風見しんごの娘・えみるの事故とは?次女の現在、子供は何人?

風見しんごの娘・えみるの事故とは?次女の現在、子供は何人?


風見しんごのプロフィール
◆生年月日:1962年10月10日
◆出身:広島県
◆身長:169cm
◆血液型:A型
◆所属事務所:マスタープラン

風見しんごの娘・えみるの事故とは?

タレントの風見しんご(かざみしんご)といえば、いつも明るく元気なイメージ。そんな風見しんごが、難しい顔で沈黙を続け、泣き顔を見せたのは、ある事故によるものでした。2007年、当時10歳だった風見しんごの長女・大下えみるが、トラックにはねられたとの通報が近所の人から入りました。

事故現場は、風見しんごの自宅から100mほどのところにあったため、すぐに駆け付けた風見しんご。そこで見た光景は、腰にトラックが乗っかり下敷きになっている愛娘・えみるの姿。風見しんごは、すぐにトラックを持ち上げて、娘を救出しようと試みました。しかし1人の力では、トラックはビクともしません。大人10人ほどが集まり、ようやくトラックを持ち上げ、なんとかえみるを救出しましたが、娘の顔はうっ血し、ひん死の状態でした。「頑張って」その声に応えるように1度は止まった心臓が動いたものの、再び停止。その尊い命は失われてしまいました。「怒りを運転手にぶつけたとしても娘は帰ってこない」喧嘩が大嫌いだった愛娘を思い、風見しんごは青信号横断中に進入禁止ゾーンで事故を起こした運転手に何も言わなかったそうです。

風見しんごの子供は何人?次女の現在は?

1994年、風見しんごはミス日本に輝いた経験をもつ元タレントの荒井晶子(あらいしょうこ)と結婚しました。風見しんごの子供は、女の子が2人。長女・えみるは交通事故により亡くなってしまったので、現在は次女・ふみね1人になります。2008年には長男を授かっていたのですが、死産だったそう。長女を失った翌年に悲しい出来事が続き、風見しんご夫妻はかなり苦しんだようです。

姉のえみるが事故にあった時、次女・ふみねはまだ3歳でしたが、両親をはじめとした周囲の大人が、憧れの姉・えみるの死を悲しんでいることを感じとっていました。ふみねは、散歩中に名前をきかれた時に自分のことを「えみる」と名乗り「だってえみるがいれば大人は泣かなくなるでしょ?私がえみるになる」と口にするなど、幼い身で必死に気遣いをしてみせたといいます。次女の苦しみに気づけなかったことを詫びて涙する風見しんごに対して「いい子、いい子。泣かないで」と頭をなでた、みふね。その姿を前に夫妻は前を向く決意を固めました。

そんな辛かった時期を家族で乗り越え、ふみねは2017年にアメリカのハイスクールへ進学し、母子仲良くアメリカでの生活を満喫しているようです。アメリカで生活を送るようになり、内向的だったふみねの性格も明るく積極的に変わったとのこと。荒井晶子も娘と一緒に英語を学びながら前向きに生活をしているようです。長女を交通事故で亡くし、長男を死産という形で失った家族ですが、元気に成長しているふみねを中心に、家族で頑張って立ち上がっています。家族3人で元気に過ごしている姿をえみると長男も見守っていることでしょう。

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風見しんごは「涙のtake a chance」で日本初ブレイクダンスを披露していた!

風見しんごのアイドル時代

風見しんごは広島県出身のため、高校まで広島にいましたが、大学進学を機に東京に上京しました。1982年、TBS「欽ちゃんの週刊欽曜日」のオーディションに合格したことをきっかけに芸能界にデビューをした風見しんご。合格の決め手は「挨拶の時の声が元気で大きかったから」とは、なんとも萩本欽一らしい理由です。「欽ちゃんファミリー」の中でも、可愛い顔をした風見しんごはとても人気がありました。そして、1983年5月、風見しんごは「僕笑っちゃいます」で歌手デビューを果たします。その年の「日本有線大賞最優秀新人賞」、「日本レコードセールス大賞新人賞」を受賞していることからも、当時の風見しんごの人気の高さが分かります。

