司葉子の息子や夫がスゴ過ぎる!相田翔子との嫁姑問題は?

2019年4月5日 更新

司葉子の息子や夫がスゴ過ぎる!相田翔子との嫁姑問題は?

司葉子の息子は医師で夫は元大物政治家!品格女優らしい華麗な結婚

司葉子(つかさようこ)は、気品を讃えた美しさで、東宝映画を壮麗に輝かせた女優です。その息子・相澤宏光は、帝京大学医学区部を卒業した医師。総合病院麻酔科医長、クリニック医局長を経て、現在は、表参道美容皮膚科を開院し、院長を務めています。

司葉子自身が、”日本一の山林地主”と呼ばれた鳥取の名家出身ですから、家庭でも品格ある子育てを行っていたに違いありません。そんな司葉子の夫であり、息子の父親である相澤英之は、1976~2003年まで、衆議院選挙に9期連続で当選した元大物政治家で、現職は弁護士です。元は官僚だったそうですが、司葉子の地元・鳥取県から出馬し、1990年には、第2次海部内閣で初入閣も果たしています。

実は相澤英之には、1969年に司葉子と結婚する前にも婚姻歴があり、先妻との間に2人の息子をもうけていました。長男は、「スッキリ!!」のコメンテーターとして活躍中の一橋大学教授・相澤英之で、次男・中島周は、キユーピー常務取締役。司葉子が産んだ1人息子は、相澤英之の三男ということになりますが、誰もが父親の跡を継いで政界に進出してもおかしくありません。

司葉子は息子と相田翔子の結婚に反対だった!浮き彫りになった嫁姑問題の現在は?

司葉子の息子・相澤宏光は、2008年7月31日、元Wink相田翔子と結婚しています。司葉子は、堅苦しいところが全くない性格として知られていますが、意外にも、この結婚には反対していたといいます。政治家の父と、大女優の司葉子を母に持つ相澤宏光は、医師という高尚な身分です。

片や、相田翔子は、年齢不相応の天然キャラ。加えて、タイル業を営む実家でわんぱくに育った元アイドルです。不釣り合いな上、不倫が報じられたこともあったために反対していたとも囁かれていますが、考えられる理由はそれだけではありませんでした。2人の交際が”年内結婚”として報じられた2007年4月の時点では、司葉子は結婚の予定など聞かされていませんでした。その上、キューピットは、先妻の長男・相澤英之だったそうですから、何やら不穏な空気が漂います。

極め付きは、由緒正しき家の息子が、結婚式や披露宴を行わず、入籍だけ済ませてしまったこと。このため、嫁姑の確執が確実視されるように……。しかし、相澤宏光・相田翔子夫妻は、司葉子夫妻の住む都内の豪邸近くに新居を購入し、入居前には同居していたという話もあります。そうなると、今では嫁姑問題も解消されたと見てよさそうです。

司葉子「君死に給うことなかれ」デビュー秘話!名家に恥じない清楚女優へ!

司葉子映画「君死に給うことなかれ」ヒロイン代役で銀幕デビュー

司葉子は、1934年8月20日、鳥取県境港市の因幡三郷士に数えられた名家・庄司家に生まれました。戦後間もない日本で、鳥取県立堺高校、東京の共立女子短期大学家政科卒業という学歴は、由緒正しい家柄に生まれた令嬢たる証です。司葉子は、短大卒業後、大阪・新日本放送(現・毎日放送)で社長秘書を務めていましたが、知人の推薦で雑誌表紙を飾ることになり、東宝の丸山誠治監督の目に留まります。

その頃、丸山誠治監督は、太平洋戦争末期を背景にした純愛映画「君死に給うことなかれ」の主演女優・有馬稲子が病気降板したため、代役女優を探しているところでした。こうして、1954年に同映画でデビューを果たした司葉子は、各方面から「好感の持てる柔らかな容貌」と絶賛され、清楚女優としての看板を背負っていくことになります。

司葉子は年齢を重ねても名家の令嬢たる気品漂う清楚女優!反対していた家族も納得?

司葉子の出自を考えれば当然のことですが、実家は、映画「君死に給うことなかれ」への出演に大反対でした。そのため、司葉子は、「1本のみ」の約束で撮影に挑んでおり、映画公開後の反響がいかに大きくとも、女優業を続ける気はなかったといいます。

しかし、まさに金の卵であった司葉子を東宝が手放すはずもなく、「君死に給うことなかれ」の主演俳優・池部良の相手役として、再び映画「不滅の熱球」の出演をオファー。司葉子は戸惑いつつも、プロ野球創生期の伝説の投手・沢村栄治を題材にした同作の脚本に感動し、出演を決めました。その後も清楚な容貌を活かして良家の子女を多く演じ、あれよと言う間に東宝のトップ女優となっていった司葉子。

しかし、胸の内には、実家に対する一抹の後ろめたさはあったでしょう。そんな中、1960年代には、黒澤明監督映画「用心棒」の薄幸な女役から、鈴木英夫監督映画「その場所に女ありて」のハードでクールな役まで、幅広い役柄を熱演。お嬢様女優から見事に脱皮してみせました。それでも司葉子の透明感は失われず、静かに漂う気品は、常に名家の令嬢に相応しい清楚さを讃えたまま。反対していた家族も、そんな司葉子を誇りに思うようになったに違いありません。

司葉子の女優人生は大女優・原節子への憧れから始まった!その美しさをスクリーンでもう一度

司葉子は、ひょんなことから映画「君死に給うことなかれ」のヒロイン代役に抜擢され、銀幕デビューを果たしました。しかし、司葉子の女優人生の本当の始まりは、2015年に95歳で亡くなった大女優・原節子への憧れだったのかもしれません。原節子は、戦前の東映発足時から戦後に渡って活躍した、”永遠の処女”と呼ばれる伝説の清楚女優。

1963年に引退するも、半世紀近く経ってもなお「キネマ旬報・20世紀の映画スター女優編」で日本女優部門の1位に選ばれるなど、日本映画界にとって、あまりにも大きい存在です。司葉子は、高校時代から原節子に憧れており、ファンレターを出したこともあったといいます。その思いがなければ、家族から反対される中で、東宝の誘いに心が動かされることもなかったかもしれません。

1960年、憧れの原節子と、小津安二郎監督映画「秋日和」で母子役を共演した時には、司葉子は舞い上がるような気持ちになったそうです。その上、原節子は、監督が焼きもちを焼くほど、後輩の司葉子を可愛がり、以来、プライベートでも親友のように接してくれたといいます。昭和を代表する2人の清楚女優の交流に想像を馳せるだけで、この上なく贅沢な気分になるというものです。

原節子は早くに銀幕から去り、司葉子も、「獄門島」「女王蜂」と結婚後の復帰作でファンを沸かせたものの、2003年の宮藤官九郎主演映画「福耳」以来、映画への出演はありません。最終話のみ出演した、2011年のNHK朝ドラ「おひさま」では、老いてもなお、内から湧き出る美しさは健在でした。御年82歳の身に映画の現場は厳しいかもしれませんが、司葉子には、願わくばもう一度、スクリーンでお目にかかりたいものです。

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