石原まき子(北原三枝)と石原裕次郎が形作った日活アクション映画とは?

石原まき子は日活のエース女優・北原三枝!石原裕次郎との共演作は?

石原まき子(北原三枝)と石原裕次郎を運命づけた「狂った果実」

昭和の大スター石原裕次郎は、もはや伝説となり、21世紀の今もその輝きを失っていません。しかし、石原裕次郎と23作品も共演し、当時の若者たちにとって、憧れの恋人役であった女優・北原三枝、後の石原裕次郎夫人である石原まき子が語られることはあまりありません。

石原まき子(北原三枝)は、石原裕次郎が1956年に「太陽の季節」でデビューする前の1954年、松竹から日活に引き抜かれました。石原裕次郎にとっては学生の頃から憧れの人であったらしく、「太陽の季節」でデビューしたその年に「狂った果実」で初共演を果たします。

石原まき子(北原三枝)と石原裕次郎が形作った日活アクション映画の数々

「狂った果実」で共演して以来、2人は、「俺は待ってるぜ」「嵐を呼ぶ男」「錆びたナイフ」などの名だたるアクション映画や、石坂洋次郎原作「陽のあたる坂道」「若い川の流れ」といった青春文学路線で共演します。石原まき子(北原三枝)は、エキゾチックで都会的なクールさをあわせもった、当時としては極めて現代的な風貌の女性でした。

新時代の申し子というべき、やんちゃな石原裕次郎に対して、彼女が見せる、今でいうツンデレ的な態度は、戦後の男女平等な恋愛観を見事に表したと言えます。戦後、他の映画会社が、戦前戦中のベテラン女優を起用したのに対して、新人を起用せざるを得なかった後発の日活。

その結果、石原裕次郎や小林旭などの男性陣だけでなく、北原三枝、芦原いずみ、麻丘ルリ子、そして吉永さゆりに至る戦後の名女優の発掘と育成を担うことになりました。

石原まき子の年齢や生い立ちは?デビュー作は「君の名は」!?

石原まき子のデビューは松竹映画の「君の名は」だった!

石原まき子は、石原裕次郎より1つ年上の1934年生まれ。2017年で84歳になります。東京の目黒に生まれ、日劇ダンシングチームを経て、1952年、ニューフェースとして松竹に入りました。デビュー作品は、岸恵子&佐田啓二のコンビで一世を風靡した「君の名は」です。

しかし、1954年日活に引き抜かれた石原まき子(北原三枝)は、1956年、「狂った果実」で石原裕次郎とペアを組んで以後、1960年に2人が結婚するまで、日活快進撃の先頭に立ちます。共演するごとに2人の仲は深まりますが、稼ぎ頭であるトップ男優と女優の結婚を、日活は許しません。そこで2人はアメリカへの逃避行を企て、ついに結ばれます。まさに夢のビッグカップルの誕生でした。

石原まき子は結婚後、裕次郎のケガや病気、会社経営までを献身的に支える賢妻となった

結婚後、女優・北原三枝はすっかり芸能界を離れ、その後フリーになり、自らの会社「石原プロモーション」を興した石原裕次郎を陰で支える石原まき子として尽くしてきました。実は石原裕次郎は、結婚後から亡くなるまで、ケガと病気に付きまとわれた人生でした。

1961年、結婚翌年のスキー場での右足首粉砕複雑骨折に始まり、ケガや骨折が続きます。さらに1978年に舌癌が見つかってからは、入退院を繰り返す生活に。1981年には、解離性大動脈瘤で一度は死の淵から奇跡的に復活したもの、1987年に肝細胞癌で亡くなりました。享年52歳。昭和の大スターの若すぎる死でした。石原まき子は、ずっと献身的な介護を続けただけでなく、放漫経営に陥っていた「石原プロモーション」の立て直しにも尽力。今なお、石原裕次郎の遺影を守り生きています。もし北原三枝が、石原まき子にならず、女優を続けていたら……戦後の映画史や芸能史は、また大きく変わっていたかもしれません。

石原裕次郎再び!妻・石原まき子が推奨するNHK-BSプレミアム「「日本人の誰もが愛した男・石原裕次郎」

没後30年、いつまでも色あせない昭和の大スター石原裕次郎を記念した大型テレビ特番が、NHK-BSプレミアムで、6月17日から計8回にわたって放映されることが決まりました。24日放送の「日本人の誰もが愛した男・石原裕次郎」は、3時間に及ぶ生放送。映画関係者など多彩なゲストが、石原裕次郎とのとっておきのエピソードを語り、豪華アーティストたちによって、石原裕次郎のヒット曲の数々がカバーされる予定です。

また、2017年9月1日に閉館する、北海道小樽の「石原裕次郎記念館」からの生中継も決定。裕次郎作品の映画フィルムやレコードだけでなく、愛車など約2万点の遺品が紹介されます。あわせて、期間中には、「狂った果実」など、デジタルリマスターされた裕次郎作品が数本、放映される予定です。石原まき子は、今回の特番制作にあたって、今なお石原裕次郎を愛して続けてくれているファンへの感謝と、今回の番組をより多くの人々に見てほしいという願いをつづった書面を出しています。

1956年の映画「狂った果実」以来、2人が共演を重ねた期間はたった5年。結婚して石原裕次郎が亡くなるまでは27年。そして未亡人となってからの30年という年月……。北原三枝が石原まき子になってからは、石原裕次郎というスターの虚像の陰で、大いに悩み苦しんだ人生であったかもしれません。しかし、石原裕次郎がスターであり続けられたのは、自らの女優としての可能性を捨て、全てを石原裕次郎に託した彼女の存在があってこそでした。石原裕次郎と石原まき子は、戦後日本の新しい映画を生み出した伝説のカップルとしてその名を残すことでしょう。

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