阿木燿子と宇崎竜童は公私ともにベストパートナー!馴れ初めが気になる!

阿木燿子と宇崎竜童は公私ともにベストパートナー!夫婦の共同作品は?

阿木燿子と宇崎竜童は公私ともにベストパートナー!2人はいつも一緒!

作詞家、小説家、エッセイストとして有名な阿木燿子。夫は歌手の宇崎竜童です。阿木耀子は、曲作りにおけるベストパートナーは、夫の宇崎竜童だと常々語っています。実際に、阿木燿子作詞、宇崎竜童作曲という共同作品はたくさんあります。

そのほとんどがヒットしていることからも、ベストパートナーという表現がまさにぴったりと言えますね。もちろん、阿木燿子にとっての宇崎竜童は、プライベートにおいてもかけがえのない存在で、2人で一緒に過ごす時間を大切にしていると言います。

自宅でのんびり過ごしたり、一緒に映画やコンサートに出かけたりするそうですが、仕事になると、お互いに妥協は許しません。愛情深い関係ながらも、仕事とプライベートをきっちり分けているとは、さすがプロです。

阿木燿子夫婦の共同作品は?山口百恵のヒット曲は2人から生まれた!

阿木燿子と宇崎竜童夫婦の共同作品は多数あります。宇崎竜童が結成していた、ダウン・タウン・ブギブギバンドのヒット曲「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」も2人が一緒に作った曲です。当時、「あんた、あの娘の何なのさ?」というフレーズが流行ったことをご記憶の方も多いことでしょう。

阿木燿子と宇崎竜童が楽曲を提供したアーティストは、水谷豊、三田寛子、南こうせつなどたくさんいますが、忘れてならないのが山口百恵。「夢前案内人」「プレイバックPart2」「美・サイレント」「さよならの向こう側」などなど、ヒット曲のほとんどは夫婦によるものです。

曲を作るとき、大概は阿木燿子が詞を先に作り、それに宇崎竜童が曲をつけるというスタイルだとか。宇崎竜童にとっては、大スター山口百恵の曲を作るというプレッシャーよりも、「前と同じような曲調はだめ」という阿木燿子の無言のプレッシャーのほうが怖かったそうです。

阿木燿子の年齢やプロフィール!宇崎竜童との馴れ初めは?

阿木燿子の年齢やプロフィール!年齢を感じさせない魅力の秘密は?

阿木燿子は1945年5月1日生まれで、2017年現在72歳です。70代とは思えない若々しさと大人の女性の魅力が感じられるのは、美容と健康に気をつけているからだと言います。美貌を保つ秘訣は、数十種類の野菜を毎日食べ、1日に2リットルの冷たい水を飲むこと。

外食の時も、メイン料理とは別に、野菜の副食を必ず注文するそうです。そんな阿木燿子が生まれたのは長野県長野市で、育ったのは神奈川県横浜市。中高一貫教育の捜真女学校中学部・高等学部を卒業し、明治大学文学部に進学。作詞家としてデビューしたのは1969年、24歳の頃のことです。初仕事は、グループサウンズ・ジュリーとバロンのデビュー曲「ブルー・ロンサム・ドリーム」の作詞でした。

阿木燿子と宇崎竜童の馴れ初めは?大学の軽音楽クラブで運命の出会い!

阿木燿子は、1971年12月に、宇崎竜童と結婚しました。2人が出会ったのは、明治大学の軽音学クラブ。先に入部していた宇崎竜童が、勧誘のために声を掛けたのが阿木燿子でした。この時、宇崎竜童は初めて会ったような気がしなかったと言います。前世で会っているような気がして、直感で「絶対にこの人と結婚する」と思ったとか。宇崎竜童は、阿木燿子とすぐにでも結婚したいと思っていました。

しかし、「結婚してほしい」と何度言っても、阿木燿子は「もう少し待ってほしい」と言うばかり。ようやく結婚したのは、交際を始めてから7年後のことでした。子供はいませんが、これまで多くのヒット曲を二人三脚で生み出してきた2人。2016年には、「良い夫婦の日 パートナー・オブ・ザ・イヤー」を受賞していますが、誰が見ても本当に仲の良い夫婦です。

阿木燿子と宇崎竜童がNHKの音楽番組「明石家紅白!」にゲスト出演!山口百恵の長男とコラボも披露!

阿木燿子と宇崎竜童夫婦は、2017年6月26日に放送されたNHK「第2回明石家紅白!」に出演しました。この番組は、司会を務める明石家さんまが、好きなアーティストや今会いたいアーティストをゲストとして迎えるという内容です。この日は、山口百恵の長男・三浦祐太朗も出演していたため、宇崎竜童の生ギターをバックに、三浦祐太朗が母の歌を披露するという場面も披露されました。

阿木燿子と宇崎竜童が山口百恵に提供した曲は数多く、今でも交流があるそうですから、息子が歌唱する姿には感無量だったのではないでしょうか。山口百恵の全盛期を支えてきたのは、阿木燿子と宇崎竜童の曲だと言っても過言ではありません。山口百恵本人の依頼で、2人が初めて提供した曲は「横須賀ストーリー」です。

中学時代まで横須賀で暮らしていた山口百恵ですが、阿木燿子が書いたこの歌の詞は、自分の記憶に残っている横須賀の風景そのままだったとか。阿木耀子は、実像のないアイドルの曲ではなく、山口百恵という1人の女性を感じさせる曲にしたいという狙いから、横須賀という街を舞台にしたと明かしています。
性があって、セリフのような感じがする阿木燿子の作詞。曲を聴いていると、自然とその場面を思い浮かべることができるのもすごいところです。さらに、夫・宇崎竜童のメロディが、彼女の詩をさらに引き立てています。引退してもなお山口百恵という存在を忘れることができないのは、山口百恵のスター性もさることながら、素晴らしい楽曲があったからこそだと思えてなりません。これからも、人の心に残る共同作品を夫婦2人で作り続けてほしいですね。

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