長岡亮介は元東京事変のギター浮雲!椎名林檎や星野源から愛される理由とは?

長岡亮介は元東京事変のギター浮雲!椎名林檎や星野源から愛される理由とは?

長岡亮介が浮雲として東京事変に加入!

長岡亮介(ながおかりょうすけ)は、ペトロールズという3ピースバンドのギターボーカルです。とはいえ、東京事変のギタリスト浮雲という名前のほうが広く知られているかもしれません。浮雲という名前の由来は、長岡亮介が雲のようにほわほわしているからだと明かしたのは、命名した椎名林檎です。

学生時代に、ソロシンガーで椎名林檎の実兄である椎名純平のバックバンド「The Evil Vibrations」のギタリストに自ら志願した長岡亮介。その後、椎名純平のライブを観に来た妹の椎名林檎に才能を見出され、次第に、彼女の率いる東京事変のデモテープや新曲のレコーディングでギターを弾くようになりました。

その後、東京事変の初代ギタリスト脱退に伴い、半分嫌々ながら2代目ギタリストに就任した長岡亮介。2012年に東京事変が解散した後も、椎名林檎のお気に入りメンバーとしてステージに呼ばれています。

長岡亮介が椎名林檎や星野源の心をつかんで離さない理由とは!?

椎名林檎・椎名純平兄妹の他にも、数多くのミュージシャンに愛されている長岡亮介は、星野源や野田洋次郎(RADWIMPS)など、さまざまなアーティストの作品にも参加しています。バンド活動をしていた父親が好んでいたブルーグラスやカントリーミュージックには、幼い頃から親しんでいたという長岡亮介。そのため、10代で、プロのカントリー歌手の後ろでギターを弾いていたという異色の経歴を持っています。

その独特なバックボーンから奏でられるギターの音色は唯一無二と言えるでしょう。楽曲に華を添える一方で、長岡亮介は、椎名林檎に「生まれ変わったら浮雲(長岡亮介)になりたい」と言わせるほど、ステージ上でカリスマ性を放ちます。また、椎名林檎によって歌声も高く評価されているため、紅白歌合戦やリオデジャネイロパラリンピック閉会式などの大舞台では、たびたびボーカルとしても活躍してきました。

同様に入れ込んでいるのは、2013年のレコーディングから長岡亮介をサポートギターに指名している星野源です。そのほれ込み具合は、「長岡亮介に抱かれたい」と公言するほどです。

長岡亮介がペトロールズを結成した理由が意外だった!結婚、子供はいるの?

長岡亮介がペトロールズを結成した理由が意外だった!

長岡亮介が2005年にペトロールズを結成した理由は、東京事変への加入がきっかけだったと言います。サポートメンバーとしてギターを弾き、バンドメンバーとして求められる役割を全うしたりする仕事だけでは、どうしてもフラストレーションが溜まるため、うっぷんを晴らすために自分のバンドを持つことにしました。

メンバーは、長岡亮介の高校時代からの友人ドラマー河村俊秀と、憧れのベーシストである三浦淳悟。3ピースにしたのは、トリオの振り幅の大きさや機動力、シンプルなカッコよさを求めた結果だとか。バンド名の「ペトロールズ」は、イギリスでガソリンを意味しており、“人間のガソリンは音楽だ”という発言で星野源を痺れさせたこともある長岡亮介。

椎名林檎から依頼されるまでボーカルとして歌ったことはなく、作詞作曲も椎名林檎に勧められて始めたことだと明かしていますが、ペトロールズではボーカルも作詞作曲も完璧にこなしています。

長岡亮介の「嫁のインスタグラム」が話題に!結婚、子供はいるの?

長岡亮介は、ペトロールズのライブが子供同伴可になったり、嫁や子供の目撃情報があがったりしていることから、結婚して子供がいると噂されています。「長岡亮介の嫁のインスタグラムだ」と囁かれているアカウントも存在しますが、ツーショット写真の掲載などはないため確証はありません。

建築学専攻で大学を卒業した長岡亮介は、建物をはじめ、自転車や車などの乗り物や使用ギター、眼鏡等のファッションにも独特のこだわりがあるようです。たとえば長岡亮介の愛車遍歴は、20歳の時に購入したスズキのジムニーに始まり、シトロエンのヴィンテージカーの深緑色と赤色、シトロエン・アミと、昔の車を乗り継いできました。

現在も、三菱パジェロJトップと、これまた古い車に乗っている様子です。また、ファッションにおいては、“かぶらない個性”を重要視していて、古着屋で洋服を探すのもお薦めだと語っています。

長岡亮介と「赤坂COUNTRY HOUSE」で会える?!これからやりたい“遅い音楽”とは?

2005年に結成された長岡亮介率いるペトロールズですが、ライブのない期間が長かったり、CD販売は会場の物販コーナー限定だったりと、独自のペースで活動してきました。結成10年経って、ようやく全国に流通する初のアルバム「Renaissance」がリリースされています。

こうした活動を振り返って、「リリースや締め切りなどに一切追われることなく、好きな音楽を自分たちの望むペースでできている」と語った長岡亮介。さらに、「仲間やスタッフに恵まれている今の環境が最高に幸せ」とも述べています。長岡亮介が作るペトロールズの音楽性は、結成初期はロックな感じでしたが、年数を経てシンプルになってきました。

2008年の曲「ホロウェイ」のあたりからは、音数が減り、楽器ではなくコーラスで埋めていくという独特なスタイルが完成。「CDは単なる記録でしかない」ときっぱり言い切る長岡亮介の神髄はライブでの演奏にこそあると言えるでしょう。ペトロールズのライブチケットは入手困難な場合もありますが、「赤坂COUNTRY HOUSE」というカントリーミュージックのお店のバンドメンバーにも名を連ねているため、毎月1日以上はステージに立っています。

出演者もお客さんもお酒を飲みながら一緒にカントリーを歌って楽しめるお店なので、3ステージ目には酔っ払い過ぎてチューナーの針がまともに見えないほどリラックスした、長岡亮介の姿が見られるそうです。長岡亮介のルーツである、カントリー音楽を奏でて歌う姿を至近距離で見られる赤坂のカントリーハウスは、ファン垂涎の穴場かもしれません。

これからは「リスナーが自分から入ってこられるような余白のある、ゆっくりとした“遅い音楽”をやっていきたい」と明かしている長岡亮介。サポート演奏や楽曲提供、プロデュースなども含めた彼の幅広い活躍からはこれからも目が離せません。

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