洞口依子が子宮がんの現在は?夫によって支えられた闘病生活!

2019年2月27日 更新

洞口依子が子宮がんの現在は?夫によって支えられた闘病生活!

洞口依子が子宮がんになった歳と現在の生活ぶりは?

洞口依子は、1965年生まれで、現在51歳の女優です。子宮頸がんを発症していることが分かったのは、2004年、38歳の時のこと。先日、歌舞伎役者の市川海老蔵が、妻でフリーアナウンサーの小林麻央が乳癌で現在闘病中であることを会見にて公表しました。

芸能人が自らの病を公に発表するようになったのは、フリーアナウンサーだった逸見正孝の1993年「癌告白会見」が発端だったのではないでしょうか。洞口依子は1985年にデビュー作『ドレミファ娘の血が騒ぐ』で19歳の鮮烈なヌードを披露し、映画で共演した伊丹十三監督の映画や人気ドラマに数多く出演した実力派女優・洞口依子も、自身の体調の変化には気付いていました。

しかし、検診した時には、すでに病状がかなり進行していた洞口依子は、子宮と卵巣の全摘手術を受けることに。幸い、数年の闘病生活で女優業にも復帰でき、現在は、自身の体験を綴った著書のリーデングとギターとのライブ・セッションで、同じ病と闘っている女性たちに応援エールを届けています。

洞口依子が闘病生活を乗り越えられたのは夫の支えがあったから!

洞口依子は、1997年にNHKのディレクターと結婚し、「いつかは彼の子供を産みたい」と強く望んでいたため、子宮全摘は、出産の夢を諦めねばならないという苦渋の決断。その上、8時間に及ぶ手術は無事終わったものの、リンパ節への転移が見つかり、放射線と抗がん剤による苛酷な辛い治療が始まりました。入院は2カ月ほどでしたが、ホルモンバランスの崩れによって、体重が急激に増加。

ちょうど更年期と重なったこともあり、鬱と不安障害に陥ってしまい、一時は自殺も考えたという洞口依子。夫に罵声を上げることもあったことから、「このままでは夫婦生活も破綻する」と、洞口依子は離婚も考えましたが、夫は笑顔で支え続けます。夫婦で悩み抜いた末に辿り着いたのが、大好きな沖縄の地での療養生活。

2人で海に入って水平線を眺める日々の中で、「私という存在は、子宮を失っても、子供を産めなくても女なのだ」そう思えるようになったとき、洞口依子は今の自分を自然と受け入れられるようになります。これこそが、女優・洞口依子としての復活の始まりだったのです!

洞口依子が苛酷なダイエットに挑んだのはなぜ?「子宮会議」執筆秘話!

洞口依子が子宮頸がん術後に苛酷なダイエットに挑んだのはなぜ?

洞口依子は、2004年に子宮頸がんの告知を受け、子宮・卵巣・骨盤内のリンパ節・靭帯・膣の一部を全て摘出するという大手術を受けましたが、本当の苦しみは退院後にやってきました。手術は成功したものの、病後の身体は、以前とは格段に変わっていたのです。

卵巣を摘出したことによるホルモンバランスの乱れ、更年期の発症……その鬱積を全て食事にぶつけた結果、洞口依子の体重は70kgまで増加してしまいます。あまりの変貌に女優生命の危機が!それでも「女優として生きたい!」洞口依子はその一心で、「食事は一日一食だけ」という苛酷なダイエットに挑みました。その結果、20kgの減量に成功。幸いなことに、体重の減少と共に、ホルモンの乱れや鬱症状も治まり、2006年にはネットシネマ『マクガフィン』で見事女優への復帰を果たしました。

洞口依子の初著書「子宮会議」執筆秘話とは?

洞口依子は、2004年に体験した子宮頸がん、子宮摘出後に始まった後遺症との闘いの日々をブログ上に発表していました。2007年には、がん罹患から女優復帰までの闘病記をまとめた洞口依子の初著書『子宮会議』(小学館)を出版しています。元は、新聞社から依頼された、病気についてのコラムが発端でしたが、一旦書き始めると、それまで抑えに抑えていた内なる感情が次々と吹き出して、原稿が莫大な枚数に。「それだけの量が書けるなら」と、本の企画がスムーズに決定し、病気の体験談に加えて、自身の過去やデビューのきっかけなどを加筆したそうです。

執筆にあたって「書くことは自分の中から何かが離脱していくという開放感があって大好きだけれど、誰にも教えたくない内なる面を書かねばならない苦行もある」と評する洞口依子ですが、「書くことで自分を見つめることができ、四季の移ろいやさまざまな事象を大事にするようになった」と語り、その感覚は、女優業にとても役立っているそうです。

洞口依子が女優業をずっと続けてこられた理由「子宮がんを経てさらに輝く」!

洞口依子には幼い頃から妄想癖があり、自己表現の場をずっと探し続けてきました。家庭で厳しく育てられた反発からか、人と交わることが苦手で、学校に行くのが嫌で仕方がなかったそうです。高校生の時に、縁あって、デビューのきっかけにもなった写真家・篠山記信のスタイリストが経営していた喫茶店でアルバイトを始めた洞口依子は、音楽家やデザイナーなど、さまざまな文化人の集まる空間に魅了され、自らもチューンガムの包装紙でブックカバーを作るなど、芸術や創作活動に興味を抱きます。

その姿が篠山記信の目に留まり、「激写シリーズ」で、女優としてデビュー。女優業という自己表現の場を与えられた洞口依子は、生まれて初めて「自分の居場所」を得たと感じたそうです。ところが、自らの世界が広がったことで「もっと上手に表現したい」というジレンマが生まれ、その気持ちは日を追うたびに深まっていきました。「今の演技に満足しない」これこそが、洞口依子が今まで女優業を続けてこられた理由なのでしょう。

「子宮を失っても、子供を産めなくなっても、私は確かに『女』なのです。子宮のない女。その私の中から生まれてくるものを、これからずっと表現し続けていきたい!」そう語る洞口依子の表現者としての人生は、子宮頸がんに罹患し、子宮と卵巣全摘という苛酷な闘病生活、そして、そこから奇跡の女優復活を遂げた途方もなく厳しい道のりを経て、今なお燦然と輝き続けています。

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