達川光男の爆笑伝説エピソードまとめ!工藤公康監督に熱望されてソフトバンクのヘッドコーチへ

達川光男の現役時代の成績は?コンタクト事件など面白すぎる伝説エピソードまとめ!

達川光男の現役時代は頭脳プレーで活躍!「ささやき戦術」で相手バッターを撹乱!

ソフトバンクホークスの達川光男(たつかわみつお)ヘッドコーチは、現役時代は広島カープの正捕手として活躍。どこかユーモラスな頭脳プレーと広島弁丸出しの軽妙なトークで人気を博しました。2017年シーズンはソフトバンクのヘッドコーチに就任し、2年ぶりの日本一に大きく貢献しています。

達川光男は、高校球界屈指の強豪・広島商業高から東洋大学を経て、1977年に、ドラフト4位指名で広島カープに入団しました。1992年に現役引退するまでの通算成績は、15年間で、3636打数895安打51本塁打358打点62死球、打率2割4分6厘です。通算盗塁阻止率は、3割6分6厘の成績を残しています。

レギュラー定着後は頭脳派捕手として活躍し、「グラウンドの詐欺師」「騙しの達ちゃん」の異名を取った達川光男。現役引退後は解説業を挟みながら、広島監督や阪神、中日などでコーチを歴任しています。打率のキャリアハイが1986年の2割7分4厘と傑出したものではなかった達川光男ですが、彼の本領は頭脳的守備で発揮されました。

ノーサインでキャッチングしてみせるなど抜群の守備力を誇りましたが、とりわけ有名なのがマスク越しの「ささやき戦術」です。軽妙な話術を発揮し、世間話やウソ八百などでバッターを撹乱するのが達川光男の得意技でした。「今回は特別に教えちゃる。次に来るボールはど真ん中のカーブじゃ」と言いながら全然違うボールを要求して、「すまんのう!あのピッチャーはサインがまだ分かっとらんのじゃ」とバッターを混乱させるのは朝飯前。

まだプロに慣れない若手選手が「ささやき戦術」の絶好のカモになったことは言うまでもありません。ペラペラしゃべり倒すと、リードもグンと冴えてくるため、あるチームでは、達川光男のささやきを徹底無視する「達川無視作戦」を敢行したとか。達川光男本人もトークのネタにする「ささやき戦術」は、会話の内容を知るだけでも腹筋崩壊確実です。

達川光男の爆笑伝説エピソード!デッドボール詐欺やコンタクト紛失事件、ドラフト指名当日にパチンコなどなど!

達川光男は、「プロ野球珍プレー・好プレー大賞」の常連になるほど、爆笑級の伝説エピソードに事欠きません。その中でも伝説的なのが「デッドボール詐欺」でしょう。体をかすってもいないボールにも「当たっちょる、デッドボールじゃ!」とオーバーアクションで言い張るシーンは有名です。

どさくさ紛れに手首をつねってボールが当たった痕跡をねつ造するなど巧妙を極めた手口に、審判団からは要注意人物とされるほどでした。しかしある試合では、三塁ランナーを置いた場面で本当にボールに当たったのに、痛みをこらえてワイルドピッチを主張。ランナー生還を目論んだもののしっかりデッドボールと判定され、ランナーも塁に戻され、「珍プレー・好プレー大賞」でもリアル「狼少年」だと演出されていました。

もう1つ「珍プレー・好プレー大賞」で取り上げられたのが「コンタクトレンズ紛失事件」です。視力が良くない達川光男は、コンタクトレンズなしではプレーできません。そんな彼が、試合中に2度ほどコンタクトレンズを紛失。当時のコンタクトレンズはかなり高価な貴重品だったため、大慌ての達川光男は、突然タイムをかけて地面をはい回ります。

事情を知らない観客は「?」となりましたが、「達川選手コンタクトレンズ紛失のため、一時試合を中断いたします」と場内アナウンスが流れるとスタンドは大爆笑!当人は必死だったでしょうが、ホームベース周辺に両チームの選手やスタッフが入り乱れてグラウンドを這い回る姿はユーモラスでした。

大学時代にも洗面所でコンタクトレンズを紛失してパスボールを連発し、本人曰く「それ以来、プロのスカウトがさっぱり来んなった」とか。それでもドラフトでは4位指名。当日は、大学合宿所の近所にあるパチンコ屋で玉を弾いていたそうです。野球部の後輩が「カープの4位指名です」と呼びに来たのに、「玉が出かかっとるところじゃ」と取り合わなかったという達川光男。それでも、なんだかんだでカープの正捕手へ上り詰めるのですから大したものです。

達川光男のソフトバンクヘッドコーチ加入の経緯とは?妻は中日コーチ時代に大腸がんで先立っていた……

達川光男のソフトバンクヘッドコーチ加入は工藤公康監督の要望だった!日本シリーズでのリードを高く評価?

