財津和夫はチューリップの天才メロディメーカー!あの松田聖子の名曲も!

財津和夫はチューリップの天才メロディメーカー!あの松田聖子の名曲も!

財津和夫はチューリップの天才メロディメーカー!作曲家としての才能はチューリップにとどまらなかった!

財津和夫は、1948年生まれのシンガーソングライターで、ほかにも、作曲家、音楽プロデューサー、ラジオDJ、俳優と、さまざまな領域で活躍しています。また、1971年に結成され、メンバーの入れ替えや一時的な休止などを繰り返しながら現在に至るバンド「チューリップ」のリーダー的存在としても有名です。

「チューリップ」の楽曲のうち、「サボテンの花」や「心の旅」などの人気曲はもちろんのこと、大半の作詞・作曲を手掛けている財津和夫は、バンド活動にとどまらず、ソロでも広く活躍してきました。松田聖子や中森明菜、藤井フミヤをはじめとする有名アーティストへの楽曲提供も数多くあります。さらに、NHK「みんなのうた」に採用された「切手のないおくりもの」(1978年)が小学校で使われている歌集に掲載されるなど、日本を代表する天才メロディメーカーの1人です。

財津和夫は有名アーティストへ楽曲を提供!あの松田聖子の名曲も!

財津和夫は、これまでに、数々のアーティストへ、多くの楽曲を提供してきました。松田聖子や中森明菜、早見優といったアイドルから、藤井フミヤや森山良子、倉木麻衣、嘉門達夫といったシンガーソングライターなど、歌い手の年代も歌唱ジャンルも幅広く手がけています。その中でも、松田聖子への楽曲提供数が最も多い財津和夫。1981年に手掛けた「チェリーブラッサム」や「夏の扉」「白いパラソル」は、いずれもオリコンチャート1位を獲得し、松田聖子は、これをきっかけにアイドルとして一躍有名になりました。

財津和夫が後日談として明かしたところによると、松田聖子に提供した楽曲は、もともと「チューリップ」でボツになったものだったとか。「歌手次第ではボツの曲も売れる」と考え、歌手の実力そのものを評価していたという財津和夫。アイドル時代の松田聖子の実力も、当時から的確に判断していたのでしょう。

財津和夫と小田和正の関係が気になる!結婚やプロフィール情報は?

財津和夫と小田和正の関係は!?ライバル、それとも親友!?

財津和夫が「チューリップ」の音楽活動で軌道に乗っていたのと同時期に人気のあったバンドに「オフコース」があります。財津和夫と、「オフコース」のボーカル小田和正は古い友人で、昔はよく2人でゴルフに行っていたそうです。ともに稀代のメロディメーカーである2人の出会いは、1969年に行われた「ヤマハ・ライト・ミュージック・コンテスト」全国大会でした。

財津和夫は、小田和正が所属する「オフコース」は自分の憧れだったと語っています。その証拠に、財津和夫は、オフコースのファンクラブの第一期会員だとか。尊敬の念を持ちつつ、仲の良い関係を続けてきた2人ですが、人気のあった者同士、無意識にお互いを高め合っていた部分もあるはずです。

財津和夫のプロフィール情報!結婚はしているの!?

財津和夫は、福岡県福岡市出身で、5人兄弟の末っ子として生まれますが、長男と次男は財津和夫が生まれる前に亡くなっており、3人兄弟として育ちました。「和夫」という名前は、福岡の自宅近くにあった昭和鉄工の「和」の字から付けられたとか。子供の頃からアメリカに憧れる気持ちが強かった財津和夫は、洋画を観ることも多かったほか、高校時代になると、洋楽にはまっていきました。

好んだのは、当時一世を風靡していたイギリスのロックバンド・ビートルズです。福岡県立香椎高校に入学後はブラスバンド同好会に入り、アルトホルンを担当。財津和夫が常に携えている印象のあるギターは、独学で学んだものです。高校卒業後は、一年浪人する形で西南学院大学法学部に進学します。大学時代に出会った吉田彰と一緒に、和製ビートルズを目指して、1969年、チューリップの前身となる「ザ・フォーシンガーズ」を結成しました。1971年に、バンド名を「チューリップ」に改名しています。

財津和夫は、11歳年下の女性と結婚しています。もともと結婚に対して前向きではなかった財津和夫ですが、彼女の従順さに惹かれて結婚を決断したそうです。

財津和夫と財津一郎は遠い親戚だった!?財津和夫自身も驚きを隠せず!

財津和夫は、同じ九州出身で名字も同じ財津一郎とつながりがあるのでは?と以前から噂されていました。しかし、それを確かめる術もない中、2016年に放送されたNHK「ファミリーヒストリー」を通じて、明らかになりました。そして、財津和夫は財津一郎と遠い親戚関係であったそうです。

何度も「財津一郎とつながりがあるのでは」とコメントしていた自らの過去を振り返りつつ、あくまでも冗談半分で、本当にそうだとは思っていなかった財津和夫も、さすがに驚きを隠せませんでした。同時に、財津一郎のファンでもあったようで喜んでもいます。

NHK「ファミリーヒストリー」によると、財津和夫の祖父である緒方民平が小学校に通うきっかけを作ってくれた恩師が亡くなり、跡取りも死亡したことによって、次男である緒方國平(財津和夫の父)に跡を継がせたことから、財津姓を名乗ることとなったといいます。そうして財津一郎の家系にもつながりを持つのですが、事情をまったく知らなかった財津和夫は、親戚がみな緒方姓にも関わらず、自分たちだけ財津姓であることに違和感があったと、調査結果に驚くことしきりでした。

天才メロディメーカーとされながらも、自身の系譜を明かす情報番組に出演するなどオープンなスタンスの財津和夫。コメントから伝わってくるユーモラスな一面を知ると、1970年代から音楽シーンの第一線に立ち、変わらない活躍ぶりでファンから愛され続けている理由が分かる気がします。

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