浅丘ルリ子が石坂浩二と離婚した本当の理由とは?小林旭と事実婚だった!

2020年8月13日 更新

浅丘ルリ子が自伝で語る「石坂浩二と離婚した本当の理由」とは?小林旭と事実婚だった!


浅丘ルリ子のプロフィール
◆生年月日:1940年7月2日
◆出身:満州国
◆身長:156cm
◆血液型:A型
◆所属事務所:舞プロモーション

浅丘ルリ子が自伝で語る「石坂浩二と離婚した本当の理由」とは?

大女優浅丘ルリ子(あさおかるりこ)が、自身にとって初めての自伝となった「女優 浅丘ルリ子 咲き続ける」を出版したのは2013年11月1日。大御所女優・浅丘ルリ子が自著の中で、元夫・石坂浩二との結婚・離婚の裏話を語っていると話題を呼んでいます。1971年1月から放送された日本テレビのドラマ「2丁目3番地」での共演がきっかけで仲を深め、同年浅丘ルリ子は石坂浩二と結婚しました。

石坂浩二は、当初の出会いは加賀まりことつき合っていた時に加賀まりこから「浅丘さんはいい女優さんだから会った方がいいわよ」と紹介されたことだと語っています。浅丘ルリ子は天才的な女優でありながら収録の合間に持ってくる手料理が上手で、当時の石坂浩二はすっかり胃袋をつかまれてしまった様子です。

1971年3月21日、当時の人気番組「スター千一夜」に2人そろって出演して司会者から結婚を決めた理由を尋ねられた時には「彼女のことが好きで好きでたまらなかった」と答えるほど、浅丘ルリ子にベタぼれだった石坂浩二。しかし、しばらくすると「自分専用のアトリエが欲しい」と願い出て2人は別居生活に。

しかも別居の理由が創作活動ではなく、女性との生活だったと知った浅丘ルリ子は激しく動揺します。「一旦冷却期間を置こう」と考えましたが、石坂浩二から「ずっと家にいてくれる女性と一緒になって、母親の面倒を見たい。子供も欲しい」と言われ、離婚に応じるほか、手立てがありませんでした。

石坂浩二と浅丘ルリ子は結婚、そしてやがて離婚という道を歩んだのですが、石坂浩二いわく、浅丘ルリ子とは今でもよい友人であるそうです。

浅丘ルリ子と小林旭は「事実婚」状態だった?

浅丘ルリ子は2000年に離婚に至りましたが、実は、石坂浩二との結婚前に、ある大物男優との辛い別離を経験していました。その俳優とは、石原裕次郎と並んで日活の大スターだった小林旭です。1955年に日活からデビューを飾り、その美貌と演技力で看板女優となった浅丘ルリ子は、同じく日活のスター俳優だった小林旭と、1959年10月に第1弾が公開されて以来シリーズ化された「渡り鳥」や同じく1960年2月の1作目公開から続けて制作された「流れ者」シリーズで連続して共演しています。

映画のヒットとともに、2人の仲も深まっていき、「2人で夫婦生活みたいなことをしていた」と自伝で語ったように、今でいう「事実婚」のような生活を送っていました。小林旭は、浅丘ルリ子との結婚を真剣に考えていましたが、浅丘ルリ子の父親が「まだ若すぎる!」と、結婚に猛反対。当時20歳そこそこだった浅丘ルリ子が父親に刃向う手立てはなく、小林旭との事実婚生活も破綻。それがきっかけで一時期荒れた生活を送ったこともありましたが、石原裕次郎に励まされ、女優の仕事に集中することで、何とか立ち直ることができたそうです。

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浅丘ルリ子の生い立ちや経歴は?大原麗子の弔辞に心が震える!

浅丘ルリ子の生い立ちと経歴!現在はどのような活動を行っている?

浅丘ルリ子は1940年7月2日、4人姉妹の次女として、満州国新京市(現中国・長春)で生まれました。父親は大蔵省の高級官僚という家柄でしたが、終戦後に一家は「引揚者」となり、それまでの裕福だった生活が一転。貧しい生活を余儀なくされ、相当な苦労があったようです。

中学校在学中に、小説「緑はるかに」の映画化にあたりヒロイン「ルリコ」役を募集していることを知った浅丘ルリ子。オーディションを受けて合格し、1955年5月に銀幕にデビューを果たしました。その後は、日活の看板女優として約160本もの映画に出演しています。石原裕次郎主演、1964年放映の「赤いハンカチ」、同年放映の「夕日の丘」などでヒロイン役を演じ、1970年の「愛の化石」1971年の「告白的女優論」などでは主演を熱演しています。

2008年には山形県で開催された「ひがしね湯けむり映画祭」に招かれ、長い女優生活において初のトークショーを経験。大女優でありながらも、気取らないサバサバとした性格がウケて、トークショーは大盛況でした。

浅丘ルリ子が女優・大原麗子に送った弔辞に心が震えた!

