山下真司はラグビー未経験だった!?主演ドラマ「スクール・ウォーズ」とは

山下真司はラグビー未経験だった!?主演ドラマ「スクール・ウォーズ」とは

山下真司はラグビー未経験者だった!タックルシーンで首を痛めた?

山下真司は、伝説の学園ドラマ「スクール・ウォーズ」で熱血教師役を演じた俳優です。「スクール・ウォーズ」で山下真司が演じたのは、元日本代表ラガーマンの高校教師という設定でした。しかし、バレーボールの経験はあったものの、ラグビーは全く知らない未経験者だった山下真司。

ラグビーボールを蹴るのも初めてならば、タックルも初めてだったといいます。タイトルバックのボールキックの場面は、「必死になってやって、10数回のうち2~3回は成功した」とのこと。同じくタイトルバックのタックルシーンでは、ゴツい体格の外国人が相手で、ケガしそうだなと思っていたら、案の定、首を痛めることに。「スクール・ウォーズ」本編の撮影は、かなりハードな中で行われたようです。

山下真司は、1951年12月16日生まれの64歳。山口県下関市出身で、1975年に文学座附属研究所入りしました。1979年に、ドラマ「太陽にほえろ!」で、若手刑事・五代潤(通称スニーカー刑事)役に抜擢されます。1981年まで同作のレギュラー出演を経て、1984年に「スクール・ウォーズ」でドラマ初主演すると、体当たりの熱演で、同番組は最高視聴率20%を超すヒットを記録。山下真司自身の代表作ともなりました。

また、料理紀行番組「くいしん坊!万才」では、9代目くいしん坊を4年間担当し、番組の顔として、全国各地を食べ歩いています。松岡修造にトップの座を明け渡すまでの4年は、歴代最多年数でした。山下真司には戦隊ヒーロー役の経験もあり、2013年2月から放送された「獣電戦隊キョウリュウジャー」で戦隊ヒーロー役俳優として、放送当時の年長記録を更新しています。

山下真司初主演ドラマ「スクール・ウォーズ」は最高視聴率20%超の名作!当初は別の役者が主演内定だった?

山下真司の出世作となった「スクール・ウォーズ」。1980年代を語るうえで欠かせない名作として、今も語り継がれていますが、山下真司にとっては初主演作でした。ドラマのあらすじは、元ラグビー全日本代表の高校教師・滝沢賢治が、荒廃した学園へ赴任し、名もない弱小チームだったラグビー部を全国大会出場へ導く苦難と感動のストーリーです。

1984年10月から1985年4月まで、TBS系列で全26回を放送され、視聴率も前半は苦戦したものの、佳境に入る後半には最高20%を超えるヒットを記録しました。1980年代の大映ドラマを代表する名作として高く評価され、麻倉未稀歌唱の主題歌「ヒーロー HOLDING OUT FOR A HERO」に心を奮い立たせたファンも多かったことでしょう。劇中で、主人公の滝沢賢治役を演じた山下真司ですが、当初は、同じ事務所の別の役者が内定していたとか。

しかし、番組プロデューサーの奥さんの「山下真司がいい」というアドバイスから状況は一転、主役を勝ち取ります。ドラマそのものはフィクションですが、実話ベースのため、登場人物にも実在のモデルがおり、主人公のモデルは、元伏見工業高ラグビー部の監督の山口良治であることはかなり有名な話。実際にドラマ同様、「泣き虫先生」の愛称でも知られる人物です。また、先日他界した元日本代表の平尾誠二がモデルの選手も、劇中に登場します。

名作といわれるだけあって、「スクール・ウォーズ」は、「殴られた痛みは3日で消える。だが、今日の悔しさは絶対に忘れるな!」「ボールへの執着心が勝利を呼び込むように、最後まであきらめない執着心が人生には必要だ」など、心を揺さぶる名セリフや名場面のオンパレードです。9月からはBlu-ray BOXも発売開始しており、次々と繰り広げられる熱いドラマには、涙腺崩壊間違いなしでしょう。

山下真司の結婚した妻と息子の父親!息子の若すぎる死因は何?

山下真司は7歳年上の妻と結婚していた!息子の父親は大手電気部品メーカーの創業者か?

