2020年7月2日 更新
美馬学の妻はラテンパーカッションバンド「BON-BON BLANCO」の元メンバー!?
◆出身:茨城県
◆身長・体重:169cm・75kg
◆出身校:中央大学
◆ポジション:投手
◆所属チーム:千葉ロッテマリーンズ
美馬学の嫁はハーフタレント!2019年に子供が誕生!
美馬学(みままなぶ)が2019年のシーズンオフ、FA宣言により楽天イーグルスから千葉ロッテマリーンズに移籍しました。ピッチャーとしては小柄ながら、平均時速144キロのストレートを主体に、シュート、カーブ、フォークといった変化球を織り交ぜるピッチングで先発ローテーションを支えてきた主力投手の移籍は、楽天ファンには衝撃の出来事だったのではないでしょうか。
新天地での活躍が期待される美馬学ですが、彼の嫁はラテンパーカッションバンド・BON-BON BLANCO(ボンボンブランコ)のヴォーカルだったことはご存知でしょうか。美馬学の嫁、サントス・アンナはスペイン系アメリカ人の父親と日本人の母親を持つクォーターで、タレント、女優として活動しています。
国籍はアメリカですが、生まれも育ちも日本のため英語は話せないというサントス・アンナ。母親がファンだった宝塚歌劇団の男役トップスター・安奈淳(あんなじゅん)が名前の由来なのだそう。子供の頃から芸能活動を始め、女優としては主にュージカルなどの舞台で活躍。2002年に結成されたBON-BON BLANCOが2009年5月に活動を休止した後は「日立 世界・ふしぎ発見!」のミステリーハンターを務めるなどタレント業をメインに活動し、女優としてドラマ出演の経験もあります。
そんなサントス・アンナは美馬学と共通の知人による紹介で出会い、3年間の交際期間を経て2014年1月に結婚を発表。2019年10月に待望の第一子となる長男が誕生しました。
美馬学の嫁は「ワンピース」の主題歌を歌っていた!
サントス・アンナは、2002年から2009年まで活動していた女性5人組のラテンパーカッションバンド・BON-BON BLANCOのヴォーカルを担当していました。グループ名の由来は、スペイン語で「イケてる」の意味を持つ「BON BON」と、「じゃじゃ馬」の意味を持つ「BLANCO」を組み合わせた造語です。南青山少女歌劇団の妹グループ・Nansho Kids(ナンショー・キッズ)のメンバーから4人をオーディションで選抜し、サントス・アンナを加えた5名で2002年5月から活動を開始しました。
楽器はパーカッションのみという珍しいバンドとして注目を集めたBON-BON BLANCOは、デビュー前から様々な音楽雑誌で紹介されています。初期のステージではパーカッションがアマチュアレベルだったため、全員でダンスを披露するという苦肉の策もありましたが、徐々にパーカッションを使いこなせるようになり、本来のラテンパーカッションバンドとしてのスタイルを確立しました。
そんなBON-BON BLANCOは、2004年1月14日にリリースした6枚目のシングル「BON VOYAGE!」が人気アニメ「ONE PIECE(ワンピース)」のオープニングテーマに選ばれ、オリコン初登場8位のヒットを記録したことで一躍知名度がアップします。しかし、2008年5月にメンバーのIZUMIが脱退。以降も4人で活動を継続しますが、翌2009年2月に活動休止を発表。同年5月に開催したライブを最後に、それぞれ別の道を歩むことになりました。
活動休止という形ではありましたが既に10年以上が経ち、芸能活動をしていないメンバーもいることから、グループは実質的な解散状態となっています。
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美馬学の経歴やプロフィールを紹介!
美馬学の経歴はケガとの闘いの連続だった!社会人野球ではクローザーとして活躍!
