佐々岡真司の球種や成績の推移は?引退試合で村田修一に一発を浴びた
佐々岡真司の球種や成績の推移は?緩急のピッチングを会得して先発100勝と100セーブ達成!
佐々岡真司(ささおかしんじ)は、元広島カープのエースで、現2軍コーチです。先発とリリーフ双方で活躍し、1991年のカープリーグ優勝にも貢献。その後も長きに渡ってカープ投手陣の大黒柱として存在感を見せました。
先発で100勝をあげたことに加え、クローザーとしても100セーブと、あの江夏豊に次ぐ史上2人目の大記録を達成しています。
佐々岡真司の通算成績は、829試合に登板して、138勝153敗106セーブ5ホールド、防御率は3.58です。2344と1/3回を投げ、先発303試合中、66完投17完封、6無四球試合、1806奪三振を記録しました。獲得タイトルは、最多勝利と最優秀防御率がそれぞれ1回です。球種は、伸びのあるストレートとスライダーが主体でしたが、後に、シュートと縦のカーブも球種に加え、緩急自在のピッチングを会得しました。
小学校3年の時に始まった佐々岡真司の野球人生。中学校では内野手としてプレーしましたが、島根県立浜田商業高校2年時にピッチャーに転向して以来、県内で注目を集めるように。甲子園とは無縁のまま社会人NTT中国の野球部入りすると、キレのいいスライダーは「プロでも通用する」と評価を受け、1989年のドラフト会議で、広島カープから1位指名を受けて年俸600万円でプロ入り。
ルーキーイヤーの1990年から、先発・抑えの両輪で活躍し、翌1991年には、先発として17勝9敗、防御率2.44の成績で、リーグ優勝に大きく貢献。同時に、シーズンMVP、沢村賞、ベストナイン(最優秀投手)を獲得し、年俸5000万円に到達しました。1992年も12勝したものの、1993年には5勝17敗に終わり、このシーズンのセ・リーグ最多敗戦を記録。とはいえ、チーム事情から役割が一定せず、先発とリリーフを行ったり来たりが多かったという事情も考慮されたのか、年俸は1億円に到達します。
1999年には、シュートとカーブを球種に加え、先発として復活した佐々岡真司は、中日戦でノーヒットノーランを演じ、終わってみれば15勝をあげ、リーグトップの13完投・5完封の成績を記録しました。その後も、先発とリリーフを交互に務め上げ、2007年限りで現役引退。引退後は、野球解説者を務めた後、2015年からは広島カープ2軍ピッチングコーチとして後進の育成に汗を流しています。
佐々岡真司は引退試合で村田修一に強烈な一発を浴びた!「真剣勝負で打たれて悔いなし」と笑みも!
2007年シーズンで現役引退を表明した佐々岡真司が、その引退試合で強烈な一発を浴びたことはファンの間では有名な話です。この時バッターボックスに立っていたのは、当時は横浜ベイスターズの主砲だった村田修一(現BCリーグ栃木ゴールデンブレーブス所属)でした。
ピッチャーの引退試合では、対決するバッターが空振り三振して花道を飾るのが暗黙の了解ですが、「引退試合をぶち壊す男」と定評のある村田修一は、3ボール1ストライクのカウントから高めのボールを強振。あっという間にスタンドインという掟破りの展開には、「お前、空気読めんのか!」というヤジが、広島カープファンから飛びました。
もちろん、村田修一も「快く花道を飾らせてあげたい」と思っていましたが、試合前に広島サイドから伝えられた「佐々岡をフルスイングで気持ちよく送り出してほしい」という言葉を思い出した結果でした。とはいえ、「とんでもないことをしてしまった」という自責の念は消えず、「こんなにつらいホームランは人生初めて」と大泣きした村田修一。
試合後のセレモニーで球場内を一周する佐々岡真司に、泣きじゃくりながら頭を下げると、佐々岡真司は、「真剣勝負で打たれて吹っ切れたし、悔いはないよ」と感謝の笑みを浮かべたと言います。
己の力がどれだけ通用するか確かめるためマウンドに上がり、打たれたことで現役生活への未練を断ち切った佐々岡真司の「悔いはない」という言葉は本心でしょう。しかし、バッター1人への引退登板で、本塁打を喫したピッチャーは、後にも先にも佐々岡真司だけではないでしょうか。
佐々岡真司と美人妻の馴れ初めは?2軍コーチとしてチームに貢献!
