2022年4月14日 更新
秋元康のプロデュースグループまとめ?若い女子に共感される作詞のコツとは?
◆出身:東京都
◆身長:167cm
◆血液型:O型
◆所属事務所:株式会社秋元康事務所
秋元康は女性アイドルグループの名プロデューサー!
秋元康(あきもとやすし)は1985年から女性アイドルグループおニャン子クラブのプロデュースを担当し、作詞と楽曲も手掛けて日本を代表するアイドルへと導きました。
そのアイドルプロデュース能力は並外れたものがあり、おニャン子クラブ以降も少女隊などのアイドルをスターに導き、近年ではAKB48のプロデューサーとして知られています。
AKB48の姉妹グループNMB48、HKT48、乃木坂46、JKT48などのプロデュースも手掛け、記録的な人気グループになりました。
秋元康は1980年代から現在まで若者に支持され続ける作詞家!
秋元康は作詞家として1980年代から小泉今日子の「なんてったってアイドル」、とんねるずの「雨の西麻布」などの大ヒット曲を手掛けました。
50歳を過ぎた近年でもAKB48の「サステナブル」、乃木坂46の「夜明けまで強がらなくてもいい」など若者を中心に大ヒットしている曲の作詞を手掛けていますが、秋元康は昔のラブレターが電話、メール、LINEとツールが変わっているだけで「返事を待っているときの気持ちは変わらない」と若者に共感される作詞のコツを明かしました。
秋元康の嫁や子供は?元おニャン子メンバーが結婚秘話を暴露!
秋元康の嫁はおニャン子クラブの人気メンバー!子供は?
秋元康は1988年5月23日に高井麻巳子との結婚を発表。高井麻巳子は秋元康がプロデュースを担当していたおニャン子クラブの人気メンバーだったことでも話題になりました。結婚発表後、2人は1年間ニューヨークに滞在。2001年3月に長女が誕生しています。
秋元康が結婚を決断したきっかけを元おニャン子メンバーが暴露!
秋元康の妻・高井麻巳子と同じおニャン子クラブの元メンバー国生さゆりが2014年7月放送の読売テレビのバラエティ番組「特盛!よしもと 今田八光のおしゃべりジャングル」で秋元康と高井麻巳子の結婚秘話を暴露。
国生さゆりはおニャン子クラブ活動時代に秋元康と高井麻巳子が恋人関係にあったことは「全くわからなかった」と明かしたものの、人から聞いた話として高井麻巳子が秋元康に「先生、あたし、秋元さんがいないと生きていけないから一緒にニューヨークに連れてって」と言ったことが結婚のきっかけだったと語りました。
また、秋元康が高井麻巳子を特別扱いしていたことはなかったことも明かしています。
中田ヤスタカはperfumeやきゃりーのプロデュースのみならず!年収が天才性に見合っていない?
秋元康は天才ヒットメーカーで年収がすごい?黒歴史時代を自他ともに告白!
秋元康の年収は50億円を超えていた?
秋元康は1980年代から多くの大ヒット曲を手掛け、近年でもAKB48やその姉妹グループのほとんどの楽曲で作詞を手掛けているため、日本の芸能界の中でも断トツの収入を得ています。
国税庁によって2011年の確定申告状況で、年収が50~100億円の「文筆・作曲・美術家」が1人だけいることが明らかになりましたが、それは「秋元康ではないか?」とネット上で噂になりました。
名前は伏せられいますが、ネットの普及もあって音楽が売れなくなった今の時代にその年収に到達できるのは秋元康しか考えられないかもしれませんね。
秋元康にとっての黒歴史はタレントのYOUだった?
秋元康は放送作家や音楽プロデューサーなどで1980年代から天才ヒットメーカーとして知られていますが、黒歴史もあったことが明らかになりました。
2020年6月にタレントのYOUがラジオ「TOKYO SPEAKEASY」で19歳の頃に秋元康が作詞を手掛けた楽曲「ちょっとだけ」でデビューしたものの全く売れなかったことから秋元康にとって「すご黒歴史」と告白。
しかし、秋元康は他にも多くの楽曲を手掛けていて、「ちょっとだけ」の発売6日後に発売された「卒業-GRADUATION-」ではオリコンで1位を獲得しています。
秋元康は近年では映画「着信アリ」やドラマ「あなたの番です」を企画して大ヒットに導きました。これからもその眼力で音楽業界だけでなく、様々なジャンルで多くのファンを楽しませてくれるのではないでしょうか。
佐久間宣行は「ゴットタン」「ウレロ」の敏腕プロデューサー!出身校は磐城高校、早稲田大学
ベビーメタル(BABYMETAL)海外人気の仕掛人!プロデューサーKOBAMETALの正体は?
香川照之は東大出身バイリンガルのハイスぺだった!?プロデュースした昆虫絵本が発売前重版の大ヒット