美馬学は1986年9月19日生まれ、茨城県取手市の出身です。ニックネームは「ダックス」。身長とバランスがとれないほど逞しい60cmの太ももに、足が短いというビジュアルがミニチュアダックスフントに似ているという理由で、元楽天のチームメイトだった田中将大が名付けたのだとか。
そんな美馬学は中学で軟式野球部に所属し、全国中学校軟式野球大会でベスト8入り。茨城県立藤代高校では1年からレギュラーとして活躍し、2年の春にはセンバツ出場も果たしました。大学は、東都大学リーグで何度も優勝している強豪・中央大学に進学。肘の手術を二度にわたって受ける苦難も味わいましたが、4年の時にはリーグ優勝に貢献する活躍を見せ、大会MVPを受賞しています。
大学卒業後は社会人野球の強豪・東京ガスで抑えとして活躍。大学時代から度々ケガに悩まされながらも、速球で抑えることも変化球で打ち取ることもできる技術がプロの目に留まった美馬学は、2010年10月のプロ野球ドラフト会議で楽天イーグルスから2位指名を受け、プロ入りを果たします。楽天と合意に至った契約条件は、契約金7000万円、年俸1200万円と推定されています。
美馬学の転機は先発転向!2013年は楽天の日本シリーズ初Vに貢献
美馬学はプロ入り後9年間で185試合に登板し、51勝60敗5ホールド、防御率3.82、そのうち先発登板は160試合で8完投2完封、700奪三振という通算成績を残しています。最多勝率、最多奪三振などといった投手のタイトル獲得はありませんが、プロ1年目に右肘の痛みで二軍に降格し、治療に3ヶ月を要した他には一時的な不調はあるものの、長期間戦線を離脱することなく投手陣のローテーションを支えています。
2012年シーズンからは肘に負担がかかるリリーフから先発へ転向したことも、美馬学の活躍につながりました。このシーズンは開幕間もない時期から1軍に合流し、先発ローテーションの一角として8勝を挙げています。翌2013年は好調と不調の波が激しく、シーズン終盤まで度々1軍登録抹消されながらも先発で6勝をマーク。千葉ロッテマリーンズとのクライマックスシリーズ、巨人との日本シリーズでは好投を見せ、楽天の球団史上初となる日本一に貢献。日本シリーズでは無失点の内容が評価され、MVPに選ばれました。
2017年シーズンには初の開幕投手を務め、キャリアハイの11勝をマーク。2018年は右肘の不調と手術によるリハビリもあって2勝に留まりましたが、2019年シーズンには復調し、開幕から先発ローテーションに定着。8勝を挙げました。何度も手術を受けている右肘が万全であれば、2桁勝利を数回記録していてもおかしくない力量を持つ美馬学。新天地での飛躍が期待されます。
美馬学が好投!9回で完全試合、ノーヒットノーランを逃していた!?
美馬学が悔恨の四球に反省の弁、初の完全試合が目の前でスルリ
2019年シーズン、美馬学は先発陣が足りない中でローテーションを守り、8勝を挙げました。この勝ち星の中に、あわやノーヒットノーラン、さらには完全試合も達成する可能性があった1勝が含まれています。
7月19日に本拠地楽天生命パークで行われたソフトバンク戦に先発登板した美馬学は8回までランナーの出塁を許さない好投を見せ、球団初、NPBにおいても令和初の完全試合達成が見えていました。しかし、期待とプレッシャーを背負って臨んだ9回、先頭打者にフォアボールを与えて完全試合は消滅。さらに次の打者にヒットを許し、ノーヒットノーランの達成も逃すことに。なんとか後続を断ち、このシーズンではチーム初の完投勝利を記録したものの、大記録を逃した悔しさの残る登板となりました。
9回に初めてランナーを許し、完全試合を逃したケースは7年ぶりなのだそう。「完全試合やっちゃうんじゃないかと思ったけど、9回はプレッシャーだった」と振り返った美馬学は、先頭打者へのフォアボールを「一番ダメですね」と反省しきりでした。
美馬学がFAで千葉ロッテへ!移籍を決めた理由とは?
2019年シーズンオフにFA権を行使し、去就が注目されていた美馬学の千葉ロッテ入りが発表されました。先発を任せられるピッチャーとあって巨人とヤクルトも獲得に乗り出し、残留を求める楽天もあわせて4球団が争奪戦を繰り広げる中での移籍となりました。
美馬学は出来高含め3年で年俸総額5億円超と推定される条件でロッテとの契約に合意していますが、移籍を決めた最も大きな理由は高額な年俸ではなかったようです。ロッテは美馬学に対し、何度もメスを入れている右肘への万全な医療サポートに加えて、2019年10月に生まれた第一子のことを考え、家庭環境が重視されるよう配慮することも条件として提示したとされています。巨人が提示した年俸や契約年数もロッテと同じだったというので、金額面だけではない選手のケアでロッテに軍配が上がったということなのでしょう。
背番号も楽天時代と同じ「15」に決定。この背番号は母親の誕生日に由来するもので、美馬学にとっては強い思い入れのあるものです。楽天時代、プレッシャーを感じるほどだったというロッテファンの応援にも好印象を持ったという美馬学。コロナウィルスの感染拡大による開幕延期と自身の不調で内定していた開幕投手は逃したものの、開幕直後の6月21日に行われたソフトバンク戦で好投を見せ、移籍後初の勝ち星も挙げました。若手中心の千葉ロッテ投手陣にあって、これまで彼が培った経験値が大きく期待されています。
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