チンギス・ハンが築いたモンゴル帝国は史上最大規模!地上の四分の一を支配下に!
チンギス・ハンは12世紀後半から13世紀前半に活躍したモンゴル帝国の初代皇帝です。大小様々な集団に分かれた部族が抗争を続けるモンゴル帝国の混乱を治め、モンゴルを統一したチンギス・ハンは、1206年にモンゴル帝国を樹立しました。
見事な軍略でモンゴルを統一したチンギス・ハンは世界征服を試み、アジア各国へと進軍を開始。当時中国で強い勢力を誇った金や西遼、ホラズムなどを次々と侵略していきます。そして、最終的には西は東ヨーロッパ、シリア、東は中国、朝鮮半島など、ユーラシア大陸を広く横断する大帝国を築き上げたのです。
チンギス・ハンがこれほどの大帝国を築くことができた最大の理由は、優れた軍事制度にあります。チンギス・ハンは、部隊を千人隊、百人隊、十人隊に分ける階級制度を採用することにより、どれだけ兵の数が多くなっても的確な指揮を可能としました。
また、遠征の際には体力を消耗していない馬を常に戦闘に使用できるよう、一人に数頭の馬を帯同させ、世界最大の機動力を誇りました。加えて、戦闘ではまず大量の矢を遠くから放ち、相手を消耗させた後に接近戦を仕掛けるという戦術を用いていました。ただ力でねじ伏せるのではなく、自軍の力を最大に引き出す知力に長けた軍事制度により、チンギス・ハンは地上の四分の一を領土とする大帝国を築き上げたのです。
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チンギス・ハンの壮絶な少年時代とは?
史上最大規模の大帝国、モンゴル帝国の初代皇帝として歴史に名を残すチンギス・ハンの少年時代は、非常に壮絶なものであったとされています。
チンギス・ハンはモンゴル内で有力な部族の長、イェスゲイの子供として生まれました。しかし、チンギス・ハンが9歳の時、父・イェスゲイは敵対するタタール族に暗殺されてしまうのです。
イエスゲイの死により、配下においていた部族民は次々に離れていきます。母・ホエルンの献身もあり苦しい環境下でなんとか育ったチンギス・ハンとその兄弟でしたが、成人を迎える頃にタイチウト部族によって捕えられてしまいます。
タイチウト族に仕えていたソルカン・シラという人物によって、この窮地から脱したチンギス・ハン。しかし、その後も異母弟のベクテルに襲われる、馬のほとんどを盗まれるなど、チンギス・ハンの少年時代は様々な苦難に見舞われる苦しい時代でした。
チンギス・ハンは若い頃からカリスマ性があった?
チンギス・ハンは若い頃から豪快な性格で、リーダーシップに優れていたことで知られています。他の部族民に苦労を強いられながらも自身は決して差別することなく、有能な人物には能力にふさわしい評価を与えていました。
チンギス・ハンの元に集った有能な10人の家臣「十功臣」に数えられる、クイイダル、ジュルチダイは、それぞれモンフト部族、ウルウト部族と別部族でありながら、側近として重用していました。また、長男のジュチは妻・ボルテがタイチウト族に囚われた後に生まれた子供であり、チンギス・ハンの実子であるという確証のない中でも、その後に生まれた7人の子供たちと分け隔てなく接したそうです。
豪快でおおらかな性格のチンギス・ハンは、多くの家臣を束ねるカリスマ性を持っていたのです。
チンギス・ハンは源義経?その真相とは
日本で特に有名なチンギス・ハンの逸話に、「チンギス・ハンは源義経と同一人物」というものがあります。
鎌倉時代に活躍した武将・源義経。幼い頃の「牛若丸」という呼び名でも知られ、現代に語り継がれる数々の武将の中でも特に人気の高い人物であることは、多くの人が知るところです。
そんな源義経とチンギス・ハンが同一人物などというのは、とんでもない話のように思えます。しかし、1189年に31歳の若さでこの世を去ったとされている源義経が実は死んでおらず、北上して蝦夷(現在の北海道)に渡り、最終的にモンゴルに入ったとする古文書が残っています。また、モンゴルの軍旗や兜の紋章に、義経の家系の家紋である「笹竜胆紋」に似たものが描かれていることも、この逸話が現実味を帯びる一因となりました。
このような理由から、時の権力者である徳川光圀が蝦夷に探検隊を派遣するなど、江戸時代には重要な歴史問題として取り扱われました。どの資料もこの逸話が事実であると断定するまでの信ぴょう性に欠けるものでしたが、“義経=チンギス・ハン説”はその後も語り継がれ、大正時代にはモンゴルに渡って真相を調査した牧師・小谷部全一郎が著した「成吉思汗ハ源義經也」がベストセラーになるなど、一部で根強く信じられていました。
明治以降、さらなる研究によってチンギス・ハンの出自が判明したことなどにより、学術的に事実とは認められない説とされる意見が強くなりました。しかしその一方で、源義経とチンギス・ハンはいずれも資料が少なく、その経歴に謎の部分があること、説を裏付けるのに信用できる文献もあることなどから、現在も否定派と肯定派に分かれています。
地上の四分の一を領土とする大帝国の初代皇帝として君臨したチンギス・ハン。その彼が義経だったとしたら…?と考えるだけで、歴史ファンにはたまらないミステリーですね。
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