原沢久喜(柔道)の就職先はJRA!世界ランキングや身長体重は?

原沢久喜(柔道)の就職先はJRA!世界ランキングや身長体重は?

原沢久喜(柔道)が就職先したのは柔道の名門JRA!小川直也や瀧本誠も所属

原沢久喜(ひさよし、柔道)は、100kg超級で活躍する男子柔道選手です。就職先は、実業団の柔道部の中でも、実力を誇る名門JRA柔道部で、現在ではタレントとしても活躍している小川直也も所属していました。小川直也といえば、バルセロナオリンピックの銀メダリスト。また、過去には瀧本誠も所属していました。

柔道界の異端児と呼ばれた瀧本誠もシドニーオリンピックで金メダルを獲得していますから、JRA柔道部はメダルを狙う選手にとって、最適な就職先の1つといえそうです。ところで、JRAといえば、一般的には競馬をイメージする方が多いでしょう。実は、競馬の開催日には、JRAの柔道部員が警備にあたるそうです。これほど堅牢な警備体制はありませんね。

原沢久喜(柔道)の世界ランキングが急上昇中!世界に挑む男の身長体重は?

原沢久喜(柔道)の世界ランキングは、現在どのあたりに位置でしょうか。2013年には50位だった原沢久喜の世界ランキングですが、2014年には21位となり、2015年には4位まで飛躍しています。2016年に、リオオリンピックで銀メダルを獲得していますので、直近の順位も気になるところです。

現在のところ、原沢久喜の世界ランキングは2位にランクされているよう。リオオリンピックで金メダルを獲得したテディ・リネールが世界ランキング1位ですから、リオオリンピックの決勝戦は、まさに頂上対決だったといえます。そんな原沢久喜は、身長191cmで、体重122kgという堂々たる体格を誇ります。日本人離れしているともいえる、原沢久喜の恵まれた体格は、まさに柔道100級で戦うに相応しいといえるでしょう。

しかし、テディ・リネールは、身長204cmで、体重141kgと原沢久喜より一回り以上大きいのも事実。原沢久喜は、常に自分より大きな敵に立ち向かわなければ、世界での勝利を手にすることはできないのです。

原沢久喜(柔道)下関で過ごした中学、高校時代!王子谷剛志との因縁とは?

原沢久喜(柔道)が下関で過ごした中学、高校の青春時代!

原沢久喜(柔道)は、山口県下関市の出身です。6才で柔道を始めた原沢久喜は、下関市ですくすくと成長し、そのまま地元にある下関市立日新中学校を卒業しました。そして、私立早鞆高等学校に進学しています。この早鞆高等学校は、これまでにプロ野球選手を数多く輩出していることで有名ですが、名のある柔道選手は、原沢久喜が初めてのようです。

早鞆高等学校に進学した時には、まだ66kg級の選手であり、身長も177cmくらいだった原沢久喜。3年生になるころには体重90kgにまで大きく成長していましたが、90kg以上にはなかなか体重が増えず、困った時期もあったとか。トレーニングを重ね、プロテインを摂取することで、ようやく体重100kgの大台に乗せたそうです。

原沢久喜(柔道)は王子谷剛志と因縁がある?

原沢久喜(柔道)は、同じく100kg超級で活躍する王子谷剛志(おうじたにたけし)と因縁があるといいます。高校時代にインターハイに出場した原沢久喜は、準決勝まで勝ち進みますが、東海大相模高校に在籍していた王子谷剛志に敗れて3位に。その後の全日本ジュニア選手権でも、決勝で王子谷剛志に敗れて2位になっています。原沢久喜と王子谷剛志は、誕生日も近い同期ですから、対戦する機会は多かったはず。

しかし、原沢久喜にとって、王子谷剛志は常に苦手な相手でした。王子谷剛志との対戦中に脱臼して、棄権を余儀なくされたこともありました。現在は旭化成に所属している王子谷剛志は、2016年、原沢久喜が欠場したグランドスラム・チュメニで2位、実業団体でも2位という結果。常にトップを競い合っている原沢久喜と王子谷剛志は、次の東京オリンピックに向けても因縁のライバルであり続けるでしょう。

原沢久喜(柔道)は王者テディ・リネールを果敢に攻めて銀メダル!

原沢久喜(柔道)は、リオオリンピック柔道100kg超級において銀メダルを獲得しました。リオオリンピック決勝戦での対戦相手は、王者テディ・リネール。愛称こそテディベアですが、そんな可愛い相手ではありません。これまでの世界選手権では金メダルを総ナメにし、前回ロンドンオリンピックでも金メダルを獲得している強豪です。フランス国籍のテディ・リネールは、ヨーロッパ柔道選手権でも活躍していますが、2008年の北京オリンピックでの3位を最後に、その後の戦績は、ほとんどが優勝で占められています。

しかし、リオオリンピック決勝でのテディ・リネールは、王者らしからぬ逃げの試合運びを見せました。そのため、原沢久喜は、有利な組手を取ることができずに、「指導」でポイントを失ってしまったのです。原沢久喜は、テディ・リネールを果敢に攻め続けましたが、逃げまわるテディ・リネールを捉えきることができず、結果、「指導」1つの差で銀メダルに。試合会場では、勝者であるテディ・リネールに対するブーイングが起こり、審判のジャッジにも批判が集まりました。

中国国籍の審判には、明らかにテディ・リネール贔屓、もしくは日本を勝たせたくないための判定だったとの批判が殺到したようです。4年に1度のオリンピックですので、審判を含め、組み合わせの運が悪かったでは済まされませんが、今さら判定が覆るものでもありません。原沢久喜には、今後の世界選手権やグランドスラムで戦績を積み上げて、東京オリンピックでの金メダルを目指して欲しいものです。

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