2022年10月29日 更新
Zeebraが歌詞でkj(降谷建志)を公開処刑!経緯とその後は?
◆出身:東京都
◆メジャーデビュー:1997年7月25日
◆所属事務所:SOLOMON I&I PRODUCTION
◆レーベル:GRAND MASTER
Zeebraはラップ歌詞でkj(降谷建志)を激しくディスっていた!公開処刑した理由を解説
Zeebra(ジブラ)は、日本を代表するヒップホップMCとして有名で、ラッパーたちの憧れです。
Dragon Ashのボーカルとして知られるkjこと降谷建志も、Zeebraをリスペクトするミュージシャンの1人でした。Zeebraもまた、kjの音楽性に好感を持ち、1999年5月発売のDragon Ash最大のヒット曲「Grateful Days」には、ゲストボーカルとして参加しています。
ところが、Zeebra率いるヒップホップグループ・キングギドラが、2002年10月にリリースしたアルバム「最終兵器」の収録曲「公開処刑」の歌詞は、kjをコテンパンにディスるものでした。
「kj」「Grateful Days」と名指しした上で、「金魚の糞」「フェイク野郎」とは、穏やかではありません。Zeebraが、kjを公開処刑するに至ったのは、2000年7月リリースのDragon Ashの楽曲「Summer Tribe」が原因でした。
「Summer Tribe」のkjのラップの声、押韻、PVでのステージングの全てが、モノマネレベルでZeebraに酷似していたため、「パクってんじゃねえ!」というメッセージを突き付けたのが「公開処刑」です。
Zeebraに対するkj(降谷建志)のアンサーソングは?
Zeebraが、kjをディスったキングギドラの「公開処刑」は、かなり過激な内容でした。「わざわざ楽曲として発表しなくても」という意見も聞かれますが、このラップによるディス行為は、本場・米国のヒップホップ界では、流儀として発展してきた経緯があります。
BEEF(ビーフ)と呼ばれるこの文化に則れば、kjが「公開処刑」に対する、アンサーソングを発表して、謝罪なり反論なりを行うものです。
しかし、kjにその意思はなかったようで「ROCKIN’ON JAPAN」2003年5月号の対談では、「公開処刑」について、「受け止めて生きていく」と表明。楽曲が酷似していたことについても認めていますが、「敬意を表すあまり」と、意図的なパクリ行為は否定しています。
Zeebraとkj(降谷建志)に和解発表はないが…
「公開処刑」以降、Dragon Ashの楽曲は、ラップから歌唱表現の楽曲へと変化していきました。Zeebraも、2008年11月に出版した自伝書「ZEEBRA自伝 HIP HOP LOVE 」で、Dragon Ashのオリジナリティを認めています。
公式に和解したという発表はありませんが、Zeebra側では過去の話として消化しているようです。Zeebraは2020年4月、YouTubeに「Grateful Days」のリリック解説動画を投稿。同曲について自ら「いわく付き」「俺が擦る度に炎上する」と紹介しています。
翌月放送の音楽特番「STAY HOME, STAY STRONG~音楽で日本を元気に!~」では、kjと共演。直接的な絡みはなかったものの、大きな話題となりました。
ZeebraとRIP SLYMEの関係は?
「公開処刑」には、Kダブシャインが「屁理屈ライム」「勘狂う」と、RIP SLYMEとKICK THE CAN CREWを挑発するような部分もありました。
2017年12月にYouTubeにアップされたZeebraとRIP SLYME・RYO-Zの対談では、同曲を語る場面も。RYO-Zは、当時、メンバーのPESがZeebraから「俺はRIP SLYMEのことは言ってないから」と声をかけられていたことを明かしています。
さらに、RYO-Zは、Kダブシャインも「みんなにいじられて困ってる」と話しかけてきたと述べ、両者の関係性が悪くなかったことを示唆していました。
ヒップホップ以外の世界では、「誹謗中傷」と捉えられがちなBEEF。考え方は様々ですが、本場の流儀に馴染んでいるほど、仕掛けられる覚悟を持って入る世界だという意識が強いのでしょう。プロレスのようなエンタメ要素として、闘い方も魅せどころと考えると納得できるかもしれません。
Kダブシャインは、2019年7月に出演したYouTubeの動画で「公開処刑」のタイトルが「弟たちへの手紙」だとしたら、世間の反応が違ったはずだと語っていました。本来は叱咤激励しようとしていた意図が読み取れるのではないでしょうか。
Zeebraが慶應義塾大学でラップを教える特別講師に!
