2021年3月26日 更新
野田秀樹は東大中退で演劇界の超エリート!失明するも走り続けた情熱の歩み!現在の妻や家族は?
◆出身:長崎県
◆血液型:A型
◆劇作家・演出家・役者
野田秀樹は東大中退で演劇界の超エリート!失明するも走り続けた情熱の歩み
野田秀樹(のだひでき)は、2009年に東京芸術劇場の初代芸術監督に就任。東京都による演劇芸術の向上を担いながら、自らが主宰するNODA・MAPの芝居だけでなく、多くの話題作をプロデュースしています。
1960年代から1970年代初頭、小劇場の演劇は当時の学生運動と呼応して、それまでの演劇界とは一線を画したアングラ演劇と呼ばれ、体制に批判的で過激な芝居が主流でした。その後、演劇に独自のエンターテインメント性を求めたつかこうへいの芝居が、次世代を刺激します。
そして野田秀樹や鴻上尚史など独自の演劇を追及する、小劇場の第3世代が登場。野田秀樹は1976年、東京大学の演劇研究会を母体に、劇団夢の遊眠社を結成します。
1981年、大学を中退した野田秀樹。演劇に全力を傾け、1983年に「野獣降臨」で第27回岸田国士戯曲賞を受賞し、一躍演劇界の寵児となったのです。1987年と1990年にはイギリスのエディンバラ国際芸術祭、1988年にはニューヨーク国際芸術祭に参加。翌1989年には、病気で右目を失明しますが、その後も精力的に活動を続けます。
1992年、「ゼンダ城の虜―苔むす僕らが嬰児の夜」の上演を最後に、劇団夢の遊眠社を解散。1992年から1993年にかけて、文化庁芸術家在外研修制度の留学生として、官費で1年間ロンドンに留学しています。
帰国後は、プロデュース会社NODA・MAPを設立。そして現代に至るまで、歌舞伎界の故中村勘三郎をはじめ、蜷川幸雄や三谷幸喜など著名演出家、脚本家、そして日本最高峰の演劇人たちと仕事をしてきました。
野田秀樹の妻は女優で子供は4人!
野田秀樹は、夢の遊眠社時代に、劇団員だった女性と結婚しましたが、すぐに離婚しました。1992年に上演された舞台「真夏の夜の夢」で知り合った大竹しのぶと約5年間、同棲。けれども結婚には至らず破局しています。
そして2005年、25歳年下の女優・藤田陽子と結婚し、2009年6月には妻との間に第一子となる女の子が生まれています。その後、2014年に次女、2018年に長男、2019年に三女が生まれているため、野田秀樹は4児の父親です。
漢字1文字違いの著名人として元F1レーサー・野田英樹がおり、その娘でレーサーのJujuこと野田樹潤(のだじゅじゅ)の親子と混同されることがありますが、野田秀樹の娘はレーサーではありません。
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野田秀樹と大竹しのぶや宮沢りえとの過去!IMALUとの関係は?
野田秀樹は大竹しのぶと5年間同棲!娘IMALUとの関係は?
