遠藤一彦はクロマティを黙らせたエース!引退試合は三浦大輔のデビュー戦だった

遠藤一彦はクロマティを黙らせたエース!引退試合は三浦大輔のデビュー戦だった出典:http://blog.goo.ne.jp
スポンサーリンク

遠藤一彦の成績や年俸など現役時代の戦歴は?あのウォーレン・クロマティを黙らせた!

遠藤一彦の現役時代は元横浜大洋のエース!2年連続最多勝の成績で弱小時代を支えた

遠藤一彦(えんどうかずひこ)は、元横浜大洋ホエールズでエースを張った投手です。長身から投げ下ろすストレートとフォークボールを武器にエースとして君臨し、当時弱小だった横浜大洋ホエールズを支えました。遠藤一彦の通算成績は、460試合に登板して134勝128敗58セーブ、防御率3.49。2208と1/3回を投げ、先発276試合中109完投、14完封、23無四球試合、1654奪三振を記録しています。

獲得タイトルは、最多勝利2回に加えて、沢村賞1回、ベストナイン1回、カムバック賞1回です。学校法人石川高校から東海大学に進学し、リーグ通算28勝をマークした遠藤一彦は、1977年ドラフト会議で、横浜大洋から3位指名を受けてプロ入りしました。2年目の1979年には、先発と抑えの両輪で12勝を挙げ、1981年からは先発ローテーションの中心として活躍します。

1982年からは6年連続二桁勝利を挙げ、1983年から2年連続最多勝タイトルを獲得。球速140km台後半のストレートと、落差の大きいフォークボール、そしてフォームの美しさは今も語り草です。読売巨人軍の江川卓に対して強い意識を持ち、彼との投げ合いに勝つことに生き甲斐を見出していたのは有名な話です。

1987年10月の巨人戦でランナーとして走塁中、右足アキレス腱を断裂する重傷を負った遠藤一彦。翌年に一軍復帰を果たしたものの、往年の球速は蘇らずに低迷しますが、1990年にクローザーへ転向し、6勝21Sの成績で復活してカムバック賞を受賞しました。そして、チーム名が「ベイスターズ」に変わる直前の1992年限りで現役引退を表し、横浜大洋のエースとしてマウンドを去りました。

スポンサーリンク

遠藤一彦はあのウォーレン・クロマティを黙らせた?「ココが違うんだよ」と強烈なしっぺ返し!

遠藤一彦は、「巨人最強の助っ人」と称されたウォーレン・クロマティの全盛期に、手玉に取って黙らせたエピソードが有名です。派手なガッツポーズやスタンドに向かってのバンザイ三唱など、数々のパフォーマンスで大人気だったウォーレン・クロマティですが、一方で、相手を挑発するかのような行為も目立ち始めていました。

中でも対戦チームが怒りを募らせたのが、ヒットを打った後に指で自分の頭をチョンチョンとつつくポーズでした。「頭の中身が違うんだよ」とばかりにニヤッと笑う行為に、相手は「ナメてんのか」と怒り心頭。いかにも小馬鹿にしたかのようなパフォーマンスに、「いつか見てろ」と敵愾心を燃やしたピッチャーも少なくありませんでした。しかし、来日して日本野球にも慣れ、打棒好調なウォーレン・クロマティを黙らせるのは容易なことではありません。

前年まで4年連続2桁勝利を記録し、ハマのエースとして脂がのっていた遠藤一彦。迎えた1986年4月25日の対巨人戦に先発登板し、1回表にウォーレン・クロマティと相対します。2球連続してフォークボールで簡単に2ストライクを取り、次の球は、セオリー通りならば1球外すかストレートを投げる場面でした。

スポンサーリンク

ウォーレン・クロマティもそのように配球を読んでいましたが、その裏をかくかのように、次の1球はウイニングショットのフォークボール。完全に読みが外れたウォーレン・クロマティは手も出せず、ストライクバッターアウト!憮然としてベンチへ引き揚げるウォーレン・クロマティに、遠藤一彦は指で自分の頭をつついて「ココが違うんだよ」のポーズでニヤリ。強烈なしっぺ返しを食らったウォーレン・クロマティは、複雑な表情で黙り込むしかありませんでした。

遠藤一彦の引退試合は三浦大輔のデビュー戦だった!現在の仕事は?

遠藤一彦の引退試合で三浦大輔がデビューしていた!新旧エースのバトンタッチ実現!

