坂口征二伝説と病気から復活した現在!息子・憲二たちに与えた影響も

坂口征二伝説と病気から復活した現在!息子・憲二たちに与えた影響も

2022年12月3日 更新

坂口征二の伝説的な経歴!新日本プロレスの借金も完済


坂口征二のプロフィール
◆生年月日:1942年2月17日
◆出身:福岡県
◆身長・体重:196cm・123kg
◆血液型:非公開
◆出身大学:明治大学
◆新日本プロレス相談役

坂口征二はなぜプロレスラーに転向した?柔道日本一の強さ

「世界の荒鷲」の異名を持つ、プロレスラーの坂口征二(さかぐちせいじ)。長男で同じ道に進んだ坂口征夫と、次男で俳優として活動していた坂口憲二の2人を育てた父親としても、知られています。

若い頃の坂口征二は、日本柔道界の期待の星でした。明治大学卒業後、旭化成工業に入社し、1965年の全日本柔道選手権で優勝。世界柔道選手権大会では、銅メダルを獲得したほどの腕前です。

しかしその翌年に、1968年開催予定のメキシコシティオリンピックでは、柔道が種目から除外されることが決定。当時の坂口征二は憧れていたアントン・ヘーシンクの引退も重なり、目標とすべき大会と相手を失って茫然自失の状態でした。

そんな中で日本プロレスから声をかけられ、幼い頃から力道山に憧れて観戦するのが好きだったこともあって、プロレス入りを決意したのだとか。

入団後すぐにアメリカへ武者修行に出向き、各地のトップスターと対戦。日本へ凱旋すると、たちまちプロレス界のスターに。下積み期間がほとんどない新人ながら、圧倒的な活躍を見せました。

また、1976年には試合で大流血するも縫合せずにそのまま次の試合へ挑むなど、伝説級の逸話も数多く存在します。

坂口征二はジャイアント馬場に可愛がられるも新日へ!経営センスも抜群

坂口征二は日本プロレス時代、同じくスター選手であったジャイアント馬場に弟のように可愛がられていました。

しかし、1974年の日本プロレス崩壊後、坂口征二が選んだのはジャイアント馬場率いる全日本プロレスではなく、アントニオ猪木率いる新日本プロレスへの合流でした。

坂口征二は新日本プロレスで副社長を務め、2017年11月の「産経新聞」で「どちらかが一歩下がればうまくいく」とナンバー2の心構えを語っています。

1989年には、坂口征二が社長に就任。簿記を学び、自宅を抵当にまで入れ、アントニオ猪木が残した多額の借金を完済するなど、経営者としても手腕を発揮しました。

また、日本で活躍したスタン・ハンセンやアブドラ・ザ・ブッチャーらが、自伝内で「坂口は人間的にも優れている」と評価するほど、誠実で実直な人柄で、多くのプロレスラーに慕われています。

1990年に全日本プロレスの選手たちが新日本プロレスの大会への参戦するという歴史的な快挙も、坂口征二だからこそ成し遂げられた功績の1つです。坂口征二は日本プロレス界の歴史に必要不可欠な人物であったといえるでしょう。

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坂口征二が息子の征夫と憲二に見せた姿!ハンデや病気に立ち向かった2人

坂口征二の長男はプロレスラーの坂口征夫、次男は俳優業病気休養の坂口憲二

坂口征二には、2人の息子がいます。2022年時点では、長男の坂口征夫はDDT所属のプロレスラー、次男の坂口憲二はコーヒー焙煎士として活躍中です。坂口征二は息子たちに柔道を習わせる判断こそしたものの、将来についての助言などはせずに見守っていました。

長男・坂口征夫は高校卒業後、新日本プロレスへの入門を夢見るも、身長をはじめとする問題で断念し、土木会社に勤務。33歳でプロ格闘家となった後に、水道管工事などを行う会社の起業を経て、38歳でプロレスラーとしてのデビューを果たしています。

2015年8月に坂口征夫が「KOーD無差別級選手権」で第54代王座を奪取した際には、坂口征二も「遠回りしたけどやってきたことを褒めてやりたい」と感無量な様子でした。

坂口征二の引退試合が坂口憲二のデビューに影響していた?

1990年3月に坂口征二の引退試合が行われた際、次男の坂口憲二が花束の贈呈を担当しました。会場全体が坂口コールに包まれる様子に感動を覚えた坂口憲二は、「何か自分も表現するような仕事がしたい」という思いを抱いたと、2016年1月放送の「ファミリーヒストリー」で告白しています。

その後、俳優という形での実現を決めた坂口憲二が報告すると、坂口征二は「男は自分が決めたことをやりとげることが大切」とコメント。これは、プロレス入りを決意した際に自身の父から、贈られた言葉でした。

坂口憲二は俳優として人気を得るも、難病である特発性大腿骨頭壊死症を患い、芸能活動を無期限で休止。その間に、コーヒー焙煎士、事業の経営者というセカンドキャリアを歩み始めました。

人生の壁に衝突しても、力強く乗り越えてきた2人の息子たち。坂口征二があえて口を出さなかったことで、自分で考える力が養われていたのではないでしょうか。

挫折を機に柔道からプロレスへと方向を変え、力強く走り続けた坂口征二の背中も、新たな道へと踏み出す際の道標となったのかもしれません。

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坂口征二の現在!怪我や病気から復活し週3で通う場所とは…

坂口征二は2017年2月7日に、現役の頃から悪かったという右肘尺骨を手術。同月10日に無事退院するも、下旬頃より全身状態が悪化してしまいました。

術後の感染症を患ったため、40度近い熱が出たほか、体の震えが止まらなくなり、再度4週間入院。怪我ではなく病気での長期治療は初めてのことで、家族も心配したのではないでしょうか。

食事もままならなかったといいい、それまで123kgあった体重が、一時は110kgまでダウン。移動には松葉杖や車椅子が必要で、参加を予定していたイベントも欠席したため、当時は一部で重病説も流れたほどでした。

体力や筋力の低下も激しかったものの、リハビリに専念し、2022年2月には無事に80歳を迎えています。入院を機に一気に心身が弱る人も多い年齢ですが、トレーニングに励み、元気を取り戻した様子はさすがレジェンド。現在も週3回スポーツジムに通うなど、健康に気を遣う生活を送っています。

2022年10月1日にアントニオ猪木が死去した際には、「ありがとうございました」と感謝の思いを述べた上で、「まだまだ俺は頑張りますよ」と宣言していました。今後も、重鎮として日本のプロレス界を見守っていくことでしょう。

坂口征二の母親も103歳と長寿であったため、生命力の面でも強い家系なのかもしれません。これからも年齢を感じさせない健康体で過ごし、プロレスラーの長寿伝説をも更新してもらいたいですね。

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