円広志が告白したパニック障害の病気による生き地獄とは?

2016年4月26日 更新

円広志が告白したパニック障害の病気による生き地獄とは?

円広志が告白したパニック障害とはどんな病気?

円広志は、1953年8月生まれのシンガーソングライターです。現在は、バラエティー番組にも数多く出演していますが、2015年5月に「パニック障害、僕はこうして脱出した」という書籍を出版して話題になりました。

円広志は1978年、第16回ヤマハポピュラーソングコンテストで「夢想花」がグランプリ受賞したことがきっかけでデビューしましたが、15年前に突然見舞われたパニック障害の症状によって芸能活動を休止。その後の長きに渡る闘病生活を書いた告白本が「パニック障害、僕はこうして脱出した」です。

円広志が見舞われたパニック障害とは、突然、めまいやふるえ、息苦しさに襲われ、このままでは死んでしまうという不安感や恐怖心にも悩まされるという病気です。多忙でストレスが多いサラリーマンなどにも発症している人が多いといわれています。

円広志は、パニック障害発症後、心療内科に通いながら治療に専念。15年の時を経て、ようやく症状が改善し、テレビの仕事にも復帰できるようにまでなりました。自身の体験を踏まえ、「パニック障害は必ずよくなる」というメッセージを伝えるためにこの書籍を出版したそうです。

円広志がパニック障害の病気で体験した生き地獄とは?

円広志は、ある日突然、早朝のテレビ番組に出演中に体がふらついて、天井がグルグル回っているように感じたといいます。その後も体調不良が続き、病院で脳検査まで行いましたが、その時点では原因不明との診断でした。

原因も分からない体調不良に苛まれる中、仕事を失いたくないという一念で、必死に仕事をこなしていた円広志でしたが、番組出演中に座っているだけでもふらつくなど、症状は悪化するばかり。不安や恐怖に襲われ大声で泣いたことも、「死んだほうが楽だ」「50歳までは生きられないかも」と思ったこともあったといいます。それほど、パニック障害というのはつらい病気なのですね。

実に闘病生活15年。長い長い生き地獄とも思える状況の中、普通に仕事ができるようになった円広志の頑張りには、励まされる方も多いのではないでしょうか。

円広志の嫁や娘の現在は?身長体重夢想花の印税、年収は?

円広志のパニック障害の治療を支えた嫁や娘の現在は?

円広志は、パニック障害の症状にある恐怖心や不安感が襲ってくると、洗い物をしている嫁の後ろにつかまって震えているような日々だったと語っています。ある時を境にすっかり変わってしまったパニック障害の夫を支えるべく、嫁もまたさまざまな葛藤を乗り越えてきたのかもしれません。円広志の復活は、家族の支えもあってのことなのでしょう。

しかし、円広志と嫁とは20年以上前から別居しているのだとか。20年以上ということは、別居は発症前から。しかし、嫁の誕生日には高額な腕時計などをプレゼントしているので、夫婦仲が悪いというわけでもないようです。円広志と嫁との間には、子供は2人いて、そのうちの1人は娘です。現在では、孫も3人いる円広志は、すっかりおじいちゃんですね。

娘に言ってはいけないことを言ってしまったという円広志は、娘から少々敬遠されているとも語っていますが、娘婿とは飲み友だちで仲がいいというから、家庭円満なのでしょう。

円広志の身長体重、気になる夢想花の印税は?年収はどれくらい?

円広志の身長は165cm、体重は65kgです。この年齢の男性としては普通といったところでしょうか。「とんで とんで とんで」と熱唱するパワフルな歌唱力は、この体型から生まれているのですね。

円広志は、自身が設立した「オフィスとんで」という大阪の芸能事務所に所属しています。円広志自身の曲は「夢想花」以外それほど知られていませんが、今でも「夢想花」のカラオケの印税が年間360万円くらいあるといわれています。

しかし、他にも作曲している曲を多数有する円広志。例えば、森昌子の「越冬ツバメは」も円広志の作曲です。この曲だけでも、カラオケによる印税が年間1200万円くらいあるのではないかと言われている円広志。それ以外のテレビ番組やCM、主題歌として提供した楽曲の印税を合わせると、年収としては数千万にものぼるのでしょうか。かなりの額になるものと思われます。

円広志が泣きながら全番組降板後の闘病生活を赤裸々に告白

円広志は、2015年5月に「パニック障害、僕はこうして脱出した」を詩想社から出版しました。同じようにパニック障害で苦しんでいる方々の励みになればいう思いで、自身の闘病生活を書き綴った著作です。

15年前に突然発症したパニック障害により、襲ってくるめまいや「このまま死ぬのではないか」という恐怖心など、さまざまな症状に苦しみ抜いた円広志。テレビ番組のすべてを降板したのは、外出もままならなくなったからでした。最後には、マネージャーに泣きながら、全仕事のキャンセルを申し出るしかないところまで追い詰められたと、そのつらい経験を赤裸々に告白しました。

円広志は、現在、普通に仕事をこなしていますが、パニック障害が完治したというわけではありません。1日1回薬も服用していますし、体調がよくないときには「夢想花」を歌ったり、お酒を飲み、パニック障害のことを忘れることで元気になれると言います。焦る気持ちを抑えて、少しずつ無理をせずに仕事を増やしてきたことがよかったのかもしれません。

今は「パニック障害」を患っていたということを本人の口から聞かない限り、そんなに苦しんでいたなんて分からないくらい元気な姿を見せてくれている円広志。これからもマイペースで、楽しく番組を盛り上げてほしいですね。

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