2022年4月4日 更新
勝野洋とキャシー中島は芸能界きってのおしどり夫婦!長女を肺がんで失っていた……
勝野洋とキャシー中島は芸能界きってのおしどり夫婦!
勝野洋(かつのひろし)は芸歴40年以上のベテラン俳優です。妻は、ハワイ・マウイ島出身で、父はアイルランド系アメリカ人で、母は日本人というハーフタレントのキャシー中島。芸能界きってのおしどり夫婦です。
モデルや女優として活躍していたキャシー中島は、美しい顔立ちを武器に、自分で強引に仕事を取ってきたというほど積極果敢でした。恋愛に関しても果敢で、誠実そうな勝野洋に会いたいと思い、芸能仲間に声をかけまくります。そして、勝野洋がよく行く店の情報をキャッチし、友人と一緒に店に張り込み、ついに勝野洋と会うことができました。キャシー中島は、自分を見た勝野洋が後ずさりをしたのを見て「ここは押さなければ」と押しまくります。
そして、キャシー中島のほうから「うちにかわいい猫がいるから来ない?」と誘い、勝野洋が「行く」と返事。その日から恋人同士として付き合い始め、間もなく婚約発表しました。「考える隙を与えない作戦」を成功させたキャシー中島は、「幸せになるためなら企んでいいんです」と豪語。
地元・熊本から上京する時に、親から「東京の女は怖いから気をつけなさい」と言われた勝野洋は、「徹子の部屋」に出演した際に、「一番怖いヤツと出会ってしまった」と苦笑。後ずさりしたのは本当だったのでしょう。「でも目が綺麗だった」と、妻キャシー中島の第一印象を語っています。
勝野洋は長女を肺がんで失っていた……息子・洋輔はイケメン手芸家!
勝野洋とキャシー中島夫妻には、1979年11月19日生まれの長女・七奈美(ななみ)と、1982年1月11日生まれの次女・雅奈恵(かなえ)、1983年10月19日生まれの長男・洋輔の3人の子供が誕生しました。歌手や女優、ジュエリーデザイナーとして活動していた七奈美と、フラダンサーや舞台の脚本も手がける多才な雅奈恵は、写真集「デュオ-勝野七奈美・雅奈恵」を出版。テキサス刑事時代からイケメンで知られた勝野洋と、現役モデルの頃、本当に美しかったキャシー中島の娘たちも綺麗だと話題になりました。
2008年11月に、ヒップポップダンサーの猪田武と結婚し、幸せ絶頂だった長女の七奈美は、2009年2月に、咳が止まらないなど体調不良のため病院で検査すると肺がんが見つかります。その後入院して治療に専念しましたが、同年7月7日、帰らぬ人に。
勝野洋もキャシー中島も「まさかうちにそういうことが起こるとは思っていませんでした」と、悲しみとショックを隠しきれませんでした。七奈美が好きな十割そばをよく自分で打っていた勝野洋は、娘の喜ぶ顔が見たくて一生懸命でしたが、亡くなってからはそば打ちはしていないそうです。
2018年5月7日に、揃って「徹子の部屋」に出演した勝野洋とキャシー中島は、長男の洋輔と次女の雅奈恵が心の支えとなり、長女・七奈美との別れの悲しみを乗り越えられたと話しました。2016年には、雅奈恵が長女を出産。勝野洋とキャシー中島にとっては初孫であり、かわいくて仕方ない様子です。
長男の洋輔にとって、父・勝野洋の印象は、とにかく怖い父親でした。育児期は俳優業でハードスケジュールだった勝野洋ですが、洋輔は厳しく育てられたそうです。
高校1年の時に芸能界入りし、俳優やタレントとして活動していた洋輔ですが、年中仕事があるわけではありません。実は、母のキャシー中島も、芸能関係の仕事が来るのを待つ間にパッチワーク・キルトを始め、今ではプロフェッショナルになりました。
その経験から、キャシー中島は、俳優の仕事が来るまでは「何かをしながら待つと良い」と洋輔にアドバイス。それならば母とコラボレーションできる技術を習得しようと考えた洋輔は、手芸を始めました。2004年に大学を中退し、文化服装学院ファッション工芸科に入学した洋輔は、2010年4月からパリに留学して、刺繍と服装のデザインを学びます。
そして、2015年に帰国してからは、手芸家やデザイナーとして活動を開始しました。当初の計画通り、キャシー中島と親子で作品を制作することもある洋輔は、夜遅くまで真剣にミーティング。「何を話しているのか全く分からない」とすねる勝野洋は、自分は仲間外れだと感じながら別室で読書しているそうです。
勝野洋はテキサス刑事で一躍有名に!「太陽にほえろ!」で史上最高視聴率を記録
勝野洋はテキサス刑事で一躍有名に!
