大西健斗(北海高校)夏の甲子園イケメンエースの激闘に感動!出身中学は?
大西健斗(北海高校)夏の甲子園の激闘を勝ち上がったイケメンエース
大西健斗(北海高校)は、球児たちの熱い激闘で感動を呼び起こす夏の甲子園に出場した、北海道代表・北海高校のさわやかなイケメンエースです。岡田准一似の甘いマスクな上に、エースで四番、そしてキャプテンも務めるという三拍子も四拍子もそろった大西健斗。キャプテンまで任されるというのは、野球の実力が高いことはもちろんのこと、監督やチームメイトからの信頼が厚い証といえるでしょう。
決勝では、作新学院に敗れ、惜しくも準優勝となりましたが、並みいる強豪をその右腕で抑え、勝ち上がってきた実力は伊達ではありません。
大西健斗(北海高校)は伝統を重んじるイケメン?出身中学は?
大西健斗がエースを務めた北海高校は、北海道では知らない人のいない野球の強豪校です。甲子園出場回数も、全国でも最多の37回を誇ります。プロ野球選手も数多く輩出しており、「ミスタースワローズ」と呼ばれた若松勉も出身者の1人。大西健斗は、そんな歴史ある野球部の伝統を重んじて、マウンドでは、淡々と表情を崩さずに投げることを意識したのだとか。
偉大なる先輩たちが築いてきた落ち着いたチームカラーにあわせたといいます。そんな礼儀正しい大西健斗は、札幌育ちの道産子。出身中学は、札幌市立中央中学校。小学校時代はリトルリーグの鉄東スワローズ、中学校時代は札幌北リトルシニアに所属していたそうです。
大西健斗(北海高校)ドラフト指名や進路は?球種、球速を徹底解剖!
大西健斗(北海高校)の気になる進路は?ドラフト指名される?
大西健斗(北海高校)は、2016年、高校3年生の夏に甲子園で準優勝を勝ち取り、自らの高校野球生活を有終の美で終えました。普通ならば、次に見据えるのは、プロへの道です。北海道出身ですから、地元を本拠地としる日本ハムファイターズが、ドラフトで狙ってくることが多いに考えられます。
しかし、大西健斗自身は、大学進学を考えているようです。ちなみに、大西健斗の通う北海学園は、付属大学があり、こちらの野球部もかなりの強豪。1、2年生の頃は、進路はあまり明確ではなかったようですが、高3になり、はっきりと大学野球のことをイメージしだしたと思われます。
大西健斗(北海高校)の球種、球速を徹底解剖!右腕の実力は?
大西健斗(北海高校)は、イケメンぶりや、その礼儀正しい振る舞いが話題になっていますが、ピッチャーとしての実力はどうなのでしょうか。多くの強豪校を倒して決勝まで投げぬいてきただけあって、大西健斗は球種も多彩。スライダー、カーブ、スプリット、チェンジアップを投げ分けることができる器用さを持っています。
コーナーをつく制球力があり、低めにボールを集めることができるので、打者にしてみると嫌なピッチャーには違いありません。フォームはコンパクトで、普段の球速は130キロ台ですから、決して剛腕というわけではありませんが、最速では143キロを記録。高校生としては十分の実力だといえそうです。
大西健斗(北海高校)が高2で味わった大惨敗!人生最大の屈辱で生まれ変わった!
大西健斗(北海高校)は、創部116年の歴史ある北海高校野球部を、88年ぶりに準決勝に導き、準優勝までさせた立役者ともいえる、イケメンエースです。伝統ある野球部を、エースとして、4番として、キャプテンとして、あらゆる立場から背負って率いていくのは、並大抵のことではなかったでしょう。若干17歳の少年が背負うには、少々重すぎるほどの重圧に、大西健斗はつぶされることなく立ち向かうことができたのでしょうか。
北海高校は、北海道を代表する強豪校ということだけあって、甲子園には毎年のように出場しています。そのため、大西健斗にとっても、2016年の甲子園が初めてではありません。なんと、高1の時から、ベンチ入りを果たしていたといいますから、その才能は抜きんでていたのでしょう。
しかし、甲子園はそう甘いものではありません。高校2年の夏、大西健斗にとって人生最大の屈辱ともいえる事態がおこります。初戦で北海高校が戦ったのは、南の強豪校・鹿児島実業。中継ぎとして、2人の三年生の後をうけて立ったマウンドで、大西健斗は1つのアウトもとれずに3失点し、あえなく降板。中継ぎとしての仕事を1つもすることができなかったのです。大観衆の前でのプレイ、しかも全国にテレビ中継されている、そんな状況でアウトを1つもとれず失点したのですから、大西健斗が悔しい想いをしたことは間違いありません。
その時のことを振り返った大西健斗は、「自分のすべての力を出し切っても、壁のように跳ね返されてあの甲子園には悔しさしかないです」と語っており、その後1カ月くらいは、練習に集中することもままならない精神状態に陥ったといいます。
しかし、それぐらい悔しいと思えるようでなければ、強くはなれないのかもしれません。その様子を近くで見ていた父の亮人は、息子に手紙を書いたそうです。
父の思いが通じたのか、大西健斗は気持を入れ替えて、練習に取り組むことができるようになります。厳しい部での練習が終わって帰宅してからも、家で自主トレを欠かすことなくやるようになったのだとか。大西健斗を生まれ変わらせた父の手紙には、なんでも「世界最強になれ!」と書かれていたといいます。
さすが、日本一を目指す人の父はスケールが違いますね。そうして、2016年には見事な快進撃を見せ、前年の雪辱を果たした大西健斗。一歩間違えれば、高2の敗北が一生のトラウマとなり、二度と野球の世界とはかかわりたくないと思う事態だってあったはずです。
しかし、それを跳ね返すことができたからこそ、エースとして、4番として、キャプテンとして、伝統校を準優勝までひっぱっていくことができたのはないでしょうか。大西健斗には、野球を続けることで、多くの人にまた新たなさわやかな感動を味わわせてほしいものです。