倉田真由美は息子と別居中?!結婚した叶井俊太郎はだめんず夫だった!

倉田真由美は息子と別居中?!結婚した叶井俊太郎はだめんず夫だった!

倉田真由美は息子と別居中?!定期的に福岡の実家に会いに行っていた!

倉田真由美は、1971年7月生まれ、福岡県出身の漫画家です。倉田真由美といえば、「だめんず・うぉ〜か〜」を思い出す方は多いことでしょう。「だめんず・うぉ〜か〜」は、週刊誌「SPA!」で、2000年から2013年まで連載されていた、だめ男(「だめんず」)とばかりつきあってしまう女性を描いた作品です。「だめんず」という新しい言葉を生み出して世の中に広めた倉田真由美ですが、28歳の時に最初の結婚をして授かった息子と、現在別居中だといわれています。

倉田真由美の代表作「だめんず・うぉ〜か〜」の連載が始まったのは、2000年のことです。人気作品となったことから倉田真由美は、漫画以外の仕事も引き受けるようになります。しかし、忙しさからか、当時の夫と些細なことが原因でのケンカが絶えなくなり、結婚から1年半後に離婚しました。このとき、1歳半だった息子の親権は、倉田真由美が獲得しています。
2009年に、倉田真由美は、映画プロデューサーの叶井俊太郎と再婚し、第二子の女の子を出産。倉田真由美と息子は、叶井俊太郎と一緒に暮らすようになります。しかし、その後、息子はなぜか福岡にある倉田真由美の実家に預けられるようになりました。

倉田真由美のブログ「食べたり食べたり」では、ブログ開始から毎年、息子の運動会に行っていることが書かれています。夫・叶井俊太郎のブログでも、娘を連れて福岡の実家に戻る倉田真由美のことなどが綴られることがありました。しかし、叶井俊太郎は、息子と「1年以上会っていない」とも嘆き、自分だけ都内に残されることを寂しがってもいます。

愛称「くらたま」でも知られている倉田真由美は、中学時代はスパルタの学習塾に通い、九州の名門校の子どもたちとともに勉学に励んでいたといいます。その成績の優秀さは、中学3年生の時の模試において、福岡県で1位をとったことがあるくらいです。もちろん、高校は進学校に入学しました。その高校時代に少女漫画を読むようになった倉田真由美は、漫画家を目指し始めます。

大学受験のため上京しているときですら、漫画原稿をもって、出版社に持ち込んでいたというから驚きです。しかしこの時はデビュー叶わず、倉田真由美は、一橋大学に入学しました。一橋大学では、すでにプロ漫画家であった黒田硫黄の絵を見て、自分との実力差に愕然とし、いったんは漫画家になることを諦めます。その一方で、サッカー部のキャプテンに片思いをし、麻雀や恋愛に夢中になっていきました。そのためか、倉田真由美は大学を留年、就職活動にも失敗してしまいます。ところが倉田真由美が強いのは、その就職活動の失敗を漫画に描いて、「ヤングマガジン」ギャグ大賞で大賞を受賞してしまうところです。

倉田真由美が結婚した叶井俊太郎はだめんず夫だった!福岡の実家には「出禁」状態!

倉田真由美が再婚した叶井俊太郎は、どのような人物なのでしょうか。叶井俊太郎は、1967年生まれで東京都出身です。映画「アメリ」を日本でヒットさせたことで注目され、当時務めていた映画配給会社から独立し、映画配給会社であるトルネード・フィルムの社長となりました。

叶井俊太郎は、高校卒業後、放送関係の専門学校からハワイに留学、卒業し3年後に帰国します。ハワイ滞在中は、日本語放送局でDJのアルバイトをしていたそうで、帰国したあとは、知人の紹介でラジオ局のADとして働きます。しかし、そこで映画配給会社の存在を知り、映画業界へ転職。映画配給会社アルバトロスのグループ会社に入社したあと、アルバトロス株式会社のバイヤー兼宣伝担当になります。主に、B級C級映画を買い付けて宣伝を行っていたという叶井俊太郎と、「アメリ」とは繋がりませんが、実際、「勘違いして買い付けた」と述べています。

その後、叶井俊太郎は独立を果たすものの、自身が社長を務めるトルネード・フィルムは大赤字。社長から取締役に降格しました。そんな中、叶井俊太郎は倉田真由美と2009年に結婚。倉田真由美から多額の援助を受けるも、2010年4月に負債額が3億円となり、トルネード・フィルムは倒産、叶井俊太郎自身も自己破産しました。

倉田真由美が叶井俊太郎と出会ったのは、友人・中村うさぎの紹介だったといわれています。好きな漫画や映画について話し、マニアックな部分で意気投合した2人。倉田真由美は、叶井俊太郎と結婚していない段階で妊娠を公表し、その後、叶井俊太郎との結婚に至りました。このときの倉田真由美は、各メディアから、「だめんず・うぉ〜か〜」作者の倉田真由美が「史上最強のだめんず」である叶井俊太郎と結婚!という視点で報道されています。なぜ叶井俊太郎は「だめんず」と言われてしまうのでしょうか。

