秋山幸二の嫁は誰?娘は英語ペラペラ!バク転ホームイン誕生秘話とは?

秋山幸二のプロフィールを紹介!


秋山幸二のプロフィール
◆生年月日:1962年4月6日
◆出身:熊本県
◆身長・体重:186cm・86kg
◆出身校:熊本県立八代高校
◆ポジション:外野手、三塁手
◆福岡ソフトバンクホークス・日本代表元監督

野球解説者、評論家として活躍する元ソフトバンク監督の秋山幸二(あきやまこうじ)は、小学3年の頃から少年野球チームで野球をしていたそうです。高校時代、身長が高いという理由でピッチャーにコンバートされた秋山幸二は3年生で出場した春の九州大会でチームを準優勝に導き、12球団のスカウトから注目されます。

当初、秋山幸二は大学進学の意思を示していたため、ドラフトでの指名はありませんでした。ところが、ドラフト終了後に突如プロ入りを表明。複数の球団が獲得に乗り出す中、「君を打者として育てたい」という熱い言葉に心を動かされた秋山幸二は、1981年1月に西武ライオンズへ入団。プロ野球選手としてのスタートを切ります。

ハイジャンプの選手だった父親と、砲丸投げの選手だった母親の間に生まれた秋山幸二はプロ入りの時点で身長183cm、体重80kgと体格が良く、運動神経は抜群でした。50mを5秒台で走る上に肩も強く、鉄棒やマット運動もお手の物だったようです。優れた身体能力を活かし、オールスターゲームでのMVP、正力松太郎賞など数々の受賞歴を持つ秋山幸二は、「メジャーに一番近い男」と呼ばれました。

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秋山幸二の改革でホークスが常勝集団に

西武ライオンズで華々しい活躍を見せた秋山幸二は、1993年のシーズンオフにトレードで福岡ダイエーホークスへ移籍します。常に優勝争いをしていた西武と違い、当時はAクラス入りもできずにいたホークスで覇気のない選手たちの様子に愕然とした秋山幸二は、自ら先頭に立って勝利へのこだわりをチームに植え付けていきます。

1999年には初代主将に任命され、チームを鼓舞する秋山幸二の姿に刺激され、チーム内の雰囲気が次第に変わっていったダイエーホークスは同年初めてのリーグ優勝を達成。日本シリーズでも中日ドラゴンズを敗って日本一に輝き、秋山幸二はプロ野球史上最年長で日本シリーズMVPを受賞しました。

常にチームを引っ張り、プロとしてあるべき姿をプレーで示した秋山幸二は2002年8月26日、チームが優勝する可能性が消えたことで「気持ち的にもやっていくことがなくなった」と現役引退を発表。10月5日に西武ドーム、翌6日に福岡ドームで行われた引退試合はライオンズとホークスのファンが揃って秋山幸二に声援を送り、両チームの選手が胴上げで引退の花道を飾りました。

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秋山監督としてソフトバンクに復帰

現役を引退した秋山幸二は2004年まで野球解説者として活動した後、2005年から二軍監督としてソフトバンクホークスに戻ります。2007年は一軍の総合コーチ、2008年はチーフコーチとして若手選手の育成に尽力した秋山幸二は、2008年シーズンで監督を退いた王貞治の後を継ぎ、2009年シーズンからホークスの新監督に就任。2年目の2010年シーズンには7年ぶりのリーグ優勝を成し遂げ、2連覇を果たした2011年シーズンに監督として初の日本一に輝きました。

2012・2013年はBクラスに留まり、低迷したホークスでしたが、2014年シーズンには3年ぶりのリーグ優勝を達成します。しかし、CSファイナルステージに向けてチームの士気が高まる同年10月、秋山幸二は監督退任を発表。日本一を成し遂げて監督としての役目を全うし、それ以降は再び解説者、評論家として後進のプレーを見守っています。

秋山幸二の嫁は?娘は芸能人?

秋山幸二は1986年に一般女性と結婚しましたが後に離婚し、1994年11月に再婚しています。元嫁との間にも2人の息子がいる秋山幸二ですが、再婚した嫁との間にも、1996年10月に長女、2001年2月に長男をもうけました。しかし、第二子として誕生した長男は、生後ほどなくして亡くなっています。

秋山幸二の再婚相手は、タレント・そのまんま東として知られる元宮崎県知事・東国原英夫の元嫁で、フリーアナウンサーとして活動する片平夏貴の妹でした。長男を亡くす不幸に見舞われながらも、一人娘と3人で幸せな家庭生活を送っていた2012年初め、嫁が脳に重い病を抱えていることが判明。闘病の甲斐なく、2014年12月に55歳の若さで長男のもとへ旅立っています。秋山幸二が2014年シーズンを最後に監督を退任したのは、病が悪化した嫁の看病に専念したいとの思いからではないかと報じられました。

亡くなった嫁との間に生まれた一人娘・秋山真凜(あきやままりん)は5歳から始めたゴルフでプロを目指し、中学生だったジュニア時代にベストスコア69を記録する腕前だったといいます。しかし、ツアーに同行していた母親が病に倒れたことでプロゴルファーの道を断念。タレントに転身し、2019年7月からはキャスターとして活動を始めました。

秋山真凜はゴルフを始めた5歳から福岡インターナショナルスクールで英語も学び、上智大学の国際教養学部を2019年春に卒業。流暢な英語と、独学でマスターした韓国語で同時通訳を務めた経験もあり、2020年7月24日に幕を開ける東京オリンピックで繰り広げられる熱戦をリポートしたいと意欲を見せています。もしかすると、父・秋山幸二とスポーツ番組での共演が見られるかもしれませんね。

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秋山幸二の有名なパフォーマンスとは?

シーズン30本塁打と50盗塁を日本のプロ野球界で初めて達成、いまだにプロ野球記録として残る5試合連続勝利打点に11試合連続長打、歴代2位のゴールデングラブ賞11回など数々の記録を持ち、走攻守揃った超人と言われた秋山幸二。現役時代はスポーツ万能な身体能力を武器に、素晴らしいプレーでスタンドのファンを熱狂させました。

そんな秋山幸二が見せたパフォーマンスで最もファンを驚かせたのは、1986年の日本シリーズで初めて見せた「バック宙ホームイン」。文化放送のナイター中継でベンチリポートを担当していたアナウンサー・中川充四郎と「サヨナラホームランを打てたらバック宙する」と約束したのが始まりだったといい、以降に行われた試合でも、公式戦と日本シリーズで2回ずつ披露しています。

プレー以外のところでもファンを楽しませようとするサービス精神は、ド派手なパフォーマンスで人気を集めた新庄剛志と重なります。50代になってもエイプリルフールのネタとして現役復帰の噂が拡散されると、信じてしまう人がいるほどのレジェンド・秋山幸二。彼が再びユニフォームを着るとなれば、スタンドが超満員になることは間違いないでしょう。

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