野田秀樹はモテます。日本を代表する演出家であり、NODA・MAPのプロデューサーである野田秀樹が過去に交際していたのが、大竹しのぶ。彼女は見た目はおっとりとして天然のようですが、「魔性の女」ともいわれています。
舞台「真夏の夜の夢」で、野田秀樹と知り合った大竹しのぶは、まだ明石家さんまと結婚していましたが、野田秀樹に猛アタック。明石家さんまと離婚して、すぐに同棲を始めます。これにはさすがの明石家さんまも、「真夏の夜の悪夢や!」とあきれたとか。
2013年7月放送の「ウチくる!?」では、野田秀樹から大竹しのぶの娘・IMALUに向けてVTRメッセージが送られました。大竹しのぶと同棲していた頃、娘のIMALUは可愛い盛りで、野田秀樹はIMALUといっしょに暮せたことが、とても幸せだったと伝えていました。
これに対してIMALUは「めっちゃ嬉しい」とコメント。IMALUにとって野田秀樹は「一緒に住んでいた唯一の男の人」なのだそうで、父親のような存在なのかもしれません。
野田秀樹に宮沢りえが恩返し
大竹しのぶのほかに、野田秀樹と深いつながりがあると言われている女性が、女優・宮沢りえ。北野武に憧れ、横綱貴乃花との婚約破棄、そして故中村勘三郎との道ならぬ恋と、宮沢りえもまた大竹しのぶと同様、恋多き女です。ただ彼女はそれら大物たちから可愛いがられ、自らの才能を伸ばしていった節があります。
故中村勘三郎とも交流のあった野田秀樹は、2009年、NODA・MAPプロデュースの「ハイパー」に、宮沢りえと松たか子を抜擢します。しかしこの時、宮沢のお腹には、当時離婚協議中だった夫との子が。野田秀樹の配慮と、松たか子の協力で、無事舞台を務めることができました。
そして2013年、野田秀樹プロデュース、三谷幸喜脚本演出の「おのれナポレオン」では、主演の天海祐希が心筋梗塞で倒れ入院。舞台続行は不可能と思われる中、宮沢りえが、わずか2日で代役を務め、見事舞台を成功させます。
これは「ハイパー」での野田秀樹の配慮に報いて、宮沢りえが恩返ししたといわれていますが、お互い大人として、深い信頼関係がなければ成り立たなかったことでしょう。演出家と女優という関係もまた、常人にはうかがい知れない深いものがあります。
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野田秀樹の野田地図や東京キャラバンの特徴は?「赤鬼」が深い!
野田秀樹の野田地図や東京キャラバンの特徴は?
1993年、野田秀樹は1年間のロンドン留学から帰国した後に、NODA・MAP(野田地図)を設立します。NODA・MAPは、ワークショップを基盤に、劇団の枠にとらわれずに芝居が上演できるプロデュース会社で、これまでに話題作をいくつも発表しています。
劇作家・演出家として、このほかにもいろいろな活動を手掛けている野田秀樹。そのなかのひとつが「東京キャラバン」です。2015年に始動した「東京キャラバン」は、俳優やミュージシャン、美術家といったアーティストと、琉球舞踊などの伝統芸能がミックスされた、東京都の文化イベント。もともとは、東京五輪を盛り上げるのを目的に、この企画を発案したそうです。
「文化サーカス」といった概念で、東京だけでなくリオデジャネイロや東北、九州と各地を周り、地方の伝統芸能パフォーマーやアーティストを交えて開催。野田秀樹は「通常交わらないもの同士が交わった時、普段なら絶対に観られないようなパフォーマンスが生まれる」と語っており、他では観られない表現が楽しめそうです。
野田秀樹の「赤鬼」が深い!
若い役者を中心に作られたプロジェクト「東京演劇道場」もまた、野田秀樹が立ち上げたプロジェクトのひとつ。2018年に行われたオーディションには、約1700名からの応募があったといいます。そしてオーディションを勝ち抜いた約60名の役者のなかから選ばれた17名で4チームを作り、野田秀樹作の「赤鬼」が上演されました。
この体制での初演が上演されたのは、コロナ禍により休館を余儀なくされていた劇場が再開し始めていた2020年7月。客席を減らす、客席と舞台の間に仕切りを作る、といった感染対策が十分にとられた上での上演となりました。
野田秀樹曰く、「自分の作品のなかでは台本が読みやすいと言われる」という「赤鬼」のテーマは、差別や偏見。普遍的なメッセージは、いつ観ても観客の心に訴えかけるものがあるのではないでしょうか。
2020年11月には世界同時配信も行われました。「赤鬼」は、1996年の初演から高く評価されている作品ですが、新型コロナウイルスの流行によって人間の内に潜む感情が浮き彫りになっている状況とあって、一層心に響く面があったかもしれません。
日本を代表する劇作家・演出家としてまだまだ挑戦を続ける野田秀樹の、今後の動向にも注目です。
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