佐々岡真司と美人妻の馴れ初めはゴルフコンペの打ち上げだった!息子と娘は?
佐々岡真司は、妻が正統派の美人であることでも知られています。そんな美人妻と初めて出会ったのは、広島カープがリーグ優勝を飾った1991年オフ。ゴルフコンペの後に行われた打ち上げ会で座席が隣り合わせとなったことが縁となり、そのまま交際に発展しました。当時の佐々岡真司は、広島市内で顔を知らない人はいないというカープの大エース。そのため、デートすることもままならない状況が続きましたが、順調に愛を育み、交際期間4年を経て見事ゴールインしています。
子供は、息子と娘の2人いるようです。息子は、佐々岡真司が現役を引退する時、父親の前で始球式を務めました。まだ10歳で、野球を始めて日も浅い時期でしたが、大観衆を前にしても気後れすることなく見事な投球を演じてみせたのは、やはり血筋なのでしょう。地元の崇徳高校を経た現在は、関東学院大でピッチャーとしてプレーしており、将来が非常に楽しみな存在です。
佐々岡真司が2軍コーチとしてチームに貢献!自ら要望して2軍で育成
佐々岡真司は、2015年から、広島カープ2軍コーチとして有能な指導者ぶりを見せています。とはいえ、現役時代はエースの実績を残しているだけに、1軍ピッチングコーチのポストが当然視され、実際、コーチ就任に当たっては、1軍での指導を要請されたそうです。しかし本人が、「自ら2軍で若手を育成してみたい」という意向を示したため、2軍ピッチングコーチに就任したとか。
監督と反りが合わなかったためと、スポーツ紙好みの噂がまことしやかにささやかれたこともありましたが、本人が明確に否定しています。現役時代の佐々岡真司のピッチングは、縦に大きく割れるカーブが生命線でした。緩急をマスターすることで野球生命を伸ばした佐々岡真司は、その経験を若い選手たちに伝授しようと、日々奮闘中です。
今のピッチャーは150㎞台のストレートを投げ、カットボールやツーシームなど直球系が主体ですが、だからこそ「緩急でバッターのタイミングを外すことが重要」と、会得したカーブのコツを若手に伝授しています。
佐々岡真司直伝のカーブで1軍定着を目指すドラ3!的確な指導で後進を育成中
現役時代は投げ込みで仕上げていくタイプだっただけに、佐々岡真司がコーチに就任した後は、「若手ピッチャーに過剰な投げ込みを強いて潰してしまうのでは」と心配する声も上がっていました。つまり、自身の経験を押し付ける典型的な「悪いコーチ」像が懸念されていたわけです。
しかし、いざふたを開けてみれば、的確な指導で有能ぶりを発揮していると評判は上々。そんな佐々岡真司コーチからカーブを直伝された1人に、日本文理大からドラフト3位で入団したケムナ誠(本名:ケムナブラッド誠)がいます。ハワイ生まれの23歳で、身長192cmと体格に恵まれ、最速151㎞のストレートと縦に大きく割れるカーブを投げ込む将来性豊かな本格派。球団からも大きな期待を寄せられており、佐々岡真司からカーブの握りを指導された当人も、「球速100㎞台のカーブをものにすれば緩急がつく」と意欲十分です。
そんなケムナ誠について、「カーブを習得することは決して容易ではないが、少しずつでも投げられるようになってくれればいい」と語っている佐々岡真司。カーブの難しさを知り尽くしたからこそ語れる重みのある言葉でしょう。このように、今は後進の育成に意欲を示している佐々岡真司ですが、そろそろ1軍コーチとして手腕を振るう時期が来てもよいように思います。