鳥飼玖美子「NHKニュースで英会話」スマホアプリが秀逸!経歴は?

鳥飼玖美子「NHKニュースで英会話」スマホアプリが秀逸!経歴は?

鳥飼玖美子「NHKニュースで英会話」スマホアプリがビジネスマンに大人気!

鳥飼玖美子といえば、数多くのNHKの英語講座に講師として出演していることで有名です。そんな鳥飼玖美子が、現在出演しているのが「NHKニュースで英会話」。この番組は、「旬なニュースの英語を題材に、発信型の英語表現を身につける」をテーマにした英会話講座。実際に放送されたニュースを、英語ではどう表現し、会話ではどう使えばいいのかを教えてくれます。

「NHKニュースで英会話」の番組内容にそったアプリも無料で配信中ですが、このアプリがかなり秀逸。スピードを調整できるリスニングや、並べ替え問題、重要単語の検索等が簡単な操作で可能なので、通勤時間に無料で手軽に英語力をアップできると、ビジネスマンにも人気のようです。

鳥飼玖美子の経歴は?「百万人の英語」でお馴染みの先生は同時通訳の草分け

鳥飼玖美子の英語講座だけを見ていると、「英語の先生」という印象を抱くかと思いますが、そもそも鳥飼玖美子は、同時通訳の草分け的存在。古くは1969年のアポロ月面着陸の中継等で活躍していることから、60代以上の人は、ちょっとしたスターのような印象を抱いていることもあります。通訳として数々の国際舞台で活躍する一方で、1989年には東洋英和女学院大学で教鞭をとるようになった鳥飼玖美子。

その後は、立教大学でも長く教授を務め、現在は順天堂大学で教授をしています。また、鳥飼玖美子が出演したNHKのラジオ「百万人の英語」は1971年から20年以上続く長寿番組に。こちらを受験勉強のお伴にしていた人も多いと思います。

鳥飼玖美子の立教大学講義は厳しい?著書「危うし小学校英語」は矛盾してる?

鳥飼玖美子の立教大学講義は厳しくも学生たちからは高評価!

鳥飼玖美子は、日本の英語教育に長年携わり、東洋英和女学院大学、立教大学、順天堂大学と、多くの大学から、生徒を社会へ送りだしてきました。鳥飼玖美子は、国の英語教育政策に関して物申すほどですから、自身の講義にももちろん熱い情熱を注いでいるそうです。特に立教大学には20年近く勤務していた鳥飼玖美子。

自身も、自分の講義を「厳しい」と発言している通り、出席はもちろん、ハードな課題も出されるので、学生は大変。「高い授業料を払っているんでしょう、その分だけしっかり学ばないと」という鳥飼久美子の親心に対し、しっかり応える意欲ある学生からは、鳥飼久美子の厳しい講義は支持されているようです。

鳥飼久美子が物申す!著書「危うし小学校英語」は矛盾している?

鳥飼玖美子は、これまで、テレビ、ラジオ、大学と、さまざまな場で英語教育に尽力してきました。現場で生徒とふれあい、教える立場であるだけに、鳥飼玖美子には、英語教育には思うところが多々あるようです。著書「危うし小学校英語」では、小学校での英語必修化に対する反対を表明しています。

英語教育に従事する立場からすると矛盾するようですが、小学校で英語の早期教育を受けた生徒が中学校で初めて学んだ子に抜かれてしまうことや、各学校にAL(外国語指導助手)を配置する制度的な限界、会話重視で文法が置き去りになり、かえって英語習得の壁になっているといったことがあげられています。

しかし、早期に英語にふれあうことが、「危うい」「害がある」とまではいえないことから、鳥飼久美子の主張は矛盾しているという批判もあります。

鳥飼久美子の英語がすごいわけ!自ら学び続ける人生とは?

鳥飼久美子は1946年生まれで、今年で70歳。アポロ11号の月面着陸の中継が、1969年ですから、当時の鳥飼玖美子は若干23歳でした。23歳にして、鳥飼久美子がこの大舞台に立つほどの英語力を身に着けていたのには、彼女の類まれなる努力がありました。

その名前からも分かるように、鳥飼久美子は生粋の日本人で、日本人家庭に生まれ育ちました。しかし、鳥飼玖美子の両親は英語が堪能だったそうです。そう聞くと、「両親から英語を教えられたのかな?」と思いますが、両親から英語を勉強しなさいと言われたことはなかったのだとか。

鳥飼玖美子の場合、外国人の女の子と友達になりたいと思い、自分から英語を学ぼうと考えたそうです。これは、鳥飼玖美子の自宅が赤坂の檜町という外国人が多いエリアにあり、英語が身近にあったことも影響しているのかもしれません。

鳥飼玖美子は、小学校の先生の言葉に感化され、自ら「意欲的に」学ぼうと、両親を説得して、英語教育に力を入れている東洋英和女学院に進学します。東洋英和女学院は、中高一貫教育を行っているキリスト教プロテスタント系の私立校。鳥飼玖美子は、高等部に在学中には、ニュージャージー州に1年間留学もしています。

当時は、外国旅行もめったにできない時代。女子高生の留学はなおさらだったことでしょう。留学を終えると、1969年に上智大学外国語学部へ進学した鳥飼玖美子。普通の人なら、留学しただけで満足してしまいそうですが、鳥飼玖美子の努力はそこでは終わりませんでした。

留学中に磨いた英語力を落とさないために、鳥飼玖美子は、さまざまな努力を自ら行います。大学で学ぶ傍ら、通訳ガイドの試験を受け合格。外国人の観光案内を行ったり、英字新聞のアルバイトをしたりと、生の英語に触れあう機会を絶えず作っていったのです。
その後、鳥飼玖美子は、アポロ11号の月面着陸の中継や、大阪万博の司会といった大舞台で通訳として大役を務めるように。このようにメディアへの露出も多かったので、年配の人には鳥飼玖美子の名を知る人はかなり多くいるはずです。
同時通訳の草分け的な存在として活躍を続けていった鳥飼玖美子でしたが、結婚、出産を機に、メディアでの活躍はペースダウンしていきます。それでも、育児が落ち着くと、母校である東洋英和女学院の大学部で今度は教育者として英語を教える立場に立つことになりました。

自ら教鞭をとるようになると、その立場に満足してしまいそうですが、鳥飼玖美子はやはりそこでは終わりません。英語の教育者としてのスキルアップのために、また大学へ入り学び直すのです。1990年には、44歳でコロンビア大学大学院修士課程を修了。2007年には61歳でサウサンプトン大学の通訳学で博士号を取得しています。
そうして、通訳として、英語教育に携わる者として、さまざまな提言も行っているのですから、鳥飼玖美子には頭が下がります。

厳しい授業も、日本の英語教育政策への厳しい意見も、鳥飼久美子がこれだけ学びを重ねてきた上だと思うと、納得せざるをえないといったところでしょうか。

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