2020年3月26日 更新
織田無道は僧侶とは思えないほど破天荒だった!愛車はカウンタック!?
織田無道は自称「織田信長の子孫」!僧侶でありながらタブー破りの破天荒キャラ!
「心霊」関連の話題への興味は、現代も途切れることはありません。しかし、僧侶の織田無道(おだむどう)が闊歩した1980年代末から90年代中期に比べれば、注目の度合いはおとなしいものだと言えます。「霊能者」と自称する人たちによる「霊視」や「除霊」がまかり通っていた当時、中でも、水晶玉を使った「霊視」や「除霊」を行う僧侶にして霊能者だという織田無道の存在感は抜きん出ていました。
自称「織田信長の子孫」で、目力が迫力満点だった織田無道。その豪快で破天荒なキャラがウケて、バラエティ番組にも数多く出演していました。うさんくさい匂いがプンプン漂ってはいましたが、あそこまで突き抜けていれば逆に清々しいというものです。僧侶=禁欲のイメージもお構いなし。飲酒、性欲にまつわる破天荒な言動でも知られており、「小学校6年の頃から飲酒していた」「初めて女性の体を知ったのは13歳」など、僧侶としてのタブー破りを公言してはばかりませんでした。
かように濃すぎるキャラで喝を入れられれば、霊でなくとも逃げ出したくなります。本当に僧侶なのかも疑いたくなりますが、帝京大学卒業後に、圓光禅寺(臨済宗建長寺派)の第49代住職となったのは事実です。柔道は、豪四会館豪四流に師事し、柔道2段・空手3段の腕前で、世田谷区大会柔道青年の部で優勝したという経験もあります。
織田無道は無類のカーマニアだった!愛車は松田優作が映画で乗っていたカウンタック!
破天荒なキャラで有名になった織田無道は、無類のカーマニアとしても知られています。とりわけ、スーパーカー「ランボルギーニ・カウンタック」ウォルター・ウルフ仕様を愛車として所有していたことは有名です。それも、ただのカウンタックではなく、映画「蘇える金狼」で、故・松田優作が乗っていたことで大きなインパクトを与えた、ウルフカウンタックでした。映画で、スタイリッシュなスーパーカーが、夜明けの銀座や新宿、外苑にある聖徳記念絵画館前などを駆ける姿は、主人公の成功の象徴として強烈な印象を残しました。
大金をはたいてそのカウンタックを買い取った織田無道が、「僧侶の身でお布施をはたいてカウンタックを買うとは!」などと、世間からバッシングの集中砲火を浴びたことは言うまでもありません。カウンタックほどの名車中の名車ともなると、お布施だけでは購入資金を捻出できず、自身が稼いだテレビ出演のギャラを充当したものと思われますが、そこは世間のイメージがものを言った結果でしょう。
余談ですが、このウルフカウンタックは日本各地のイベントを掛け持ち状態となっていたので、購入資金の何割かは回収できているかもしれませんね。
織田無道の活動歴が幅広すぎ!消えた現在は何してる?
織田無道はマルチタレントとして幅広く活動!本人も「出過ぎだった」と反省?
僧侶でありながら、一時は「霊能者」活動に明け暮れていた織田無道。1990年代、頻繁にマスコミへ露出していた様子は、本人も「出過ぎだった」と反省しているほどです。この頃は、女性にもモテて、夜遊びも激しかったと明かしています。彼を有名にしたのは、バラエティ番組「とんねるずの生でダラダラいかせて!!」(日本テレビ系)への出演でした。
視聴者から寄せられた「心霊写真」らしきものを織田無道が鑑定するという企画で、もっともらしい理由を挙げて「霊視」するという内容。今から見ると噴飯ものですが、彼の一種独特な風貌が異様な説得力を形成したのは事実で、どんなにタチの悪い悪霊がいようとも、圧倒してしまいかねない雰囲気がウケにウケました。
しかし、その後の織田無道の活動は、霊的要素があろうとなかろうとお構いなし。全く霊には関係ないバラエティ番組やクイズ番組などにも出演していたほか、ドラマや映画へも進出し、俳優業にも手を染めます。それでも有り余る精力を持て余したのか、「オールスター感謝祭」名物のマラソンに出場して優勝するなど、その活動ぶりは幅の広過ぎるもので、もはや霊能者と言うより、マルチタレントの呼び名がふさわしいほどに。
心霊ブームが衰えても、活動の幅が狭まるどころか、どんどん広がっていった織田無道。しかし、2002年9月に、宗教法人の乗っ取りを図り虚偽登記を行ったかどで逮捕されると、無実を主張したものの、懲役2年6カ月に執行猶予4年の有罪判決を受ける結果となりました。「僧侶の身でタレント活動にうつつを抜かしたから仏罰が下った」と叩かれたことは言うまでもありません。
織田無道は宗教法人乗っ取り容疑で消えた?現在は養殖ビジネスで大風呂敷?
一時はバラエティ番組を掛け持ちし、その顔を見ない日はなかった織田無道。しかし、2002年の宗教法人乗っ取り容疑で逮捕されて猶予付き有罪判決を受けて以降、彼の姿はテレビから消えていきました。たまにテレビに出たとしても、格闘技イベントなどに絡む数々の金銭トラブルばかり報じられている有様。もっとも、本人はめげることなく、いたって意気軒高のようです。
圓光寺住職こそ息子に譲ったものの、現在も全国各地の住職を任されている他に、魚の養殖にも力を注いでいると言います。「大きさは通常のサイズの3倍ほどに育ち、味はさらに良くなる画期的な養殖法だ」とブチ上げ、「近い将来、記者発表で実物をお見せする」と鼻息も荒い様子です。
本人に言わせると「日本の食料自給率を高めるための養殖研究。これが世界中に広まれば、地球規模の食糧危機への対応もできる。つまり、衆生救済だ」と、壮大な計画を口にしています。他にも、本人の責任ではありませんが、Twitterで織田無道のなりすましが発覚するなど、相変わらずお騒がせネタには事欠きません。
織田無道は1990年代心霊ブームの火付け役!ブレイクは時代の要請だった?
1990年代の「心霊ブーム」を語る上で不可欠な存在が、怪僧・織田無道です。良くも悪くも彼の存在が「心霊ブーム」の火付け役となりました。坊主頭のいかつい風貌に強烈な目力、オペラ歌手さながらの声量あふれる低い声。本職は僧侶でありながら、酒好き&女好きを公言してはばからない破天荒キャラでしたが、彼の醸し出す何とも言えない異様な説得力が決め手となってか、瞬く間にお茶の間の人気者になりました。
自称「織田信長の子孫」も、彼の怪しいオーラを演出するには好材料だったと言えるでしょう。そんじょそこらの由緒正しい僧侶がいくらかかってもかなわないほどの怪しさ、うさんくささこそが彼の身上。「除霊」と称して、「邪悪なる魂よ、出て行けっ!」と一喝されると、どんな悪霊も一目散に退散せざるを得ない……そんな迫力がありました。
時はまさにバブル全盛期で、時代そのものが怪しい雰囲気に満ちあふれていたとも言えます。その時代背景を考え合わせると、彼は時代が必要とした存在で、少し大げさに言えば、時代の寵児だったのかも知れません。彼のブレイクはいわば時代の要請でした。もしその見方が正しければ、今後、時代が求めた時には、第2、第3の織田無道が現れるやもしれません。