Zeebraは慶應幼稚舎出身!母校・慶應義塾で大学特別講師に
小学校は慶応義塾幼稚舎に、中学校は慶応義塾普通部に通っていたZeebraですが、中学2年生の時に留年し、転校しています。高校は別の私立高校に進学したものの、中退。学歴としては、中卒ということになります。
Zeebraは、元々ヒップホップDJを目指していましたが、17歳でニューヨークに渡った時に、本場ブラックラップのメッセージ性に取りつかれ、MCを目指すようになりました。
その後、日本人ラッパーとして不動の地位を手に入れたZeebraは、2017年に母校である慶応義塾の大学で特別講師に抜擢され、「現代芸術2 ヒップホップ文化とラップの構造」という授業を担当しました。
2017年12月に公開された「BuzzFeed News」の取材では「日本でもようやく、ヒップホップが文化・芸術として認められるようになってきた」と喜びを露わにし、「大学で教えることができて、こんなに嬉しいことはありません」と語っています。
ZeebraについてR-指定が暴露!まるで学級委員長?
Zeebraはラッパーとして活動するだけではなく、ヒップホップが芸術として認められるよう社会的な活動も行ってきました。
「クラブとクラブカルチャーを守る会(CCCC)」の会長として風営法改正に努めているほか、MCを担当した2015年9月から2020年7月放送の「フリースタイルダンジョン」はヒップホップの普及に大きく貢献したといえます。
また、Creepy Nuts・R-指定は2020年1月放送の「Creepy Nutsのオールナイトニッポン0」で、ポイ捨てをした後輩に対して指導するZeebraのエピソードを披露。「ビーボーイは街で遊んで街で生きているんだから、街のゴミを拾うぐらいになんないとダメなの」とまるで学級員長のように叱っていたと語りました。
Zeebraは「渋谷区観光大使・ナイトアンバサダー」として、ナイトシーンの整備や活性化にも貢献。日本ヒップホップ界の中心にいる立場として、業界の文化的、社会的な地位向上になくてはならない存在となっています。
ワルそうな空気をまとっていても、Zeebraは後輩を導きたい面倒見のよい性格なのでしょう。「公開処刑」という名の「弟たちへの手紙」を、世に出した背景といえそうです。
Zeebraのすごさはリリックだけじゃない!生き様がかっこいい
リリックに注目されがちなZeebraですが、彼のすごさは表に出ている面だけでは語れません。
今や一般的となった日本語ラップですが、Zeebraたちキングギドラが日本語で韻を踏むスタイルを普及させたといっても過言ではないでしょう。Zeebraは日本語ラップのハウツーがなかった90年代から模索しながら走り続け、国内のヒップホップ業界をけん引する存在となりました。
アメリカの真似とは異なる、日本人ならではのヒップホップを追求し広めようとした情熱と行動力こそが、彼のすごさなのではないでしょうか。
そのためか、2020年3月公開の「新R25」のインタビューでは、若い世代に対して「世の中で起きていることや見聞きしたことに対して、自分なりのスタンスを持って、それをこっちに聞かせてほしい」とコメントしています。
BEEFとして後輩たちをディスったことで、今もなお話題となる「公開処刑」。しかし、Zeebraの発言からも、単なる誹謗中傷ではなく「ヒップホップ特有のエンタメ」であり、自分らしさを確立してほしい!という痛烈なエールでもあったことがわかります。
同曲を収録したアルバム「最終兵器」は日本のヒップホップの変遷を知るにあたって外せない1枚。物議を醸して文化に目を向けさせたことも含め、歴史の1ページを築いたといえるでしょう。