まず挙げられるのは、叶井俊太郎の女性遍歴のすごさです。一部では、「600人の女性」と関係を持ったともいわれ、離婚も3回の経験者。さらに、会社の倒産に自己破産という、お金の部分での問題もありました。それでも、叶井俊太郎自身は、自分を「だめんず」だとは考えていないようで、「モテ男だよ」とインタビューで答えています。

その女性遍歴の一部は、倉田真由美に漫画のネタにされるほど。倉田真由美は、「社長っていっても会社つぶれそうだし すごい借金抱えて 全然お金ないよ 生活費も私が出してるし」と、連載の中で、叶井俊太郎のダメっぷりを描いています。ま倉田真由美が援助した計700万円をそっくり使い込んでしまったため、一時は離婚も考えたと告白しているのは、叶井俊太郎の自己破産について描いている回です。

そんなことがあってか、叶井俊太郎は倉田真由美の実家から「出禁」状態に。福岡の家に年賀状を送っているものの、叶井俊太郎には年賀状が来ないのだとか。ただ、子育てには意欲的なようで、2016年9月のブログでは、叶井俊太郎が娘の小学校の父親たちと一緒に、毎年恒例の肝試しと花火大会を主催したと報告しています。肝試しには、妻・倉田真由美も娘と共に参加し、他の参加者たちからも好評を博したようです。

倉田真由美と西原理恵子は不仲なの?事務所所得隠し事件とは?

倉田真由美と西原理恵子は不仲なの?共通点がありそうでなさそうな2人の関係

倉田真由美は、西原理恵子は、どちらも女性ギャグ漫画家。しかも、どちらも自分の体験を語って作品を描く作家です。そんな2人の関係、一部で仲が悪いともいわれているようです。

西原理恵子は、1964年11月、高知県で生まれました。「ぼくんち」「毎日かあさん」などの作品で有名で、他に「人生画力対決」「鳥頭紀行」「恨ミシュラン」等、体当たりの企画で、読者からあつい支持を得ています。その人生は、波瀾万丈といえるもので、高校のとき飲酒をしたという学校側の言い分で退学処分を受けた後、大学入学試験検定に合格して武蔵野美術大学に入学しました。

しかし、大学入試の前日、義父がギャンブルで多額の借金をして自殺するという事件が起こります。美大卒業後、ギャンブル系の雑誌や漫画週刊誌に連載を持つようになった西原理恵子は、「ギャンブルマンガを描くには、実際に体験する必要がある」として、パチンコや、高レートの麻雀に熱中。10年間で、約5000万円の損失となりました。これについて西原理恵子は、「自分が負ける様子を描くほうが読者は喜ぶ」と語っています。

そして1996年、漫画の企画で知り合ったフォトジャーナリストと結婚し一男一女をもうけますが、彼がアルコール依存症であることと、西原理恵子自身が多忙になり離婚。後に、アルコール依存症を克服した彼と事実婚という形で復縁するも、2007年に死別してしまいます。

このとき、西原理恵子は、元妻として喪主を務めました。その後、高須クリニックの院長である高須克弥と交際を始めたことは有名です。2016年に「ダーリンは70歳 高須帝国の逆襲」を発売したことは、記憶に新しい方もいることでしょう。

倉田真由美が西原理恵子を意識したのは、西原理恵子の作品を読んで、「この程度なら私にも描ける」と思ったからだそうです。そこから、自身のだめな恋愛をネタに、「だめんず」とばかりつきあう女性を描いた「だめんず・うぉ〜か〜」を描いたのでした。

倉田真由美と西原理恵子の違いについて、倉田真由美の友人は、「くらたまは、『世間知らずな妄想少女』であったところが魅力」であり、「『高知のヤンキー少女』という視点で描き続けた西原理恵子は、ある意味では、少女期から老成した目を持っていた」のだと書いています。

では、倉田真由美と西原理恵子の関係は、実際のところ「不仲」なのでしょうか。倉田真由美のブログ「食べたり食べたり」では、友人・中村うさぎの名前は時々登場するのですが、西原理恵子の名前は今のところ出ていません。その一方で、倉田真由美は西原理恵子について、「尊敬する」「西原さんのほうが全っ然うまい。私の絵はヘタウマじゃなくて、本当にヘタなんです」と述べています。

対して西原理恵子は、倉田真由美について、「あんたの進んでる先に私はいないよ」と返しています。しかし、当人たちのやりとりはよそに、倉田真由美の作品を読んだ西原理恵子ファンの中には、倉田真由美が西原理恵子を馬鹿にするような言動が数カ所見られるということで、倉田真由美を快く思わない人たちも多いようです。

