2020年3月26日 更新
藤原喜明がガンから復活!アントニオ猪木や前田日明との関係は?
藤原喜明の胃がんとの闘い!復活は強靭な回復力と精神力あればこそ!
プロレスラーの藤原喜明(ふじわらよしあき)は、「関節技の鬼」「藤原組長」などと呼ばれ、1949年4月27日生まれで還暦を過ぎた現在も、プロレスのリングに上がり続けています。そんな彼が、胃がんという最大最強の敵との闘いから復活したことは語り草です。
胃がん発覚のきっかけは、2007年夏に、あるパーティーに出席した時のこと。出席者から誤った箸の使い方を指摘された藤原喜明は、「プロレスで肘の神経がやられた」と説明しました。そこで紹介された病院で、大腸と胃の検査をした際、胃の入り口近くに4センチ大の胃がんが見つかったそうです。
宣告を受けた時には、「オレも死ぬんだな」と覚悟した藤原喜明ですが、入院2日後に3時間かけて手術を行い、胃の2分の1を切除しました。その後、リンパ節への転移が判明し、抗がん剤の服用を開始。手術から3週間後に退院していますが、抗がん剤による治療は2年間続きました。
手術の次の日から病院内を歩いていたという藤原喜明が復活に至ったのは、プロレスラーならではの強靭な肉体と精神力があったからこそでしょう。現在も、3カ月に1回は血液検査等をし、半年に1回は胃カメラや内視鏡の検査等をして健康に気を配っています。
そんな藤原喜明は、岩手県和賀郡江釣子村(現・北上市)生まれの徳島県板野郡板東町(現・鳴門市)育ち。1972年に新日本プロレスに入門し、カール・ゴッチに師事して関節技などのレスリング技術を学びました。前座レスラーに過ぎなかった彼が脚光を浴びたのが、1984年に、長州力対藤波辰爾戦の前に、花道にて長州力を襲撃し、血だるまにした長州力襲撃事件です。それ以来、「テロリスト」として興行になくてはならない存在となり、関節技を主体とした独特のファイトスタイルで一躍知名度を上げました。
藤原喜明のアントニオ猪木や前田日明との関係は良好?胃がん発覚に真っ先に連絡してくれた2人!
藤原喜明とアントニオ猪木は、新日本プロレスで彼のスパーリングパートナーに抜擢され、海外遠征などにも帯同した関係でした。また、前田日明は、新日本プロレスで流血戦を演じた後輩ながらも、良好な関係にあると言います。藤原喜明に胃がんが発覚した際、真っ先に連絡してくれたのがこの2人。胃がんのことを全く知らなかったアントニオ猪木は、「元気か?」と、たまたま電話で聞いてきたことがあったそうです。
検査で胃がんが見つかった藤原喜明が「ラッキーでした」と言うと、「何だって?マッキ(末期)?」と聞き違いしたほど、驚愕して心配してくれたことが非常にありがたかったと語っています。また、記者会見で胃がんを公表した際に、泣きながら「藤原さんが死んだら、僕は寂しいです!」と言ったのが前田日明でした。自分のことをどれだけ心配してくれているかが伝わってきて、ジーンときたと振り返っています。
藤原喜明の強さの秘訣とは?趣味や結婚、テーマ曲は?
藤原喜明の強さの秘訣はハードなトレーニングと「藤原ノート」!