勝野洋が、ドラマ「太陽にほえろ!」のテキサス刑事の印象がいまだに強く残っているという方も多いのではないでしょうか。「テキサス刑事登場」の放送回から七曲署捜査第一係に配属になった三上順(勝野洋)は、テンガロンハット姿から「テキサス」と呼ばれるようになります。
みな仇名で呼び合っていた「太陽にほえろ!」の先輩刑事は、ボス(石原裕二郎)、山さん(露口茂)、長さん(下川辰平)、ゴリさん(竜雷太)、殿下(小野寺昭)ら。順の前任者だった新人刑事・柴田純(松田優作)は、ジージャンにジーパン姿だったので、ニックネームはジーパン刑事でした。
「太陽にほえろ!」では、初代新人刑事のマカロニ(萩原健一)が、登場から1年経った頃に、何者かにナイフで刺殺されて殉職。後任のジーパン刑事も、1年経つと、男に銃で腹を撃たれます。ジーパン刑事が両手で腹を押さえ、血で真っ赤に染まった自分の両手を見て、「何じゃこりゃあああああ!」と絶叫した姿は、今でも多くの人がものまねするほどの衝撃的な殉職シーンとなりました。
勝野洋が「太陽にほえろ!」で史上最高視聴率を記録!
新人刑事の1年目の殉職が2人続いたため、視聴者からは「テキサスは殺さないで」と電話や手紙が殺到。そのため、勝野洋演じるテキサス刑事は殉職しないまま、4代目の新人刑事ボン(宮内淳)が一係に入りました。しかし、ついに殉職の時が。1976年に放映された「テキサスは死なず!」は、「太陽にほえろ!」史上最高視聴率の42.5%を叩き出します。
犯人が銃で何発も腹を撃っても、テキサス刑事は倒れません。そのまま冷静に犯人の腕を撃ち、駆けつけた仲間が犯人を逮捕したところで殉職します。テキサス刑事の後も、スコッチ(沖雅也)やロッキー(木之元亮)など個性的な新人刑事が何人も登場しましたが、マカロニ、ジーパン、テキサスのインパクトは越えられませんでした。「太陽にほえろ!」の絶頂期は、テキサス刑事の時代だったのかもしれません。。
勝野洋はテキサス時代オネエにモテモテ?妻・キャシー中島の経験から生まれた「すなっく ラ・ボエーム」
勝野洋は、テキサス刑事だった時代、女性だけではなく、オネエにもモテモテだったと、妻のキャシー中島が語っています。なんでも、ゲイ商業誌「薔薇族」の表紙に勝野洋が載ったこともあったとか。そんな経験が、役に立つ時が来ました!若かりし頃のキャシー中島が通っていたという、南青山にあった伝説のゲイバーを舞台にしたお芝居「すなっく ラ・ボエーム」が完成。
企画・原案がキャシー中島で、脚本が次女の雅奈恵。主役の警察官ウッチーを演じるのは勝野洋で、息子役と衣装デザイン担当が洋輔と、勝野ファミリー総出の舞台です。23歳のキャシー中島を演じたのは、勝野洋の盟友・草刈正雄の娘・草刈麻有で、舞台は、大好評の内に幕を下ろしています。
テキサス刑事以外の勝野洋の代表作と言えば、得意の柔道を生かした「姿三四郎」です。ほかにも、NHK大河ドラマでは、近藤勇や井伊直政、丹羽長秀などの歴史上の人物を熱演しているほか、「仮面ライダーゴースト」にもレギュラー出演するなど、数えきれないほど多くの役を演じてきました。間もなく還暦を迎える年齢ですが、いつ見ても若さが感じられる俳優です。