堀井雄二はドラクエの生みの親!鳥山明との関係や、堀井節なる名言を紹介!

堀井雄二はドラクエの生みの親!元々は漫画家志望だった?


堀井雄二のプロフィール
◆生年月日:1954年1月6日
◆出身:兵庫県
◆出身校:早稲田大学
◆代表作:ドラゴンクエストシリーズ
◆アーマープロジェクト代表取締役

日本が誇る代表的なRPGといえば、最初に浮かぶのが「ドラゴンクエスト」ではないでしょうか。1986年に第1作目が発売されてから現在に至るまで、新シリーズが出れば毎度話題になり、シリーズ3作目の「ドラゴンクエストIII そして伝説へ…」においては、発売日が平日だったために学校や会社を休む人が続出するなど、社会現象となるほどの一大ブームを巻き起こしました。

そのドラゴンクエストの生みの親が、兵庫県出身のゲームクリエイター・堀井雄二(ほりいゆうじ)です。国民的ヒットとなったRPGが生まれるきっかけとなったのは、堀井雄二が大学生の頃までさかのぼります。

中学生の頃から漫画家を志し、高校では漫研に入部。大学は早稲田大学に進学していますが、その理由も漫画家=文学部という考えをベースに、自分の得意・不得意科目と受験科目を照らし合わせた時に、早稲田大学の文学部が妥当だろうという理由で選んだそうです。

堀井雄二とゲームとの出会いは?

堀井雄二がゲームの世界と出会ったのは、大学卒業後の1981年です。大学在学中にひょんなことからフリーライターとなった彼はとある雑誌の読者投稿コーナーを担当しており、その投稿者管理のためにパソコンを導入。そこからパソコンゲームにハマってしまい、後にゲームを自作するほどにまでなりました。

その後、知人からエニックス第1回ゲーム・ホビープログラムコンテストの取材依頼を受けます。なんとそこで自らもゲームを作成し、応募した作品が見事受賞。1983年に手掛けたアドベンチャーゲーム「ポートピア連続殺人事件」でゲーム界に名が知られるようになりました。

その後しばらくは  「週刊少年ジャンプ」で「ファミコン神拳」というコーナーを、ゆう帝というペンネームでエッセイを担当。そして来る1986年に「ドラゴンクエスト」を発表することとなりました。

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冒頭でもお伝えした通り、1988年に発売された第3作目の「ドラゴンクエストIII そして伝説へ…」は、社会現象になるほどの人気を獲得しました。それによってRPGというジャンルは、ゲームマニアがパソコンでプレイするイメージから、家庭用ゲーム機でプレイするものというイメージに変わり、劇的なパラダイムシフトを起こしました。

これをきっかけに、堀井雄二はフリーライターからゲームクリエイターという肩書に改め、ドラゴンクエストシリーズの中心として制作にあたることとなります。

ドラクエのキャラクターデザインは堀井雄二がデザインしている!?

ドラゴンクエストといえば、「ドラゴンボール」の作者である鳥山明が描く魅力的なキャラクターが人気要素の1つです。そこで気になるのは、特徴あふれる主人公などのパーティのキャラクターや、そしてある種お化けを描くような誰も見たことの空想上のモンスターたちをどうやって描いているのかという点です。

実はこれは、堀井雄二のラフ絵に基づいて鳥山明がデザインをしていたのです。堀井雄二が描くラフ絵とその脇に書かれたキャラクターの情報を鳥山明がくみ取り、見事にデザインしています。

しかし時にはそのラフ絵とデザインが大きく異なることもあり、ドラクエの1番人気のキャラクターと言っても過言ではないスライムについては、当初世間一般的なドロッとしたようなスライムを堀井雄二はラフ絵に描いたものの、鳥山明のアイデアで今のしずく型の形にデザインされることとなりました。

自分が考える空想上の生き物が鳥山明の手によって具現化されるなんて、こんなにうらやましいことはないですね。

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堀井雄二の名言集!「堀井節」とは?

ドラゴンクエストの魅力はキリがないほどありますが、その中でも人気のひとつが、ドラクエ特有のセリフです。

「おお○○、しんでしまうとは なにごとだ!」「おはようございます。ゆうべは おたのしみでしたね。」「へんじがない。ただのしかばねのようだ」など、ドラクエ特有のなんともコミカルなセリフで、よりドラクエの世界にハマってしまいます。これらのセリフは世間で「堀井節」と呼ばれています。

ゲーム発売当初の1986年は、今とは比較にならないほどのデータ低容量で、使える文字数には制限があります。その制限がある中で語るべきことを的確に表現しながらユーモアも込められている堀井節は、より印象に残りやすいのです。

堀井雄二のこうした能力が培われたのも、フリーライターの経験があったからこそ。加えて1981年には小池一夫の劇画村塾の三期生として学んだ時に、この技術を会得したと本人は語っています。

一方で、堀井節は日本では受けるものの、海外ではなかなかそのニュアンスを活かすことができず、海外市場では当初「難易度の低い日本のRPG」とされて大きくヒットはしませんでした。海外市場拡大を阻む要素の一つになってしまったものの、2005年以降キャラクターボイスに世界中の訛った英語のアクセントを付けるというちょっとしたひねりを加えたことにより、爆発的ヒット作となりました。

世界を超えて愛されるゲーム「ドラゴンクエスト」を生んだ堀井雄二。60代半ばになった彼ですが、まだまだ若々しい感性で魅力的な世界を創造してほしいものですね。

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