林部智史カラオケバトル100点の歌唱力!デビューまでの道のりは?
林部智史カラオケバトル100点の歌唱力!秘密は1/fのゆらぎを持つクリスタルボイス
林部智史(はやしべさとし)という歌手をご存じでしょうか?今、林部智史の甘く澄んだ歌声が、多くの人を魅了し、「本当に泣ける」と高い評価を得ています。美空ひばりや徳永英明と同じ、「1/fのゆらぎ」を持つ特殊な歌声は、「稀代のクリスタルボイス」といわれています。
林部智史が注目されるようになったのは、テレビ東京系列「THEカラオケ★バトル」がきっかけです。プロより上手いアマチュアとして出演し始めた林部智史は、圧倒的な歌唱力で人気となりました。そして2015年10月、「THEカラオケ★バトル」への最多出演回数を誇る林部智史が成し遂げたのが、史上初となる、予選・決勝戦で連続して100点を叩きだすという偉業です。
2015年の年間チャンピオン決定戦で出したこの記録で、林部智史は、年間チャンピオンも獲得しています。
「Mr.カラオケバトル」の異名も得た林部智史は、その後、品川プリンスホテルクラブeXでワンマンライブを行い、900名を動員。多くの人が、林部智史の生歌に涙しました。
林部智史がデビューするまでの道のりは?首席卒業するもプロデビューならず
林部智史は、幼少の頃から歌が好きで、幼稚園時代にすでに歌手になりたいと思っていましたが、口に出すことはありませんでした。しかし、歌の技術を独学で習得し、小学5年生でビブラートができていたといいます。歌手への夢を口にせず、現実的ではないと思っていた林部智史が、本格的に歌手をめざし始めたのは、2010年に、礼文島のホテルで出会った男性の言葉がきっかけでした。
ギタリストだった男性が、林部智史が歌った尾崎豊の「OH MY LITTLE GIRL」を聴き、「その声で歌手にならないのはおかしい」と言ってくれたそうです。男性の言葉に心を突き動かされた林部智史は、2011年に、EXILEのATSUSHIを輩出したESPミュージカルアカデミーヴォーカルコースに入学します。
新聞奨学金制度を利用しながらのトレーニング。それは、朝2時から6時半まで新聞配達をし、仮眠をとったあとに学校へ行くという生活でした。しかも、授業終了後に1時間の自主練をして、また夕刊を配るという毎日。辞めていく人も多い中で、林部智史は、休むことなくアカデミーに通い続けたといいます。
2013年にヴォーカルコースを主席で卒業したものの、林部智史は、オーディションに合格することがかないませんでした。そのため、ディズニーシーでツアーガイドとして働き始めます。「才能がないのか」と思いながらも、諦めきれない中で進めたれたのが、「THEカラオケ★バトル」への出演でした。
始めのうちはなかなか勝てず、「無冠の帝王」と呼ばれていた林部智史。しかし、声帯から出血するほどの練習を重ね、その努力は2015年に実りました。1月に初優勝を飾ると、10月には予選・決勝戦ともに100点をたたき出し、堂々チャンピオンの座に登りつめます。
2016年1月1日に林部智史は、「THEカラオケ★バトル」で、メジャーデビューを発表しました。2月のワンマンライブは、全会場のチケットが30秒で売り切れ、24日にはデビューシングル「あいたい」をリリースしています。
林部智史の職業はボイストレーナー!年齢、出身、プロフィールは?
林部智史の職業はボイストレーナー!「THEカラオケ★バトル」に出演しながらワークショップを開催
林部智史は、ESPミュージカルアカデミーヴォーカルコースを主席で卒業し、先生から「歴代TOP3のボーカリスト」というお墨付きまでもらったものの、なかなか目は出ませんでした。2016年にメジャーデビューまでの間、林部智史は、ディズニーシーで働き、「THEカラオケ★バトル」に出演したりする他、ボイストレーナーとしても活動しています。
2015年には、秋葉原のライブハウスで、定員30名のボイストレーニング・ワークショップを開催した林部智史。ボイストレーニングとはなにかという概要に始まり、腹式呼吸や、発声の基礎、さらに個別のアーティストの歌い方を紹介。そして、歌の初級者ならば誰もが習得したいと願う、ビブラートの説明と演習もあり、好評だったそうです。
林部智史の年齢、出身、プロフィールは?大きな挫折と放浪の中で出会った転機とは
林部智史は、1988年5月7日に、山形県で生まれました。身長は172cm、体重は60kgです。林部智史の家はスポーツ一家とのことで、林部智史自身、小中高とバスケットボール部で活躍しています。小中学校時代は、県の選抜メンバーにも入っており、歌手よりもバスケットボール選手になるほうが、林部智史少年にとっては現実味があったようです。
しかし、バスケットの強豪校である山形県立山形南高等学校に入学するものの、高校3年で限界を感じたといいます。その後は、看護助手だったお母さんの影響も受け、看護学校に入学。しかし、実習で受け持った患者さんが亡くなり、精神的に不安定になります。家に引きこもるようになり、学校もやめてしまいます。
そんな弟を見かねた姉が、沖縄の居酒屋やリゾートホテルで働くように進めます。その後、新潟や北海道へと職場を移す中で、礼文島のホテル時代に、1人の男性と出会ったことをきっかけに、ESPミュージカルアカデミーヴォーカルコース入学へと繋がっていきます。
林部智史が第49回日本有線大賞新人賞受賞!2017年2月には東京オペラシティでのコンサートも
林部智史は、この2016年、大きな飛躍を遂げました。2016年11月16日に発表された第49回日本有線大賞各賞では、ブラジル人演歌歌手エドアルドや、アイドルグループ「ふわふわ」と並んで、新人賞が決定。アマチュア時代からお世話になってきた「THEカラオケ★バトル」でも、年間チャンピオン決定戦を連覇しました。
前年の年間チャンピオン決定戦に続いて、予選・決勝戦ともに100点を記録しています。2016年12月には、1年間の感謝を表すサンクスLIVEを開催。会場は、アマチュア時代にもライブを行った、思い出深い品川プリンスホテル「クラブeX」でした。チケットも即完売という盛況ぶりに喜びを表しつつ、林部智史は、「もっともっといい歌を歌えるようにこれからも頑張っていきたい」と語っています。
2017年2月には、なんと2日間の日程で、東京オペラシティコンサートホールでのコンサートも決定。林部智史自身も、驚きを隠せないようでした。
2016年に続いて、2017年の活躍も期待される林部智史。これまで林部智史を知らなかった方も、すでファンの方も、たゆまぬ努力で磨き上げてきたそのクリスタルボイスに、2017年は涙してみませんか?