンク・レディーでミリオンセラーを連発!
未唯にとって最初のヒット・シングルとなったのは、1976年8月にリリースしたデビューシングル「ペッパー警部」でした。デビューしてたちまち人気者となったピンク・レディーは、セカンドシングル「S・O・S」でオリコンチャート1位を獲得。今でもカラオケで親しまれる代表曲となっています。
さらに、4枚目のシングル「渚のシンドバッド」で初のミリオンセラーを達成。「UFO」は出荷枚数195万枚という記録的な大ヒットシングルになるなど、社会現象といえるほど空前のピンク・レディーブームを巻き起こしました。
未唯のピンク・レディーの原点はクッキー?
未唯は1958年3月9日に静岡県で生まれ、中学時代に生涯の相棒ともいえるケイこと増田恵子と出会います。
常葉高校を卒業すると、増田恵子とともに特待生としてヤマハボーカルスクールで歌声に磨きをかけた未唯は、講師に勧められてクッキーというグループ名で活動を開始。これがピンク・レディーの原点となりました。
当初はオーバーオールを着た素朴なスタイルでしたが、ピンク・レディーとなってからは華やかなスタイルに変身。当時では画期的な振付はたちまち話題になり、今でもピンク・レディー世代の女性は曲にあわせて踊れるほど流行しました。
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未唯の結婚歴は?現在は活動は女優業がメイン?
未唯が40歳で結婚!旦那は誰?子供は?
未唯は1998年からアニメソングをメタル風にアレンジするバンド・アニメタルのアニメタルレディーとして活動を開始しました。そして、アニメタルのプロデューサー・佃淳三と1998年に結婚。しかし幸せは長く続かず、2004年に離婚が成立しています。未唯はこの後再婚しておらず、佃淳三との間には子供もいないため、今も独身を貫いています。
未唯は40歳での初婚でしたが、ケイは45歳とさらに晩婚です。ピンク・レディーの活動が忙しかったことが、理由のひとつになっているかもしれません。
ピンク・レディーは人気絶頂の中、1980年に解散を発表。しかし、その後も1984年、1989年、1996年、2003年と4度にわたり再結成し、再結成後も1990年、2000年には紅白歌合戦にも出場。全国をまわるライブ活動も行うなど、忙しい日々を過ごしていました。
さらにソロ活動もこなし、未唯mie名義で2006年10月までに16枚のシングルをリリース。また、ピンク・レディー時代から女優としても活動し、「特命刑事ザ・コップ」「太陽にほえろ!」「夏色のアルバム」など数多くの作品に出演しています。
未唯は生涯ピンク・レディー!パワフルなダンスでファンを圧倒
2010年9月1日、ピンク・レディーが解散を宣言してちょうど30年が経ったこの日に、未唯はケイと2人で「解散やめ!」を宣言。再びピンク・レディーとしてファンを巻き込むライブを精力的に開催しています。
そんな未唯は2020年3月で62歳を迎えました。実年齢をまったく感じさせないパワフルな歌唱力とダンスはピンク・レディーの絶頂期とまったく変わらず、これからもファンに元気なステージを届けてくれるのではないでしょうか。
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