実はふみねがアメリカ留学を決めたきっかけも萩本欽一が作りました。長女の事故から2週間ほどのタイミングで、舞台に立つことになった風見しんご。楽屋に連れて行ったところ、みふねが座長の萩本欽一に「舞台に出たい」と言ったそう。この言葉に対し「じゃ、英語ができるようになったらね!英語が話せないとダメな時代がきっとくるから!」と答えた萩本欽一。ふみねはこの幼き日の約束を胸に、英語を学びたいとアメリカへの留学を決めたそうです。

風見しんごは日本初のブレイクダンサー!?

風見しんごは1984年12月、4枚目にリリースした「涙のtake a chance」で、ニューヨークに行き猛特訓して覚えたという本格的なブレイクダンスを取り入れた振付を披露しました。「歌を歌いながら踊る」ではなく、「踊りに歌が付いてくる」という、これまでの日本のアイドルには見られなかったパフォーマンスに世間は大注目。日本で、テレビを通じて初めてブレイクダンスを披露したのは、風見しんごだといわれています。

この時の風見しんごの姿を見て、ブレイクダンスを始めたり、ブレイクダンスを覚えたりしたという人も少なくないことから、日本でのブレイクダンス先駆者だとさえいわれている風見しんご。ブレイクダンスにとどまらず、ダンスミュージックの先駆者にも位置づけられているのです。

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風見しんごはいくつになっても風見しんご!

風見しんごのすごさとは?

風見しんごをリスペクトする存在だと言い切るのは、ブレイクダンスをたしなむ岡村隆史やガレッジセール。風見しんごは、ブレイクダンスにバトルダンス、タップダンス、ラップ、打ち込みを導入するなど、音楽面でも新しいことを次々と取り込んでいきました。レベルの高いダンスを会得したことで、真剣にダンスをしながら綺麗に歌うことは無理だと証明したのも風見しんごです。

ここから、「口パク」が認められる風潮になりました。しかし、風見しんご本人は、口パクを1度もしたことがないそうです。2010年に「涙のtake a chance」を歌ったときにも、当時と変わらないキレのあるダンスで会場を魅了しました。歳をとっても、風見しんごは風見しんごです。

1987年5月公開の映画「あいつに恋して」では、相手役の森高千里の芸能界デビューのきっかけを作り、1992年の主演映画「200X年・翔」では、息子役の堂本光一とその同級生役の堂本剛が、その後「kinki kids」としてデビューするきっかけを作りました。

バラエティー番組などに出演すれば必ず高視聴率が取れる高視聴率男として、風見しんごは、各局の社長賞、会長賞を何度も受賞してもいます。一見地味なようでいて、数々の伝説級の功績をテレビ界に残してきた風見しんご。これからも芸能界になくてはならない存在であり続けることでしょう。

風見しんごは悲しみを力に変えて前に進む

風見しんごは2016年4月5日にこの年に成人式を迎えるはずだった長女・えみるへの想いを記した著書「さくらのとんねる」を発売しました。著書では、悲しい事故後の10年間をどのようにして家族3人で「希望」に向かって過ごしてきたのかが綴られています。

えみる亡き後は、日本全国で交通事故による死亡者を減らすべく交通事故に関する講演会や、交通安全関連のイベントおよび啓蒙活動に力を入れています。

愛娘を亡くしてからすでに10年以上が経ちますが、子供を亡くした親の悲しみは何年経っても変わることがありません。その悲しみと亡き子への想いを原動力にして風見しんごは必死に前向きに進んでいるようです。風見しんご夫妻は「長女と天国で再会した時『頑張ったね』と言ってもらえるように」とその胸中を語っています。

現在(2020年時点)、風見しんごはTBS系の「噂の!東京マガジン」やフジテレビの「ノンストップ!」、千葉テレビ放送の「カラオケ大賞」などにレギュラー出演をしています。風見しんごの活躍に励まされる人も多いことでしょう。これからもその才能と様々な経験を活かし、笑顔を届けてほしいものです。

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