遠藤一彦がマウンドを去る引退試合で、1人のルーキーが1軍デビューを飾ったことをご記憶のファンがどれほどいらっしゃるでしょうか。ドラフト6位で入団したそのルーキーの名は三浦大輔。そう、あの「ハマの番長」です。長年にわたりベイスターズのエースとしてマウンドに上がり続けることになる男のデビュー戦が、エース遠藤一彦の引退試合だったとは、偶然と言うにはあまりにもできすぎています。

この試合は、横浜大洋ホエールズから横浜ベイスターズへ、そして、旧エースから新エースへのバトンタッチ実現という大きな意味を持っていたと言えるでしょう。とはいえ、若き日の「ハマの番長」にとっては、センチメンタルな気分に浸っている場合ではありませんでした。やっと巡ってきた1軍登板のチャンスに、「やった、やっと登板できる」と胸躍らせていました。

7回から3番手として登板した三浦大輔は、残り2回を完璧に抑えてデビューを飾ると、そのまま試合後の遠藤一彦の引退セレモニーを目の当たりにします。スタンドからは万雷の拍手と涙まじりの声援が送られる遠藤一彦の姿を見て、「いつかこんな引退試合をしてもらえる選手になりたいと思いました」という三浦大輔。「ハマの番長」の原点は、まぎれもなくこのデビュー戦、遠藤一彦の引退試合にあったと言えます。

遠藤一彦は現在、一般企業で営業職?鎌倉市観光協会に勤務していた時期もあった!

プロ野球選手として名を成したほどの人物であれば、現在の職業は、野球指導者か解説者というパターンが王道でしょう。しかし、遠藤一彦はやや異色と言えます。彼の現在の職業は、岡山県に本社を置く水素水機器販売会社の東京営業所の非常勤勤務です。

また、2009年から6年間は、鎌倉市観光協会の専務理事として勤務していた時期もあったとか。これまた意外な経歴ですね。かつては横浜のピッチングコーチを務めていましたが、現場から離れてずいぶん久しくなりました。横浜大洋の苦しい時代を支えた大エースでありながら、この現状は寂しいと多くのファンが感じているはずです。

もっとも、完全に野球から離れてしまったわけでなく、野球解説をこなしながら、小中学生向けの野球指導に携わる活動もしています。彼の野球指導を受けたOBには、甲子園球児や社会人野球へ進んだ選手もいるそうですが、ドラフト指名を受ける選手はまだ誕生していないと言います。かつてのハマのエースがプロに後進を送り込む日がいつか来るでしょうか。

遠藤一彦が横浜大洋時代のユニフォームで始球式!歴代選手が集結した一戦でも継投!

現在はプロ野球の第一線から遠ざかっている遠藤一彦ですが、始球式やOB戦では往年の姿を披露しています。2016年は、「We☆YOKOHAMA DAY」と題した、復刻ユニフォームを着用する試合で試合前の始球式に登板。1978年から1992年にかけて使用された横浜大洋時代のユニフォームに身を包み、内角へ見事なストライクを決めて満面の笑みを見せました。

2017年は、OB・現役対抗戦「ハマスタレジェンドマッチ」にも登場しています。2018年に40年を迎える横浜スタジアムの改修工事を前に、大洋ホエールズ時代から現在の横浜DeNAベイスターズまでの歴代選手が、ズラリと集結したこのイベント。ホエールズ時代のメンバーが中心の「チームヨコハマ」と、1998年に日本一に輝いたメンバーが中心の「チーム1998」とに分かれ、詰めかけた2万3000人のファンを大いに楽しませました。

「チームヨコハマ」は、カミソリシュートで鳴らした平松政次から、名リリーバー齊藤明雄、そして遠藤一彦というホエールズ歴代エースによる豪華な継投が実現。一方の「チーム1998」も、「ハマの番長」三浦大輔に「大魔神」佐々木主浩が締めくくりで登板というこれまた豪華リレーに。試合は3-2で「チーム1998」がものにしましたが、これだけの懐かしい面々が一堂に会するなどめったにないことです。

ファンにとっては、遠藤一彦の雄姿を見ることができ、さぞ満足な1日となったに違いありません。今後は、横浜DeNAベイスターズ投手陣に、遠藤一彦のようなフォークボールの後継者が現れるかにも注目していきたいところです。

スポンサーリンク
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

関連記事

ページ上部へ戻る