三船敏郎の家系図を追う!三船美佳の母との関係は?

三船敏郎の家系図を追う!三船美佳の母との関係は?

三船敏郎の晩年を汚した喜多川美佳との四半世紀に及ぶ不倫関係

三船敏郎は、俳優としての名声とともに、晩年の泥沼不倫が有名です。三船敏郎の結婚は意外に早く、1950年、30歳のときのこと。東宝第一期ニューフェイスで同期だった女優・吉峰幸子と結婚し、長男の史郎、次男の武志をもうけます。1970年頃まで、20年近くは、それなりに夫婦生活が続いていました。しかし、家庭内での三船敏郎は、亭主関白で酒乱。DVは当たり前の、極めて古いタイプの男性だったようです。

三船敏郎は、年々酒乱がひどくなり、とうとう妻である幸子に家を追い出されてしまったとか。三船敏郎は、以後数回、幸子夫人に離婚を申し立てますが、彼女は、死ぬまで離婚を決して承知しませんでした。そんな離婚訴訟の最中、三船敏郎は、自身の設立した「三船プロダクション」に所属する、自分より28歳も年下の女優、喜多川美佳と不倫関係に陥ります。

三船敏郎が御年62歳の時に生まれた女の子は泥沼離婚劇を演じた三船美佳

三船敏郎の不倫相手であった女優の喜多川美佳は、なんと、長男の三船史郎の2つ年上なだけでした。三船敏郎は、この若い愛人に溺れ、1982年、62歳の時、ついに女の子が生まれます。この女の子こそ、歌手の高橋ジョージとの泥沼離婚劇で話題となった、三船美佳です。ちなみに三船美佳は、まだ16歳の時、24歳も年上の高橋ジョージと結婚しています。

離婚もできないまま、喜多川美佳との不倫関係が続いていた三船敏郎は、さすがに心労が重なったのか、1992年、心筋梗塞で倒れました。すると、喜多川美佳が一方的に愛人関係を精算。三船敏郎は、看病を希望した幸子夫人の元に戻り、ここに、四半世紀に及ぶ不倫関係が解消されました。そして、1995年には本妻の幸子夫人が、1997年には三船敏郎が、この世を去ることになります。

三船敏郎に映画「スター・ウォーズ」出演オファーが!?海外の反応は?

三船敏郎にジョージ・ルーカスがオファーした超人気シリーズの役柄とは?!

三船敏郎は、2016年、ハリウッドの殿堂入りを果たしましたが、ハリウッドをはじめ、海外においては、黒沢明監督と共に、日本人俳優として高い評価を得てきました。実は、ジョージ・ルーカス監督が、「スター・ウォーズシリーズ」第1作目を制作する時、オビ=ワン・ケノービ役をオファーしたというのは、有名な話です。三船敏郎は、子供だましのSF映画程度にしか思わなかったらしく、即座に断ったといいます。

結局、オビ=ワン・ケノービ役は、イギリスの名優、アレック・ギネスに決まりました。ジョージ・ルーカス監督はなおも食い下がり、ならばダース・ベイダーの役はどうかと、あらためてオファー。しかし、やはり返事はノーだったそうです。ジョージ・ルーカス監督は、もし三船敏郎がダース・ベイダー役を受けていたら、仮面はつけさせなかったと語っていたという話もあります。

三船敏郎がオファーを受けていたら全く違った作品になっていたかもしれない「スター・ウォーズ」

三船敏郎は、1960年代の終わりになると、たしかに「太平洋の地獄」や「レッド・サン」といった海外映画に出演しましたが、興行的には決して成功したわけではありませんでした。一方の「スター・ウォーズ エピソード4/新たなる希望」の公開は1977年。

もし、三船敏郎が、オビ=ワン・ケノービ役、あるいはダース・ベイダー役を受けていたら、スター・ウォーズシリーズは、今とは全く違ったものになっていたでしょう。そして、三船敏郎自身の晩年の人生もまた、泥沼不倫に陥ることなく、映画人として、さらに世界に羽ばたいていたことも間違いありません。

三船敏郎と黒澤明監督の新たなエピソードを見出した日系アメリカ人によるドキュメンタリー映画「MIFUNE:THE LAST SAMURAI」

三船敏郎の再評価は、ハリウッドだけでなく、アメリカのインディーズ映画界にも広がっています。2016年には、日系アメリカ人のスティーブ・オカザキ監督による映画「MIFUNE:THE LAST SAMURAI」が公開されました。内容は、黒澤明監督、三船敏郎主演の「羅生門」「七人の侍」「用心棒」など名作の貴重映像と、当時2人と親交のあった俳優やスタッフたちの豊富なインタビューで構成されたドキュメンタリー。

これまで知られていなかった2人のエピソードが語られ、話題となりました。スティーブ・オカザキ監督の取材によると、撮影現場での三船敏郎は、非常に謙虚で、撮影スタッフにも誠実であったとされています。これは、一兵卒として経験した、戦争体験によるものだったそうです。

また、「赤ひげ」以降、三船敏郎が、黒澤監督の映画に出演しなかったのは、決して仲たがいしたわけではなかったという説をとっています。三船敏郎は、黒澤作品に出演したかったけれども、自ら起こした「三船プロダクション」を維持する上では、長期の拘束もやむを得ない黒澤作品に出演することは不可能だったと説明しました。

いずれにせよ、日系人という独自の視点から描いた、黒澤明監督と俳優三船敏郎の関係性は、たいへん新鮮です。2人を知らない若い世代にとっても、彼らの偉大な業績を知る上で、非常に分かりやすい作品となっているのではないでしょうか。

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