内藤大助 現役時代の強さとファイトマネーは?
内藤大助 現役時代の強さ!
内藤大助の現役時代の強さは、42試合36勝3敗3引き分け23KOという数字が表しています。1996年10月のプロデビュー戦で1RKO勝ちを収めると、1998年12月に行われた全日本フライ級新人王決定戦でも1RKO勝ちし新人王を獲得した内藤大助。
その後、2001年7月に日本フライ級王座への挑戦権を手に入れ、王者・坂田建史に挑むも引き分けで王座獲得ならず。しかし、復帰戦でKO勝ちを収め、2004年6月に行われた日本フライ級で王座へ再挑戦し、日本王座を獲得!内藤大助の初防衛は、日本タイトルマッチ史上最短となる1R24秒KO勝ちを収め、週刊少年マガジンの長寿連載漫画「はじめの一歩」の主人公である幕の内一歩と環境や境遇が似ていることから、当時、内藤大助は、リアルはじめの一歩と言われていました。
2002年に敵地であるタイでWBC世界フライ級王者ポンンサックレック・ウォンジョンカに挑戦しますが、世界フライ級タイトルマッチ史上最短記録となる1R34秒KO負けを喫してしまいます。このポンサックレック・ウォンジョンカとは後に3度対戦することになります。
2度目は2005年10月、しかしここでも7R負傷判定で敗戦。3度目の挑戦である2007年7月に挑戦し12R判定勝ちをもぎ取り、内藤大助は、悲願の世界チャンピオンになりました。2007年に亀田三兄弟の次男亀田大毅との防衛戦で圧倒し、フルマークの3-0で勝利。この対戦をきっかけに国民的な人気を得、内藤大助の試合は、テレビ中継をされるようになります。
また、テレビタレントとしての活動も始め、収入も安定し、この実績が引退後に生かされることになります。そして2008年3月に両国国技館にてポンサックレック・ウォンジョンカと4度目の対戦をし、判定で防衛に成功します。ポンサックレック・ウォンジョンカはその後復帰し、再度対戦することになったのですが、内藤大助が亀田興毅と対戦し敗戦。王座陥落したため、対戦はなくなりました。
その後2011年11月に放送されたフジテレビ系列番組「ジャンクSPORTS」にて現役引退を発表し、引退。北の剛拳という異名を持った内藤大助。リーチは、フライ級では長い方であり、フライ級屈指のハードパンチャーでした。またディフェンス力も高く、ウィ―ビングという上体を大きく動かしながら避けつつ、反動を生かして素早い追撃のパンチを繰り出すというスタイルから、右変則タイプと位置づけられます。
試合では避けたと同時に反撃のパンチを入れ、そのまま圧倒するというスタイルがよく見られ、これが生涯KO率7割近くに達している要因でもあります。亀田興毅に敗れた時は、年齢的な衰えがあって敗れましたが、全盛期なら幕の内一歩のように相手をウィ―ビングで追い詰め、手を出して来た所を巧くかわして剛拳で沈めていたことは明らかです。
内藤大助 ファイトマネーは?生涯獲得賞金はおよそ1億2千万!
内藤大助のファイトマネーは、王者になるまではとても低いものでした。C級ボクサーで6万円程度、B級ボクサーで10万円程度、A級ボクサーでも15万程度にしかなりません。しかもさらにそこから、ジムに3分の1程度を引かれた残りが実質的なファイトマネーです。
内藤大助は、世界王者になった後も、2カ月は時給900円のレンタカー屋でアルバイトをしていました。王座に就いた後も、防衛戦では取り分で揉めて1千万円になり、亀田興毅戦で7000万円貰うも敗戦し、引退しています。そんな、内藤大助の生涯獲得金額はおよそ1億2千万。
日本王者になるくらいでは、それだけで日々の生活を送ることも難しいのが現状です。そこで亀田興毅たちのようにパフォーマンスなどで集客し、スポンサーを獲得しなければ、ボクサーのみで生活はできません。あるいは、井岡一翔など脚光を浴び”勝てる”王者にはスポンサーも多く、高額のファイトマネーを得ることができるのです。
内藤大助 副業、キャラとも迷走中?!現在の収入、年収は?
内藤大助 副業、キャラとも迷走中?!はっきりした路線を確立した方が良い!
引退後の内藤大助の主な活躍の場はテレビを中心としたタレント活動です。テレビ番組で時折みせる女口調から、オネエが素なのではないかと疑いたくなるような印象の内藤大助。その後も「女装がしたい」や「ゲイバーで働きたい」など、これもフジテレビ系列のスポーツバラエティ番組「ジャンクSPORTS」にて語っていました。
しかし、そこから先の展開が見られず、グレーのまま。内藤大助は、どうにもキャラが迷走しています。そんな様子から、内藤大助の芸能界で生きて抜くため模索している姿と重なりますね。
内藤大助 現在の収入、年収は?レギュラー番組は無く、困窮か。
内藤大助の現在の収入や年収ですが、テレビで活動する一方で、内藤大助は、王者になった後、副業で札幌の白石駅近くにラーメン店を開業しています。ですが、食べログなどでも口コミが15件と少なく、評価の星の数も3つと迷走しているとも言える状況。開業した土地が、内藤大助の地元ではないことも原因ではないでしょうか。
このように副業のラーメン店の経営も芳しくなく、芸能活動も引退前後に比べると非常に緩やかな内藤大助。確認できる範囲では、現在、内藤大助のレギュラー番組などはありません。内藤大助の現在の収入、年収は明らかになってはいませんが、ボクシング王者の時が一番稼いでいたことは明らかです。
内藤大助の今後は!? ボクサーとしての才能を生かした仕事を!
内藤大助は2015年8月31日の公式ブログで、ワタナベジムで行われたWBA世界スーパーフライ級王者の河野公平の対亀田興毅戦正式発表の会見に、亀田興毅が乱入し、挑発したことを激しく批判しています。「勝てば何をやっても良いのか?いや、そうじゃないでしょ!!」とたしなめていました。
しかし、ボクサーとは、例え世界王者と言えども、話題に上らずスポンサーもいなければ、日々の生活を送ることもできませんから、自ら注目を集めることも必要悪としてあるのかもしれません。
ボクサーとして天性のものを持ち、またウィ―ビングなどのディフェンス面も巧みだった内藤大助ですから、トレーナーとして後進指導に力を入れてほしいですね。もちろん元王者が名トレーナーになるとは限りませんが、知名度を得た今、ジムを開設したほうが確実に収入を得られるのではないでしょうか?この辺で芸能界での迷走を止め、内藤大助がボクシングに立ちかえることを多くのファンは待ち望んでいます。
内藤大助は本当に凄いボクサーでした。世界王者にまでなれたのはその証。内藤大助には、ぜひその才能を後世に繋いで欲しいですね。