大谷桃子は何の病気?プロフィールまとめ!2020パラ車いすテニスで初のメダリストに

大谷桃子は2020パラ車いすテニスでメダルを狙う!次々に大金星を挙げていた


大谷桃子のプロフィール
◆生年月日:1995年8月24日
◆出身:栃木県
◆身長・体重:162cm・-kg
◆血液型:A型
◆出身大学:西九州大学
◆所属:かんぽ生命保険
◆2021年東京パラリンピック 車いすテニス女子ダブルス 銅メダル

大谷桃子は負けん気の強さで東京パラリンピック代表に

大谷桃子(おおたにももこ)は父親に教えられた同好会から車いすテニスを始め、2016年から本格的に競技として取り組むようになりました。

当初はパラリンピックへの興味はなく、2016年のリオパラリンピックも観戦していなかったという大谷桃子。しかし負けず嫌いの性格もあって、東京パラリンピック出場を目標に車いすテニスに励むようになります。

車いすの生活を余儀なくされる前からテニスをしていた大谷桃子は車いすテニスでもすぐに上達し、2018年にアジアパラ競技大会のシングルスで銅メダルを獲得。2020年にはグランドスラムに出場すまでのプレイヤーに成長し、見事東京パラリンピック出場を決めました。

大谷桃子がグランドスラム2大会目で準優勝の快挙!

大谷桃子は自身が所属する日本郵政が企画したインタビューで、車いすテニスに取り組むことはグランドスラムの優勝経験もある上地結衣と対戦したことが大きかったと振り返っています。

2020年9月にグランドスラムの1大会である全米オープンに出場した大谷桃子でしたが、1回戦で敗退。次戦でその悔しさを晴らす結果を出すため、実力者のプレイを研究することで技術向上を目指します。この時、大谷桃子が勉強のために試合を観戦したのは、車いすテニスで世界トップクラスの実力を誇る国枝慎吾と上地結衣です。

大谷桃子が全米オープン1回戦で敗れたのは、上地結衣でした。力強いテニスで相手を圧倒する上地結衣のプレイに「彼女に追いつきたいという気持ちが強くなった」と語り、それ以来一層練習に力を入れ始めます。そして、全米オープンの翌月に開催された全仏オープンでは順調に勝ち進み、準決勝で車いすテニスで当時世界ランキング1位だったディーデ・デ・フロートを破る大金星を挙げました。

決勝で再び上地結衣に勝利してリベンジを果たすことはできませんでしたが、グランドスラム2回目の出場で準優勝という快挙を達成。期待のホープとして注目を集めた大谷桃子は世界ランキングもトップ10入りを果たし、世界にも知られる存在となりました。

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大谷桃子は何の病気?出身中学や高校は?自力ではラケットを握れなかった

大谷桃子は病気になる前から期待のテニス選手だった

大谷桃子は小学3年の時に硬式テニスを始め、中学3年で関東エリアのジュニア選手権に出場するほどの腕前でした。

高校は栃木県の作新学院高校にスポーツ推薦で進学し、3年の時にダブルスでインターハイに出場するなどして活躍。高校卒業後は、スポーツトレーナーを目指して専門学校に進みます。

しかし将来の夢に向けて歩き出した2ヶ月後、病気の治療薬による副作用で右半身に麻痺が残り、車いす生活を送ることに。薬の副作用が原因ということは様々なインタビューで大谷桃子自身が明かしていますが、何の病気を治療するためだったのかということには触れておらず、薬や病気の詳細が分かる情報は公にされていません。

大谷桃子はラケットを自力で持てない?

大谷桃子の右足は薬の副作用で完全に麻痺し、右手の指も自由に動かすことができない状態になりました。右手の握力は6、7kg程度で、指にも麻痺があるため自力ではラケットを握れず、テーピングで固定させています。

しかし、そんな状態でもパワフルなサーブを放つ大谷桃子。「サービスエースはもちろんですが、リターンのミスを誘うなど、こちらの展開にもっていくようなゲームが自分の持ち味」と自信を見せています。

右半身が麻痺した当時の状況について、大谷桃子は前述した日本郵政のインタビューで「治療の為もあって引きこもっていた時期は長く、薬の影響で寝たきりみたいな時期もありました」と告白。父親と訪れた車いすテニスの同好会で、自分と同じように車いす生活を余儀なくされた人たちが仕事や車の運転など自立している姿を目の当たりにし、社会に出る決意を固めたと、再び前を向けた理由を語っています。

その後、西九州大学に進学した大谷桃子ですが、すぐに車いすテニスと本格的に向き合ったわけではありませんでした。病気になる以前はテニスでスポーツ推薦を受けるほどの腕前だった大谷桃子にとって車いすテニスはもどかしく、楽しいとは思えなかったのだそう。

大学では陸上やアーチェリーをやってみようと考えたものの本格的に取り組むまでには至らず、自分にできるスポーツを探していた大谷桃子が行き着いた先は、テニスでした。ゼミの講師に誘われて観戦したジャパンオープンで、自然と試合運びについて考えている自分に気付いた大谷桃子は、やはりテニスが好きなのだと実感。やるからには目標を高く持つべきと、グランドスラム出場を目指して上達に励む日々が始まりました。

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大谷桃子の車いすテニスの魅力とは?パラリンピック観戦のポイントを紹介

大谷桃子が語る車いすテニスの注目ポイントとは?

大谷桃子はインタビューで、車いすテニスの海外選手はパワータイプが多いのに対し、日本人選手は小柄でパワーも劣ることが多いと語っています。

それでも、実際の試合では体格差を物ともせず日本人選手が圧勝するケースも多数。大谷桃子は、車いすを操作するチェアワークが最大の理由だといい、「その技術の高さを是非見てほしい」とアピールしています。

また、障がいの度合いに応じたクラス分けがないことも車いすテニスの特徴で、それぞれが抱える障がいの克服の仕方も「個々の選手が持っているストーリーはかなり違う」と明かす大谷桃子。障がいの程度が高い選手が低い選手に勝つために、いかに戦術を組み立てるかという点も注目のポイントなのだとか。

テニスの試合展開に加え、個々の選手がパラリンピックの舞台に立つまでの裏側を知ると、また違った目線で熱戦を楽しめるかもしれません。

大谷桃子がダブルスで日本初のメダル!パリパラ五輪でさらなる飛躍に期待

大谷桃子は日本郵政のインタビューで「東京2020大会で活躍するのはもちろんのこと、その先も世界でさらに活躍していけるように頑張っていきたい」と夢を公言しています。

半身麻痺となった当初、「生活の中心だったテニスもできなくなり、目標も失って引きこもりのような生活をしていました」という大谷桃子。しかし「私を救ってくれたのもテニス」とし、「親や友人、コーチ、先生など多くの方の支えがあり、選手として生きていく覚悟ができました」と決意を語っています。

支えてくれた人たちへの感謝をメダルで示したいと臨んだ初のパラリンピック。シングルスはディーデ・デ・フロートに準々決勝で敗れた大谷桃子ですが、上地結衣と挑んだダブルスでは中国代表ペアをストレートで下し、この種目では日本人選手初の銅メダルに輝きました。

「過酷だとは聞いていたが、本当にそうだった」と振り返りながらも、「パリに向けて改善したい」と早くも2024年のパリパラリンピックを見据えた大谷桃子。世界ランキング5位の彼女がさらに上を目指し、上地結衣をも脅かす存在になる日は遠くないかもしれません。

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