武豊が社台グループを激怒させた原因とは!和解し完全復活?!
武豊はなぜ社台グループを激怒させた?
「社台グループに干されていた」という天才ジョッキー武豊。それは、2010年11月のジャパンカップで、1着だった社台グループのブエナビスタが2着になり、2着だった武豊が騎乗するローズキングダムが1着とした審議での「舌禍トラブル」が原因だったということでした。
しかし、武豊が社台グループを激怒させた原因はそれだけではなかったようです。社台グループとは、日本の競走馬生産牧場集団のこと。中央競馬の重賞レース勝利馬を多数輩出していることでも知られています。全ての始まりは、2010年3月の毎日杯で、武豊が落馬事故を起こしてしまったことでした。
事故による鎖骨・腰椎骨折という重症を乗り越え、その年の10月には復帰した武豊。フランスGⅠ凱旋門賞で、社台グループの競走馬・ヴィクトワールピサに騎乗することになりました。これは、馬主からの「乗れるなら乗せてあげたい」という、復帰直後の武豊への温情だったそうです。ところがこのレースで7着に沈んでしまった武豊。社台グループの重鎮・吉田照哉を「騎乗ミスだ。ユタカの時代は終わった」と憤慨させてしまったそうなのです。
武豊、落馬事故以降の不調で干された?!社台グループとの和解で完全復活もある?
武豊には、その後も、何度か挽回のチャンスが巡ってきました。そんな武豊が、2010年10月の阪神ジュベナイルフィリーズ(GⅠ)で騎乗したのは、2番人気のダンスファンタジア。新馬戦を連続圧勝してきた社台グループ期待の競走馬でした。ところが、このレースの内容も最悪で、「武豊は引っかかる馬を御せなくなっている」と酷評されてしまいます。
さらに不運なことに、その後のGⅠレースで、武豊がしくじった社台グループの競走馬(ヴィクトワールピサ、ダンスファンタジア)を、一流外国人騎手たちが、あっさり優勝に導いてしまったのです。事故以前の武豊は、年間100~200勝が当たり前。「ユタカが乗って勝てない馬はない」と言われるほどでした。
しかし、社台グループに「もうユタカには乗らせない」と干されていったのと比例するように、武豊は、年間100勝を大きく割るスランプ状態に陥っていったわけです。
ところが一番落ち込んだ2012年以後、2013年、2014年と、年間100勝に迫る勢いで復活がうかがえる武豊。よって最近では、社台グループとの完全和解によって騎乗依頼もあるようです。武豊が、以前の精彩を取り戻す日もやってくるのではないかと期待してしまいますよね。
武豊「天才」がゆえ?角居勝彦や近藤利一と激突・確執が生まれたワケ
武豊「天才」がゆえ?角居勝彦の騎乗依頼がなくなったのは確執だった?
武豊が、2010年の落馬事故からの復活後に挑んだフランスGⅠ・凱旋門賞で騎乗したヴィクトワールピサの調教師は、天才と名高い調教師・角居勝彦でした。このレースで、武豊が、馬群をさばけずに7着に終わったことによって、社台グループの重鎮を激怒させることになったわけです。
その後、乗っても勝てないスランプの渦中にあった武豊に騎乗依頼をする社台関係者はいなくなりました。特に、角居勝彦が武豊と激突したというわけではないのですが、社台グループ下にある角居勝彦をはじめ、多くの調教師たちが「武豊にかかわれば上層部に怒られるんじゃないか」とビクビクしていたといいます。
こうして、角居勝彦が武豊に依頼をすることがなくなったことが”確執”と呼ばれているのでしょう。これまでは、選ぶほどに騎乗依頼が多かった「天才」武豊でなければ、”確執”なんて言われなかったかもしれません。再び勢いを取り戻しつつある武豊は、2014年に、角居勝彦厩舎の競走馬・エアソミュールで圧勝。いきなり角居勝彦が武豊への依頼を増やすとは思えませんが、このタッグが帰ってきたことは、競馬ファンにとっては何よりの朗報ではないでしょうか。
武豊「天才」がゆえ?近藤利一と激突・確執は一生続く?!
角居勝彦との件は確執があったのかどうかは曖昧ですが、武豊が、横暴と名高い馬主・近藤利一と激突したのは事実のようです。少しでも気に食わない事があると、厩舎を転厩させたり、例えハナ差であろうと1番人気馬で負けると、騎手交替を辞さない近藤利一。彼の所有馬「アドマイヤ」の主戦騎手は、2007年途中までは武豊でした。このように、近藤利一は、武豊の絶頂期を共にしてきた相手でもあるわけです。
もともと騎手にはあれこれ注文の多い人ではありましたが、武豊にはほとんど物申すことがなかったそうです。ところが、アドマイヤオーラで負けを喫してしまった時には、騎乗方法を巡って、武豊と近藤利一が激しい口論になったというのです。アドマイヤオーラは人気先行馬で、武豊に落ち度があったとは言え、もし近藤利一に騎乗方法を偉そうに指示されたのだとしたら、絶頂期の「天才」武豊が黙って従うはずもありません。
それ以来、武豊には一切騎乗依頼しなくなった近藤利一。けっこう根深い性格のようで、今でも決して依頼することはないのだとか。武豊と近藤利一、こちらの確執は本物ですね。
武豊、完全復活への道のり!12月20日「朝日杯・GⅠ」で史上初のJRA・GⅠ完全制覇!!
武豊は、復活への道を順調に進んでいますが、競馬ファンの中では、相変わらず「溜め殺し」「衰えた」と厳しい声が飛び交っています。しかし、武豊も現在46歳。誰もがかつての武豊の姿を思い浮かべて「完全復活」を唱えますが、良く考えたら、年齢的な変化も大きいのではないかと思います。
しかし、これまでGⅠ勝利数では69勝と、2位の岡部幸雄にダブルスコア以上で勝っている武豊は、なんだかんだ言って、いまだ競馬界のスーパースター。武豊が怪我で休養していた競馬界の4カ月間はどれほど寂しかったことでしょうか。「天才」として際立ちすぎた存在なだけに、武豊は、スランプと絡めて社台グループとの確執も大々的に報じられてしまったわけですが、良く考えたらスランプ期に騎乗依頼が無くなるなんて”確執”でも何でもありません。
ある人は「武豊をダメにしたのはJRAと社台」と語っていたらしいですから、もしかすると2010年にJRA日本騎手クラブの会長に武豊が就任したことのほうが、社台グループには疎ましかったのかもしれませんね。それでも自身のスランプを立派に抜け出し、社台グループとの和解にもこぎつけた武豊の次なる目標。それは、未だ一度も勝ったことがない「朝日杯・GⅠ」で勝利することです。
12月20日、デイリー杯2歳Sの覇者エアスピネルに騎乗する武豊が、阪神競馬場で行われる「朝日杯・GⅠ」を制することの意味。それは、史上初のJRA・GⅠ完全制覇という大偉業なのです。武豊はあまり阪神とは相性が良くないとされていますが、武豊、これぞ完全復活!というようなレースを見せてくれることを期待しています。