久保健英がスペイン・FCバルセロナを退団した理由!海外の評価は?

久保健英がスペイン・FCバルセロナを退団した理由!海外の評価は?

久保建英がせっかくのスペイン・FCバルセロナを退団した理由とは?

久保建英(くぼたけふさ)といえば、ちょっとサッカーに詳しいスポーツファンならば、誰でもその名前を知っている有名人です。なぜなら、サッカーの超名門スペイン・FCバルセロナに入団して、しかも退団したという稀有な人物だからです。

しかも、まだ若干15歳という若さの久保建英。普通に考えれば、このままいけば、将来も、どんどんスペインで活躍できたはずなのに……と思ってしまうところです。しかし、FCバルセロナを退団した理由は、久保建英のせいではありませんでした。実は、2014年から、FIFAにより、外国人登録や獲得方法に問題ありという査察を受けていたスペイン・FCバルセロナ。違反行為としてチェックを受けていた契約選手の中には、久保建英も含まれていました。

これにより、FIFAの公式な裁定が降りるまでは、試合に出場できなくなった久保建英。伸び盛りの年齢なのに、公式戦で出場できず、実力を発揮する場所が持てませんでした。このために、両親と話し合った結果、久保建英は、日本に帰国してプレーする道を選びました。15歳にして、すでにスター顔負けのプロ意識です。

久保建英は15歳の若さで、海外ではどのように評価されているのか?

久保建英が、欧州サッカーのスカウトに最初に見初められたのは2009年。まだ川崎フロンターレのU-10組織に所属していた頃のことです。この年の久保建英は、ユース向けに開かれたFCバルセロナキャンプにて、MVPに選ばれました。その能力を高く買われ、2010年から2012年の間は、スペインのユースチームを渡り歩きます。

FCバルセロナの下部組織に所属してからも、得点王獲得や、優勝への貢献などから、久保建英の海外での評価は、非常に高いものでした。その後の久保建英の公式な評価は、2014年以降の契約問題で出場できなかった時代に途絶えてしまいました。しかし、チームで共にプレーしていた同年代の少年たちやコーチ陣からは、プレースタイルが、良い方向に大きく伸びたとの声があります。

また、メディアも、久保建英をニュースで扱うときは、「日本のメッシ」として取り扱うほどです。YouTubeなどでも、FCバルセロナファンら海外ビュワーから、高評価を受けている久保建英。サッカー好きなスペイン人の間では、もう知らない人もいないほどの人気者といって良いでしょう。

久保健英の身長体重、プロフィール!両親の職業や教育方針は?

久保建英の身長体重などフィジカル面や経歴を教えます!

久保建英は、サッカー選手といっても15歳とまだ若いですが、今後の成長をうらなう上でも、身長体重などのフィジカル面や、経歴が気になるところです。2001年6月4日生まれの久保建英の出身地は、川崎フロンターレのお膝元、神奈川県川崎市麻生区です。現在の身長は167cmで、体重は60kg。ミッドフィールダーとしてはやや小柄な体格ですが、成人男性に混じってプレーできるほどの身長の高さには成長しています。

まだ15歳ですから、フィジカル面では、今後の成長が期待できそうです。久保建英のサッカー選手としての経歴は、2008年にユースチームに入ってからは、国内では、2010年までがパーシモン、2011年までが川崎フロンターレU-10の所属でした。国外では、サッカーの超名門であるFCバルセロナに所属しています。2015年からは、FC東京のユースチームに所属している久保建英。

今や、FC東京で、第二種(ユースチーム)に登録されながら、Jリーグ公式戦に出場できる二種登録選手となりました。16歳の手前にして、すでにプロ選手という、大型というよりも、稀代のスター選手となっている久保建英。このまま成長すると、どのくらい上に上り詰めていくのか、全く見当もつきません。

久保建英の両親の教育方針はやはり特別なのか?

久保建英は、なんといってもまだ15歳です。サッカー界におけるスター中のスターとはいえ、どのような両親のもとで育ったのかが気になります。久保建英の父親は、紀州和歌山県の出身で、息子と同じようにサッカーをプレーしていたようです。筑波大学へと進み、サッカーを続けながら、スポーツ関係の学問を学んだようです。

その後は、ミサワホームに就職し、久保建英が生まれた後は、コミュニケーションするための道具として、サッカーを用いたといいます。その後の育て方もちょっとだけ独特です。久保建英の父親は、テレビは見せず、甘やかさず、外で遊ばせることを重要視しました。

また、常に毎週20冊の本を読み聞かせ、その内容を質疑応答することで、自分で考える癖をつけさせたようです。久保建英の母親は、そんな父親に、主婦として連れ添っています。FCバルセロナに入団が決まって渡西した際には、仕事のある父親を日本において、久保建英に同行したというのですから、家族への献身ぶりがうかがえます。

しっかりとした生活基盤と、子供を尊重した生活。こうした両親の方針があったからこそ、久保建英はここまで来られたのでしょう。

久保建英「日本のメッシ」が見据える未来とは!18歳でFCバルセロナに復帰か?

久保建英は、いかんともしがたい事情でFCバルセロナから離れてからは、FC東京のユースチームに所属。国内のさまざまなチームと対戦しながら、経験を積んできました。今年度は、FC東京にて、二種選手登録された久保建英は、その成長を確認しながら、J1のステージに出る可能性も、わずかながら存在することになります。とはいうものの、やはり大人との体格差やメンタル面での違いはあるはず。

J1からJ3というリーグ構成の中、最初は一番下となる、J3への出場が予想されます。Jリーグの節も残りわずかとなっていますが、どこかで出場するチャンスがあるでしょう。また、東京オリンピックが開催される2020年には19歳ですから、彼を主軸としたオリンピック代表日本イレブンが結成され、メダル獲得へ挑戦するという将来も描けます。

4年後と先は長いようですが、若い久保建英にとっては、日々が成長で、あっという間に過行く期間となるでしょう。さらにうれしいことには、18歳を過ぎれば、FCバルセロナに復帰できる可能性もあることが、当時の契約内容から分かっています。18歳になった久保建英は、おそらくFCバルセロナに戻り、順調に行けば、そのまま海外組として、日本の中盤を担う大選手としての経験を積むことができそうです。

サッカー日本代表の未来の大スター久保建英は、日本のサッカー史を塗り替え続ける「日本のメッシ」となること間違いなしでしょう!

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