山下真司の妻は一般人らしく、山下真司よりも7歳年上だそうです。一般人とあって、詳細な情報はオープンにされていませんが、どうやら山下真司とは再婚の様子。前夫は、大手電気部品メーカー「ミツミ電機」の創業者であると伝えられています。しかし、夫が他界し、山下真司と再婚しました。

しかし、ここで問題がひとつ浮上します。実は、結婚した妻には、当時すでに19歳の息子がいました。息子の父親は、山下真司ではなく、もちろん前の夫です。つまり、山下真司は、連れ子がいることを承知のうえで結婚に踏み切ったことになります。

山下真司と妻の連れ子の仲はいたって良く、義理の親子ではありながら、相談も聞くフランクな間からでした。しかし、その息子が2008年に若くして突然他界。山下真司が、無念の思いにかられたことは容易に想像がつきます。

山下真司の義理の息子の若すぎる死!死因は自殺で羽賀研二が関わっていた?

山下真司の義理の息子は、「森部達也」の芸名で活動していた元俳優でした。近況は、宝石関係会社に就職していたと伝えられています。しかし、職場から「連絡が取れない」と一報があったことから、母親が都内の自宅を訪問したところ、冷たくなった姿で発見されました。享年38歳でした。

死因は「心不全」と発表されていますが、「心不全」とは表向きの発表で、本当の死因は自殺だという噂も。彼が自殺しなければならないほど追い詰められた原因は、どこにあったのでしょうか?それには、羽賀研二が大きくかかわっていたというのがもっぱらの噂です。親交のあった羽賀研二から、未公開株の取得を熱心に持ち掛けられた山下真司の義理の息子は、亡き実父の遺産をつぎ込んで出資。大きな損害を被っていたとされています。

それだけでなく、羽賀研二が詐欺事件で逮捕された後は、一連の事件の重要参考人として警察の事情聴取も受け、積もり重なった心労で参っていたとか。山下真司は、「義理の息子の命は、羽賀研二に奪われたも同然」という思いを押し殺すのに懸命だと伝える関係者の声もあります。実は、羽賀研二は、山下真司と同じ所属事務所だったそうで、それだけに、義理の息子を救えなかった山下真司の無念は計り知れません。

山下真司「スクール・ウォーズ」撮影は体当たりの連続だった!モデルとなった平尾誠二他界に「泣き虫先生」も涙!

山下真司が演じた実在の名ラガーマン・山口良治の教え子、元ラグビー日本代表キャプテンで、日本代表監督も歴任した平尾誠二の突然の他界に、大きな衝撃が走りました。53歳の若さでこの世を去った「ミスターラグビー」。近年は、体調を崩して闘病中だったと伝えられています。

京都・伏見工業高(現京都工学院高)時代は、山口良治監督の指揮下で、1981年に全国高校大会を初制覇した平尾誠二。同志社大進学後は、史上初の全国大学選手権3連覇、社会人の神戸製鋼でも日本選手権7連覇の立役者となり、日本ラグビー界の象徴ともいうべき存在でした。

当時の監督だった「泣き虫先生」山口良治も、「悲しみに堪えず、残念でなりません。素晴らしい息子を亡くした。(他界する)順番が違います」と悲嘆にくれています。そして、「体の小さい日本人が、外国人にどう対抗するかをよく理解し、行く先々でリーダーシップを発揮してくれた」と、平尾誠二の功績を称えました。荒れ放題の学校が全国大会制覇に向けてまとまり、生まれ変わる過程は、「スクール・ウォーズ」でも描かれましたが、主人公がラグビー部員を殴るシーンなどは、当時の視聴者にも大きな衝撃を与えたものです。

主人公役を演じた山下真司の回想によれば、「泣くシーンも、初期は苦労していた。でも不思議なもので、自然に泣けるようになっていった」とのこと。役柄について計算する余裕がなく、撮影シーンごとに体当たりの連続で演じたという印象が強かったといいます。しかし、その体当たりの撮影が、視聴者の心を大きく打ったからこそ、「スクール・ウォーズ」には、「人生のバイブル」「目頭が熱くなる」という声が今も多く聞かれるのでしょう。

その縁でラグビーイベントに招かれる機会も多い山下真司ですが、ドラマのBlu-ray BOX発売記念イベントにもゲストとして登場。日本代表の躍進に触れ、「オレが植えた桜がやっと花を咲かせた気分。満開になるのを楽しみにしています」と、2019年ワールドカップでの日本チームの活躍に期待を寄せています。

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