しかし不思議なのは、お互いの作品や著書の企画には、お互いが登場することがたびたびあること。西原理恵子の「西原理恵子の人生一年生2号」では、倉田真由美が、安野モヨコと共に西原理恵子のカヴァー漫画を描いています。また、お互いの悪口を言い合うように見えても、ギャグ漫画家同士が、ギャグ漫画という作品の中で限定して言い合っているケースが多く、単純に不仲とも言い切れません。

今のところいえるのは、「ものすごく仲が良いわけではないけれど、顔を合わせたくないくらい仲が悪いともいえない」というあたりではないでしょうか。

倉田真由美の事務所所得隠し事件とは?漫画制作会社「たまくら」の実情

倉田真由美が、所得隠しで世間の注目を集めたのは2006年のことでした。共同通信社による報道で、東京国税局の税務調査で、2005年4月期までの3年間に1800万円の所得隠しをおこなったと指摘されたという内容でした。倉田真由美の漫画のアシスタントは実際には数人しかいないところを60人ほどと偽り、人件費を水増ししていたということです。

当時、倉田真由美は、「漫画制作会社たまくら」の社長を務めていました。所得隠しが明らかになったのは、その「たまくら」時代のこと。報道関係者に詰め寄られた倉田真由美は、「(だめんず・うぉ~か~で)にわか収入があったのに、税務面をいいかげんにしていたところがあった。ご迷惑をお掛けした」「税理士に任せていたが、給与の支払い状況がずさんで、わたしも把握していなかった」と釈明しています。「たまくら」は、2005年12月に修正申告し、津調課税約600万円を支払ったとされています。

ここで西原理恵子の著書を読んだことがある方は、「あれ?」とお感じになる部分もあるかもしれません。実は西原理恵子も、自身が経営する「有限会社とりあたま」で、経費の水増しを行っていました。税務署が乗り込んできて調査が始まり、過去5年間にわたる税金と延滞税と罰則税の合計として請求された金額は、1億円になったといいます。

「誰が払うか!そんな金!!!」ということで、西原理恵子と税務署の戦いが始まるのですが、その中で、西原理恵子が経費を水増しした方法の1つが、アシスタント数の水増し。自身のアシスタントが30名以上在籍しているということについて税務署から突っ込まれた際は、「実は私、漫画が書けないんです!全員がゴーストライターなんです!!」と言い張ったといいます。

漫画家の経費の水増し手段の典型なのかどうかは分かりませんが、思わぬところにも倉田真由美と西原理恵子の共通点がありました。

倉田真由美は「インテリ美人」!各番組にも意欲的に出演中

倉田真由美は「インテリ美人」とよく言われます。2009年までは肩を少し過ぎるくらいの長さのワンレングスで、広くおでこを出すヘアスタイルでした。服装は全体的に落ち着いた色合いが多く、複数の色味がある服でも、同系色の組み合わせにまとめて着ている写真が目立ちます。

翌2010年になると、倉田真由美は、髪を切ってショートのワンレングスに。2009年から少しやせた印象もあり、黒いシャツなど、スタイリッシュな服がとてもよく似合っています。そして現在事務所にアップされている倉田真由美の画像を見ると、2010年のものよりも少し伸びたワンレングスで、ややお歳を召した落ち着いた雰囲気に変化。

倉田真由美のブログ「食べたり食べたり」でも、現在の倉田真由美の姿を垣間見ることはできますが、テレビなどでピシッとしている倉田真由美や、夫・叶井俊太郎とともに立つ倉田真由美の他に、「ふつうの」倉田真由美も見られて素敵ですよ。特に、ブログのヘッダー画像やプロフィール画像になっている海でフードをかぶった写真からは、素朴な魅力が伝わってきます。

そんな倉田真由美は、現在も各番組に意欲的に出演中です。TOKYO MX「バラいろダンディ」では、月曜日にレギュラー出演。大竹まことのラジオ番組「大竹まこと ゴールデンラジオ」では、火曜日のパートナーを務めています。他にも、2016年4月からは、AmebaTVのニュースチャンネル「AmebaNews」で、毎週土曜日20時から生放送されている「みのもんたのよるバズ!」へも出演中の倉田真由美。

いずれもコメンテーターという立ち位置で、「だめんず・うぉ〜か〜」で定着した、「だめんず」への手厳しいコメントや、女性と男性の関係性へのコメントを中心に活躍しています。番組のメインをはるには、多岐にわたるテーマでのトーク力がまだ……という部分はありますが、物怖じしないしない姿勢は、倉田真由美ならではのカラーといえるでしょう。

一橋大学卒業という学歴ながら、就職の失敗、そしてそれをネタに漫画デビューを果たし、人気を博してきた倉田真由美。もうだいぶ大きくなったであろう息子さんと、可愛い盛りの娘さんとともに、夫・叶井俊太郎と仲睦まじい夫婦として、今後も倉田真由美なりの生き方を発信していってほしいものです。

関連記事

ページ上部へ戻る