ボッティチェリ代表作「ヴィーナス誕生」「春」を解説!三美神とは?

ボッティチェリ代表作「ヴィーナス誕生」「春」を解説!三美神とは?

ボッティチェリの最高傑作「ヴィーナス誕生」とは?

ボッティチェリ(1445~1510)は、イタリアのルネッサンス期に最も活躍したフィレンツ派を代表する画家。『東方三博士の礼拝』『反逆者たちの懲罰』『柘榴の聖母』『ヴィーナスとマルス』など、数々の宗教画や神話画を遺しました。その中でも、最たる代表作といえば『ヴィーナスの誕生』でしょう。

『ヴィーナスの誕生』は、1485年頃に描かれたとされ、ボッティチェリの最高傑作といわれています。実はこの『ヴィーナスの誕生』、ボッティチェリのもう1つの代表作『春』の対画として発注を受けて、制作されたそうです。画の中央で、貝殻の船に乗って、海から誕生した一糸まとわぬ姿の女神ヴィーナスは「天上のヴィーナス」を表しており、それに対して『春』に描かれている着衣したヴィーナスは「世俗のヴィーナス」として表現されています。

画面左側で花を撒きながら女神の誕生を祝っているのは、西風の神ゼロウスとその妻フローラ。右側には、生まれたばかりで裸体のヴィーナスに絹布を纏わせようとしている、時の女神ホーラが描かれています。

ボッティチェリの代表作「春」に描かれている「三美神」を解説!

ボッティチェリの最高傑作である『ヴィーナス誕生』の対画として制作された『春』には、愛の女神ヴィーナスを中心として、左側にヘルメスと3人の女神たち、右側には春の女神であるプリマヴェーラと花の女神フローラ、そして西風ゼフュロスが描かれています。ヴィーナスの左側に位置する3人の女神たちは「三美神」。一般的に「三美神」とは、ギリシャ神話とローマ神話に出てくる魅力・美貌・創造を司っている女神たちですが、ボッティチェリの作品中の3人は、左は「愛欲」、中央は「純潔」、右側は「愛」を象徴する女神たちと解釈されています。

左の「愛欲」と中央の「純潔」の女神たちは、相対する象徴ゆえに、お互いが牽制し合っているように見えますが、そんな2人の女神たちを右側の「愛」の女神が仲裁に入っているのでしょうか。「三美神」の意味を知ると、愛の力で柔らかく包み込み、優しく見守っているように感じられますね。

ボッティチェリ「地獄図」とはダンテ神曲の挿絵!所蔵はどこ?

ボッティチェリが遺したダンテ神曲「地獄図」の挿絵とは?

ボッティチェリは、『神曲』の『地獄篇』の挿絵も制作しています。『神曲』とは、13~14世紀にイタリアを代表する詩人・政治家でもあったダンテ・アリギエールによって創られた、地獄篇・煉獄篇・天国篇の三部からなる、全1万4233行にもわたる壮大な韻文の叙事詩です。このイタリア文学最大の古典であるダンテ『神曲』の原題は、意外にもイタリア語で『神聖喜劇』を意味します。同じくイタリアを代表するフィレンツ派の画家であり、ダンテの『地獄篇』に感銘を受けたボッティチェリは、メディチ家の依頼を受けて、約100枚もの挿絵を制作。

ダンテ『神曲』の叙事詩本文と挿絵が対応しており、この時代の画家にしては珍しく、物語性を織り込んで制作されました。全作品は、37㎝×47㎝の大版羊皮紙に描かれたもので、現在90数点が残っていますが、そのほとんどが素描画。彩色が施されているのは、その中のわずか3点のみだそうです。しかしながら、その3点の挿絵の1枚『地獄見取り図』の中に描かれた地獄絵図は、精密機械のような正確なデッサンでありながら、妖怪と人間たち魑魅魍魎とした、何とも筆舌しがたい闇の世界も見事に表現されています。

ボッティチェリの挿絵がWeb上で閲覧できる!所蔵図書館ってどこ?

ボッティチェリの挿絵『ダンテ神曲』を所蔵しているのはバチカン図書館です。2014年10月20日、そのバチカン図書館において、NTTデータのデジタルアーカイブシステムによる手書き文献のデジタル画像公開が始まりました。館の所蔵する貴重な手書き文献がWeb上で閲覧できるのは、ボッティチェリの挿絵『ダンテ神曲』、ルネッサンス期の『ウルビーノ聖書』、西暦400年頃にローマで制作された『ウェルギリウス』など。NTTデータによると、今後2018年3月末までに、バチカン図書館が所蔵する3000点の手書き文献のデジタル化を予定しており、順次公開を進めていくとのことです。

バチカン所蔵の貴重文献が、パソコンのみならず、スマートフォンやタブレット端末からでも気軽にアクセスして自由に閲覧できるなんて、まるで夢のような話ですね。

ボッティチェリの後期代表作品「アペレスの誹謗」と時代に翻弄された晩年の人生とは?

ボッティチェリが生きた1490年代。フィレンツェの街は、歴史的激動によって、政治的にも、社会的にも、大きな変換の時期を迎えます。そんな時代の流れに影響されたのか、ボッティチェリの画風にも変化が生じました。後期の代表作品『アペレスの誹謗』では、現存した古代ギリシャの画家アペレスの既存作品の復元を試みています。今までになかったボッティチェリの挑戦は、『神曲』の挿絵を手掛け、デッサン力のみならず、創作や想像力にも長けたボッティチェリだからこそできた試みでした。

ところが、ボッティチェリのパトロンであり、当時の権力者だったメディチ家の当主亡き後、年齢と共に作品数が激減していたボッティチェイの生活は一変します。生涯を絵に捧げ、独身で通したボッティチェリには、金銭面で助けてくれるパートナーはおらず、生活が窮地に追いやられてしまったのです。

若き頃に才能を開花させ、ルネッサンス期のフィレンツェ派を代表する画家と称されながらも、晩年は時代の波に翻弄されて、フィレンツェの街の片隅で、貧困に苦しみながらひっそりと生涯を終えたボッティチェリ。皮肉にも、時代は、ミケランジェロやラファエロが大活躍していたルネッサンス絶頂期でした。いつの時代、どのなに才能に溢れていていようとも、先立つものが無ければ大輪の花を咲かすのは難しいようです。

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