上原謙の若い頃がイケメン過ぎる!大林雅美との老いらくの恋とその顛末

上原謙の若い頃がイケメン過ぎる!大林雅美との再婚に息子・加山雄三は?

上原謙は、戦前映画で絶世の美男子だった

永遠の若大将こと加山雄三は、今年80歳を迎えます。その彼の父親は、戦前戦後の映画界で、絶世の美男子と称された、俳優の上原謙です。

皮肉なもので、1960年代に入ると、息子である加山雄三が圧倒的人気を得ることで、まだ50歳を過ぎたばかりの上原謙は、加山雄三の父親として知られてしまい、二枚目俳優としての仕事が、少なくなっていきました。

上原謙が世間を驚かせた、老いらくの恋とその顛末

上原謙は、1976年、67歳の時に、突如マスコミの脚光を浴びます。なんと45歳年下で、銀座のクラブホステスをしていた大林雅美と再婚し、子供までできていたというのです。決して美人とはいえない大林雅美。しかし、美男子とおだてても、どこかよそよそしい周りの人間に比べ、上原謙を平気で「オッチャン」呼ばわりする大林雅美に、新鮮な親近感を覚えたのかもしれません。

大林雅美との結婚は、加山雄三以下加山家の反対を押し切ってのことでした。おまけに1980年には、次女も誕生しています。上原謙の亡くなった妻は、明治の元勲・岩倉具視を曾祖父に持つ、戦前の美人女優・小桜葉子。加えて、上原謙の父も厳格な職業軍人であったことから、クラブホステスで、どちらかと言えば蓮っ葉なイメージの大林雅美と、加山家は相いれなかったようです。

結婚後、ほとんど仕事がない上原謙が、大林雅美の経営するクラブの収入を頼るようになると、喧嘩が絶えなくなったといいます。1990年夏、散歩中に倒れて退院した上原謙は、加山家に身を寄せました。上原謙の世話をめぐって、両家の中傷合戦がマスコミを賑わせた翌年、上原謙は風呂場で倒れ、そのまま息を引き取ります。享年82歳、往年の美男子俳優としては、少し哀れな最後でした。

上原謙は偶然の事故で俳優に!転機となった映画「西住戦車長伝」とは?

上原謙は、世が世であれば鹿児島市長の息子だった?!

上原謙は、1909年生まれで、1991年に82歳で亡くなっています。上原謙の父親は、鹿児島出身の陸軍大佐でしたが、上原謙が中学生の時に亡くなります。親戚であった当時の鹿児島市長が、彼を養子に迎える話が進むも、1926年に起った山陽本線特急列車脱線事故で亡くなったことから、養子の話は立ち消えとなりました。

上原謙は、成城学校から立教大学へ進学します。その美男子ぶりは学内でも有名で、1933年、友人が勝手に応募した松竹蒲田の新人公募に合格。1935年、大学卒業と同時に松竹に入社した上原謙は、二枚目俳優として期待されますが、1936年兵役に就きます。入隊時は、隊舎にファンレターが殺到したとか。

その後、原因不明の発熱で除隊となった上原謙は、人気美人女優であった小桜葉子と電撃結婚します。結婚しても上原謙の人気は衰えず、佐分利信や、関口宏の父の佐野周二とともに、松竹三羽烏として人気を博しました。そして1938年、主題歌「旅の夜風」とともに、爆発的にヒットしたのが、メロドラマの金字塔「愛染かつら」で、上原謙は、美男スターの頂点に立ちます。しかし本人は、中身のない美男子にみられることが、大いに不本意であったようです。

上原謙をただの美男子俳優から脱皮させた、軍神西住小次郎の物語「西住戦車長伝」

上原謙が人気を高めていく一方で戦局は悪化し、映画も、戦意高揚の国策映画ばかりなっていきます。日中戦争の徐州会戦において、壮烈な最期を遂げ、後に「軍神」とされた西住小次郎陸軍歩兵大尉の一生をドキュメンタリータッチで描いた「西住戦車長伝」もその1つに数えられるでしょう。

主役を演じた上原謙は、大尉の内面にせまる名演を見せ、ただの二枚目俳優ではない一面をみせます。そして終戦。上原謙は、戦後もすぐに映画に復帰し、「三百六十五夜」のメロドラマから、「めし」「晩菊」など文芸路線でも、正統派の二枚目俳優として活躍しました。

上原謙の息子「永遠の若大将」加山雄三が、父・上原謙を大根役者呼ばわり?!

戦後すぐの映画界は、女性中心の文芸路線がはやりでしたが、やがて、東宝は骨太の黒澤映画、東映は禁止されていたチャンバラ映画が解禁。日活は「太陽の季節」など若者を狙った映画と、バラエティに富んだ娯楽化が急速に進みます。1960年、慶応大学を卒業した上原謙の一人息子の加山雄三は東宝に入社。黒澤作品や、数多くの名匠の作品に数多く出演した後、「若大将」シリーズで一気にブレイクします。

加山雄三は、父である上原謙とは全く顔も異なり、湘南に育った浅黒のスポーツマン。エレキギターを奏でる現代的な若者として、戦後昭和を代表するスターとなります。加山雄三は、父の美男ぶりと何かと比較されるのが、気に食わなかったそうです。

小さい頃に、まだ高価であったセメントを勝手に使ったことで、父・上原謙に殴られたことを根に持ち、いつか仕返ししてやると思っていたともいいます。高校生の時、上原謙が、ボクシングのスパーリングを受けてやるというので、ここぞとばかりに猛攻。顔面に強烈な一発をお見舞いして、表向きは謝ったものの、加山雄三は、心の中で、父の上原謙を倒したことに快哉をあげたのだとか。

加山雄三は、上原謙の演技に対しても辛口で、大根役者で見ていられないと否定しています。しかし、こと演技に関しては、加山雄三もお世辞にもうまいとは言えません。上原謙と加山雄三は、親子二代、役者としてではなく、昭和という時代を代表する二枚目として稀有な存在であったということでしょう。

関連記事

ページ上部へ戻る