藤原喜明は、「どんな時でもプロレスラーがなめられるようなら終わりだ」と、常に「強さ」を追い求め続けてきました。熊との対決など、その強さは何かと伝説化していますが、強さの秘密はどこにあるのでしょうか?もともとサラリーマンだったという経歴を持つ藤原喜明ですが、「プロレスラーになりたい」という熱い思いを失うことはありませんでした。
そのため、高校時代からボディービルのトレーニング本を買いあさり、自己流で体を鍛えていたと言います。その熱心さは、サラリーマンになってからも、会社内でウェイトトレーニング部を作ってしまうほど。その後、新日本プロレス入りを果たしましたが、そのトレーニングは予想以上にハードで、あまりに厳しいため、コーチに殺意を抱くほどだったそうです。
しかし、厳しいトレーニングを続けていたものの前座戦線に甘んじ続けた藤原喜明は、現状を打破すべく、アメリカにあるカール・ゴッチ道場へ入門。彼の関節技指導を忘れないために、練習を終えてアパートに帰ると、指導の要点をノートにまとめる習慣をつけました。これがいわゆる「藤原ノート」。こうして、「関節技の鬼」と呼ばれる強さを手に入れました。
藤原喜明の趣味がなかなか渋かった!入場曲はクラシック音楽!
藤原喜明は、本業のプロレスラーとしての顔以外に、イラストレーター、盆栽、浪曲鑑賞、陶芸など、驚くほどの多趣味・多才で知られています。これほど多くの趣味を持っていれば、人生に奥行きと深みが生まれてくることでしょう。また、並行して芸能活動も行っており、俳優として出演したテレビ番組や映画、Vシネマは数あまた。コワモテの風貌から、どうしても暴力団関連の役どころが多くなってしまうようですが、やはり「組長」の異名を取るだけのことはあります。
「好きなことだけやって、これまで生活してこられたのは本当に幸せなことだ」と振り返っている藤原喜明は、漠然とではあるものの「アーティストと呼ばれるのが一番うれしいかも知れない」そうです。また、「本業・副業という分け隔てはなく、全てが自分の職業だ」と語っています。
そんな藤原喜明の入場曲は、ワーグナー作曲の「ワルキューレの騎行」です。BGMに使われている映画「地獄の黙示録」内の、武装ヘリ編隊が村落を攻撃するシーンを連想する方も多いことでしょう。当初は、「クラシックを入場曲にするなんて柄ではない」と批判する意見もありましたが、藤原喜明の注目度が上がるにつれてなじんできたのか、現在では、イントロ部分が鳴るだけで場内は拍手喝采の嵐に。
このようなところにも、藤原喜明の強烈な個性が光ります。「一人でいるのが一番好き」と語る藤原喜明、還暦を過ぎた今でも結婚したという情報はありません。
藤原喜明が藤波辰爾主宰ツアーに参戦!藤波辰爾との関係は悪くなかった?
藤波辰爾主宰のプロレス団体「ドラディション」10月ツアーに、我らが藤原喜明が参戦することが発表されました!題して「SKY HIGH DRAGONツアー」の大会日程は、2017年10月27日(東京・後楽園ホール)と、29日(大阪・ATCホール・Cホール)。藤原喜明は、越中詩郎らとともに両日とも参戦予定で、その他にも、後楽園大会には武藤敬司とザ・グレート・カブキ、大阪大会には長州力といったレジェンドクラスの出場が発表されています。
今大会の呼び物は、なんといっても、あの「仮面貴族」ミル・マスカラスの登場です。両日に参戦予定のミル・マスカラスには、藤波辰爾との対決、そしてタッグ結成という黄金カードが期待されています。もちろん、藤原喜明や武藤敬司、長州力ら豪華顔ぶれとミル・マスカラスとの対戦にも熱い注目が。
主宰する藤波辰爾も、「こんなカードは今まで見たことがない、ありえないというドリームカードを提供したい」と意欲満々です。藤原喜明と藤波辰爾は、お互いに「新日本プロレスの欠かせないメンバーだ」と認め合うほど強い信頼で結ばれた間柄。藤波辰爾デビュー40周年記念に顔を見せ、お祝いしていた様子を見ても、良い関係であることがうかがえます。その縁で、一連のツアーに藤原喜明の参戦が実現していることは間違いないようです。還暦を超えてもいまだ体を張り続けている藤原組長、そのプロレス人生の終わりはまだまだ見えません。