浅丘ルリ子は、大女優でありながら、情に厚く面倒見の良い人柄で、生前の大原麗子を妹のように可愛がっていました。しかし難病を患い、精神が不安定となった大原麗子は、人格が変わってしまったかのように、他人を罵倒する電話を昼夜問わず浅丘ルリ子の自宅に掛け続けました。その激しさに、さすがの浅丘ルリ子も堪忍袋の緒が切れてしまい、2人の仲は疎遠になってしまいます。

そして2009年に大原麗子が死去。大原麗子に弔辞を送った浅丘ルリ子は「麗子を浅丘さんのうちの家族にして。一番下の妹にして」との言葉通りに、自身の両親や姉の最期に立ち会ってくれた大原麗子のエピソードに触れた後「お見舞いに行った時に私に抱き付いて来た貴女がどんなに寂しく辛かったのかを私はもっと理解すべきだった。姉として貴女の全てを受け止めてあげるべきだった」と語り、「私は貴女のあふれんばかりの優しさ、かしこさ、かわいらしさだけを思い出しています。心静かに休んでください」と結びました。

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浅丘ルリ子は大きな器の持ち主!

浅丘ルリ子は、2013年出版の初の自伝「女優 浅丘ルリ子 咲き続ける」で、元夫である石坂浩二との離婚秘話を暴露しています。ともすれば恨み話の1つや2つ出てきそうなものですが「石坂との生活は、得たことばかりで失うものは全くなかった。彼から『別れたい』と言われなかったら、今も一緒にいると思う」と一笑。辛い別離を経験した小林旭にも「飛行機の中で偶然出会って、思わず抱き付いちゃった!」と、明るく前向きに語るところに、浅丘ルリ子の「人としての器」が表れています。過去の辛かった思い出も自分自身の糧として良い方向に消化し、深く根に持たない、寛容な心の持ち主だといえるでしょう。

小さい子供を見つけたら抱きしめてしまうほどの子供好きでありながら「結婚はしても母親という選択肢は自分にはなかった。仕事のおかげでどんなに辛いことも乗り越えることができたから」と語っています。女優と母親の2足の草鞋を履くのではなく、あくまでも女優としての人生を貫いている浅丘ルリ子。大女優としての芯の強さがにじみでています。

浅丘ルリ子の現在の活動は?今でも元夫・石坂浩二とは仲良し

浅丘ルリ子は2016年7月に日本経済出版社より「私は女優」という著書を出版しています。この本は浅丘ルリ子自らの意思で生い立ちからプライベートの生活にいたるまでその時の気持ちや状況などを綴っており、浅丘ルリ子の性格を反映したようなストレートな言葉の数々に、親近感を持つ読者も多かったようです。本書では浅丘ルリ子と親交の熱い3人の男性が彼女の魅力を対談で語っており、その対談にもそれぞれの男性とお互いにリスペクトしている様子がうかがえ、舞台裏が分かって面白いと評判でした。

80代という年齢に突入しても、浅丘ルリ子は現役で輝きを放っています。2019年4月から1年間という長期にわたり、テレビ朝日で放映されたドラマ、倉本聰氏作の「やすらぎの刻(とき)~道」にて石坂浩二、加賀まりこ、そして浅丘ルリ子が共演しました。浅丘ルリ子は「特に、石坂さんとはものすごく会いたかったです」とコメントするなど、かつて夫婦だった2人の関係は現在は何のわだかまりもない、よい友人関係である様子をうかがわせました。加賀まりこと浅丘ルリ子は今でも仲が良いらしく、「加賀さんとはしょっちゅうお茶を飲んだり、セリフの練習をしたりしていました」とコメントしています。3人で過去のあれこれを超越した、仲の良い俳優同士としての関係を築いているようです。これからも大人の余裕をにじませながら、大女優として君臨していてほしいものです。

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