2016年のシーズンオフに、ソフトバンクにヘッドコーチとして加入した達川光男。広島ならばともかく、「縁もゆかりもないソフトバンクへなぜ?」と思ったファンも少なくないでしょう。しかし彼は、前身のダイエーで1995年にバッテリーコーチを務めており、まんざら縁がないとは言えません。今回ソフトバンクへ招かれたのは、監督を務める工藤公康たっての要望だと伝えられています。

1986年の日本シリーズのこと。史上唯一8戦までもつれこんだ、伝説の西武-広島戦。広島が日本一に王手をかけて迎えた第5戦は、1-1のタイスコアで延長12回へ突入しました。その回表に工藤公康からデッドボールを浴びた達川光男は、「ワレ(お前)、次の打席は気をつけとけよ」と凄みをきかせます。

しかしその裏、ランナー2塁の場面で打席に立った工藤公康は、達川光男の配球を読んで、内角ストレートを振り抜き、劇的なサヨナラヒットを飛ばしました。この一打でシリーズの流れが劇的に変わり、西武が逆転で日本一を勝ち取ることになります。両者は1991年にも再戦しますが、勝利をものにしたのはまたもや西武でした。

しかし、2度の日本シリーズで勝ちはしたものの、工藤公康監督は、厳しい内角攻めも辞さない達川光男のリードを高く評価していた様子です。5年前に横浜DeNAから監督招聘を受けた工藤公康は、条件として「達川光男ヘッドコーチの実現」を提示したのですが、フロントから拒絶されたので監督就任を断ったとも言います。2017年の日本シリーズは、その横浜DeNAとの対戦が実現したのですから面白い巡り合わせです。

達川光男の妻は中日コーチ時代に大腸がんで先立っていた……

プロ野球には、400勝を挙げた大投手の金田正一や3000本安打の張本勲や大御所を筆頭に、韓国から帰化した経歴を持つ選手が少なくありませんが、達川光男もその1人だとささやかれています。どうやら、官報にそれらしい記録があったというのが根拠の様子。1955年1月9日に広島市東区で生まれた「徐相福」なる人物の帰化記録があり、その人物こそ達川光男その人だと言います。

しかし、官報はあくまで後付けで、正直すぎる彼の物言いが「日本人らしくない」と思われ、「韓国籍では?」と極端に結論づけたことが噂の発端ではないでしょうか。たとえ彼の国籍がどこでもあろうと、立派な実績を残しているので、大げさに騒ぐことではないはずです。そんな達川光男は、2014年の中日コーチ時代に妻に先立たれています。死因は大腸がんで、53歳の若さでした。達川光男は「気持ちの整理がつきません」と相当にショックを受けていましたが、「野球を頑張って」という妻の気丈な言葉が今でも支えになっているようです。

達川光男が語る王ホークスコーチ就任当時の事情!カープはホークスにとって格好のモデルチームだった!

2017年の日本シリーズは、広島がシリーズ進出していれば、ソフトバンクのヘッドコーチを務める達川光男にとって、古巣との因縁の対戦となったことでしょう。しかし現実は、横浜DeNAがセ・リーグ代表としてシリーズ進出を決めました。もし、ソフトバンク-広島の顔合わせが実現していればどうなっていたことでしょう?

ともに日本一を経験した強豪同士ですが、日本シリーズでの対戦歴は皆無というから意外です。しかし実は、ソフトバンクの前身ダイエーにとって、広島は格好のモデルチームだったと言います。現在は球団会長職にある王貞治を監督に迎えた1995年、ダイエーは、カープ出身者を中心にコーチ陣を編成しました。その1人が、達川光男です。

バッテリーコーチとして招聘された当時の事情を、彼はこう振り返ります。「王さんから直接連絡があって、コーチ就任の要請があったわけじゃ」。「ワシが現役時代、ブルペンで若手ピッチャーへアドバイスするところを評論家だった王さんが目にしていたらしいんよ」と続けた通り、王貞治は、打撃力を前面に押し出しつつ、したたかなカープ野球を取り入れようとしていたようです。

「そんな事情があるだけに感慨深いもんがあるわ」と語った達川光男は、再びコーチとしてホークスに関わることになっただけに、「シリーズで広島と対戦できれば本望じゃ」と今回の日本シリーズへの思いを明かしていました。しかし、カープはクライマックスシリーズでまさかの敗退。来シーズンこそ、待望のシリーズ対決が実現することを一番望んでいるのは達川光男に違いありません。

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