松任谷由実のプロフィールと経歴!紅白辞退の衝撃の理由!夫へ出した唯一の結婚の条件とは?


松任谷由実のプロフィール
生年月日:1954年1月19日
出身:東京都
身長:164cm
血液型:O型
所属事務所:ユニバーサルミュージック/EMI Records

松任谷由実のざっくりプロフィール!

実家は老舗の呉服店! 出身は多摩美の日本画専攻!

松任谷由実(まつとうや・ゆみ)は1954年1月19日生まれの歌手です。

東京都八王子市で1912年から続く老舗の呉服店・荒井呉服店の第4子として生まれました。兄と姉、下に弟が1人いるようです。(第1子は終戦直後に生まれ、栄養失調で夭逝)

多摩美術大学美術学部絵画学科の日本画専攻卒業、と意外な経歴ですが、松任谷自身が6歳からピアノ、11歳から三味線、14歳からベースを弾くなど、私生活で常に音楽に触れていたようです。また2018年4月14日放送の「SONGS」(NHK)では、同じく出身校である立教女学院にあったパイプオルガンに強い影響を受けたと話しています。

松任谷由実のデビューとブレイクまでの道のり 引退を考えた過去とは?

松任谷由実は、1972年18歳のときに旧姓である荒井由実(あらい・ゆみ)としてシングル「返事はいらない」で歌手デビューしました。翌年11月にファーストアルバム「ひこうき雲」を発売。TBSラジオの深夜放送番組「パックインミュージック」で、当時、金曜日第2部を担当していた林美雄の絶大な支持を受けて知名度が急上昇!1974年より本格的にステージ活動を開始しました。

こちらのアルバムに収録されている名曲「ひこうき雲」は2013年に放映された宮崎駿監督のジブリ映画『風谷ちぬ』で主題歌としても使用されました。映画で知った、懐かしく思った方も多いのではないでしょうか?

1975年10月にリリースした「あの日にかえりたい」が初のオリコンチャート1位を獲得、1976年のシングル年間ランキング第10いのヒット曲となり、歌手として輝かしい第一次ブームを迎えました!

荒井由実から松任谷由実へ 輝かしい経歴をチェック!

同年12月に結婚した際には、引退するつもりだったそうですが、専業主婦で納まらなかった彼女は結婚後の名前である松任谷由実として活動を再開しました。松田聖子、小林麻美などに楽曲を提供しながら、自身のアルバムもぞくぞくと製作。「埠頭を渡る風」「恋人がサンタクロース」「DESTINY」などの名曲は、この頃に作られました。

1981年6月にリリースしたシングル「守ってあげたい」が1981年のシングル年間ランキング第10位のヒットとなり、第二次ブームが到来!アルバム「昨晩お会いしましょう」以降、、アルバムが17枚連続でオリコン1位を獲得!1978年のアルバム「ダイアモンドダストが消えぬまに」が78万枚、1988年のアルバム「Delight Slight Light KISS」が159万枚、1990年のアルバム「天国のドア」が200万枚を売り上げるなど、日本を代表する歌手へと一気に階段を駆け上がります。

ライバルは中島みゆき!NHK紅白にでなかった驚愕の理由が明らかに?!

1987年に放映された原田知世主演の映画『私をスキーに連れてって』の主題歌と挿入曲を担当し、「若者のカリスマ」「恋愛の教祖」と呼ばれるほどに!このころから、松任谷由実=ラブソングというイメージがついたようですね。

同じころにヒットしていた、歌手の中島みゆきに対しては、公式の場でライバルだと語っているそうです!曲の作風も雰囲気も違うふたりですが、お互いのラジオ番組で、時には毒舌を交えながらもエ―ルを送り合うという強い繋がりがあるようですね。

輝かしい経歴や、素晴らしい戦友をもつ松任谷由実ですが、歌手の憧れのステージである「NHK紅白歌合戦」に初出演したのは、2005年!ずいぶん最近のように思えますが、実は何度も出演の依頼を辞退していたそうです。その理由としてファンの間で言われているのは…なんと「年末は家でおせちをつくるので辞退」という理由!!超大物歌手にして衝撃の理由ですが、たしかに年末年始は家でゆっくりと過ごしたいですよね!

2005年の初出場後は、サプライズ出演も含め、2018年までに同番組に4回出演しています。その年のおせちは無事作ることができたのでしょうか?気になるところです…!

松任谷由実の私生活を調査!夫・松任谷正隆とのなれそめは?

私生活では、1975年12月にアレンジャー・松任谷正隆(まつとうや・まさたか)と結婚しています。日刊ゲンダイ(講談社)によると、ふたりは1976年に放送された音楽番組「セブンスターショー」(TBS)で出会い、その後「ひこうき雲」のレコーディングで仲を深めていったと言います。最初は音楽や仕事のことで口論ばかりしていましたが、松任谷由実は正隆に対し「ミュージシャンくさくなくて、考え方も真面目なしっかり者。」と思っていたようです。

また、レコーディングでスタジオを訪れていた由美に「なんの花が好きなの?」と声をかけた正隆。「ダリアが好き」といわれて、翌日にダリアの花束をプレゼントし、由美はその花束を抱いてレコーディングをした、というエピソードも!なんとも甘酸っぱい恋愛をされていたようですね!

もともと業界人の間では、有名なカップルだったようですが、結婚は由美の大学の卒業を待っていたそうです。

1975年に婚姻!結婚式は横浜・山手。子どもを作らない本当の理由とは?

1975年12月に婚姻、翌年1976年11月には神奈川県横浜市山手の教会で結婚式を挙げられました。新婚旅行は、熱海と箱根に1週間滞在し、友人や業界人など様々な客を招いて、にぎやかなハネムーンを過ごされたそうです。さすが大物夫婦!という感じですね。

仲の良いおふたりですが、お子さんはいらっしゃいません。なんでも、由美が正隆に出した結婚の条件として「結婚しても子どもを作らないこと」だったとか。

理由としては、「子どもができると松任谷由実らしさがなくなってしまうから。自分の子どもという産物より良いもの(曲)は作れない。」ということだそうです。音楽に一直線に向き合っている松任谷らしい言葉ですよね。

「子どもを作らない」という決断を貫き、40年以上夫婦二人三脚でパワフルな曲やパフォーマンスを生み出し続けているおふたりです。

全80本のツアーを完走!松任谷由実の今後の目標とは

そんな松任谷由実は、2018年4月10日のYahoo!ニュースのインタビューで、今後の目標は「詠み人知らず」だそうです。

2016年から2017年にかけてアルバム「宇宙図書館」の全国ツアーで80本ものステージに立った松任谷。

「「宇宙図書館」ツアーの80ステージは私から言い出したことなんです。2000年に79ステージのツアーを経験しているんですね。でも、もう十数年も前。そこからの変化はものすごい。自分自身もだけど、スタッフも世の中も違う。親友や大切な人を亡くしたりもしました。いつ何があってもおかしくない年齢です。でも、また別の山を、より難しいルートで登りたくなったんですね。」と語っています。

「私の目標は自分のつくった歌が「詠み人知らず」になることです。そのためにライブもやるし、アルバムもつくる。プロモーションも一生懸命やる。全ては、一曲でも多く人々の記憶に残り、DNAに組み込まれるぐらいのところまでいくためなんです。」と話す松任谷。

2020年の現在も、ライブやテレビ、ラジオなど幅広く活動し続けている彼女の活躍に、これからも注目です!

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