夏目漱石は「こころ」「坊ちゃん」で有名な旧千円札の肖像!三部作はどの作品?

本名を夏目金之助、「こころ」や「吾輩は猫である」「夢十夜」「坊っちゃん」などの名作で知られる作家といえば、旧千円札の肖像に描かれていた夏目漱石です。

小説家、評論家、また英文学者としても知られる夏目漱石は、後の東京帝国大学、そして現東京大学の英文科に学び、卒業後は松山で中学校教師として働きました。その後イギリスへ留学した夏目漱石は、帰国後「吾輩は猫である」を発表。この作品が一躍有名になり、「倫敦塔」や「坊っちゃん」など、現代まで読みつがれる名作を遺すことになります。

夏目漱石の絶筆となったのは、「明暗」という作品。晩年は胃潰瘍に悩まされていたようです。少々気難しいことでも知られていた彼ですが、作品には人間の持つ複雑な機微がよく描かれていました。

「こころ」で描かれた、先生と私の心象

夏目漱石の遺した代表作として最も有名なのは、やはり「こころ」という長編小説でしょう。1914年に朝日新聞上で「心 先生の遺書」として連載されたのがはじまりで、その後、岩波書店から刊行されています。

「こころ」の中でも、新潮文庫から出版されている版が最も有名です。2016年の時点でその発行部数は700万部を越える本作は、日本の小説として一番知られている作品であり、一番売れている作品といえます。

「こころ」は、上・中・下構成。そのうち、上・中の語り手は主人公である「私」です。舞台は明治末期。学校の夏休み期間中に由比ヶ浜へ海水浴をしに来ていた「私」が、同じくその場に遊びに来ていた「先生」と出会うシーンから物語は始まります。

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「私」と「先生」はその後、交流を深めていき、東京に帰った後もそのまま「先生」の家に出入りするように。そんな中、「私」の父親の容態が思わしくないという知らせが届いたところへ、タイミングを合わせるように「先生」から届いた分厚い手紙。

この手紙が「先生」の書いた遺書だと気づいた「私」は、いてもたってもいられずに、東京行きの汽車に飛び乗りました。上・中の流れを受け、下は全文「先生」の書いた手紙で構成されています。

夏目漱石が「こころ」を描いたのは、乃木希典の殉死が影響しているといわれています。夏目漱石の後期三部作とされている「彼岸過迄」「行人」とともに、人間の持つ深いエゴイズム、そして、人としての倫理観に揺れるリアルな葛藤がまざまざと表現されている作品です。

お札に描かれた夏目漱石、千円札の人物

夏目漱石の肖像が描かれている千円札は、それ以前に発行された千円札と比較して14mmほど長辺が短く作られているそうです。そして、その後発行された野口英世の描かれた千円札も、このサイズに合わせられているのだとか。

1984年に伊藤博文から夏目漱石へと肖像が変更された千円札。印字された番号の色は黒で、その後、黒番号は発行されてから6年をかけてすべての番号を使い切ってしまい、青番号の印字へと変更されることになったのだとか。

本来のところ、129億6000万通りという膨大に用意された番号全部を使う予定でしたが、偽造防止技術の向上が必要とされたために、わずか3年余りの製造期間となってしまった背景があります。

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名言「若いうちほど淋しいものはありません」

「若いうちほど淋しいものはありません」。これは「こころ」の作中に出てくる一節です。こういった言葉は、発した登場人物の心象や、その場の状況なども鑑みて深く味わうものですが、夏目漱石が遺した言葉は単体でみても実に学びに富んでいます。

若さは得てして宝や特権であるかのように言い表されることが多くあります。特に夏目漱石の生きた時代は、平均寿命が今よりも低い頃。若ければ若いほどなんでもできる、怖いものなどないと称された風潮が強くあったことでしょう。それでも「若いうちほど淋しいものはない」と言ってのけた彼の洞察は、今の時代こそ鋭く光るものであることは間違いありません。

夏目漱石の作品を最初に手にとるときにおすすめなのは、3部作と少々長いですが、やはり「こころ」です。今ならAmazonや楽天などのインターネットショップでも簡単に購入することができますし、Kindleなどの電子書籍なら、すぐにダウンロードできます。

一度読んだことがあるという方でも、夏目漱石の遺した文学は何度でも触れる価値があります。ぜひこの機会に振り返ってみてはいかがでしょうか。

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