磯田道史はさかなクンとも気が合う歴史学者!結婚やプロフィールは?
磯田道史はさかなクンとも気が合う歴史学者!子供の頃から一極集中という共通点
磯田道史(いそだみちふみ)は、映画「武士の家計簿」の原作者で、独自の視点から描き出す近世・近代の物語が、多くの人を惹きつけている歴史学者です。
磯田道史が、Eテレ「SWITCHインタビュー達人達(たち)」に登場したのは、2015年7月25日のこと。磯田道史とともに出演したのは、魚の達人として知られるさかなクンでした。5000種類の魚を見分け、500種類もの魚を食べたことがあるさかなクンは、その知識の深さや、絶滅種と考えられていた「クニマス」の再発見により、東京海洋大で教鞭もとっています。
魚の姿がプリントされたオリジナルの白衣に、おなじみのさかな帽子という独特の出で立ちで登場したさかなクン。それとは好対照に、白いシャツにネクタイという生真面目な出で立ちで登場した磯田道史。しかし2人には、それぞれオタクともいうべき専門分野がありました。
子供のころ、さかなクンが先生から言われた言葉は「魚が好き、絵が好きなのは分かるが、学校の勉強にもっと集中してもらいたい」。そして、磯田道史が学校の先生から言われたのは「社会以外は脳天パーじゃ」。番組内でも、2人の、専門領域にのめり込む姿と、知識の広さ・深さは、不思議な共通点を見せました。
磯田道史結婚やプロフィールは?高校時代には自力で古文書読解
磯田道史は、岡山県岡山市の出身で、1970年12月24日生まれ。歴史学者としての専門分野は、日本近世・近代史や、日本社会経済史。実家が鴨方藩重臣の家系ということで、幼い頃から家にある古文書に親しんできました。名前にある「道」の字も、代々受け継ぐ一文字とのことです。
磯田道史の歴史好きは、小学生時代から花開いており、「算数を覚えたのは、小学校の横にあった古墳の土の量を計算したかったから」と言うほど。岡山市立岡北中学校を経て、県立岡山大安寺高等学校に入ると、学校の勉強はそっちのけで、「近世古文書解読辞典」を用いた古文書の解読に熱中したといいます。大学に入学する頃には、大学教授と同じレベルで古文書の読解ができるようになっていたとか。
はじめは京都府立大学文学部史学科に進学したものの、同大学に大学院がなかったため、1年で慶応義塾大学文学部史学科へ移りました。慶応大学を選んだ理由は、数量経済史の研究を行っている経済学者の速水融がいたからです。。思想の変化に注目する歴史研究が多い中、乳幼児の死亡率や、平均寿命、女性の平均結婚年齢の地域ごとの比較など、数字を追っていく歴史学に惹かれての決断でした。
その後は、慶応大学の図書館で、文献を読むことにのめりこむ日々。研究熱が高じて図書館で倒れ、病院に運ばれるというハプニングもあったそうです。2002年には同大学院文学研究科博士課程を修了し、2003年には、博士論文が東京大学出版会から出版されています。
2004年に茨城大学人文学部助教授に就任してから、同准教授、国際日本文化研究センター客員准教授、東京歯科大学客員准教授、静岡文化芸術大学政策学部准教授、同教授を経て、2016年からは国際文化研究センター准教授を務めている磯田道史。その一途な歴史研究生活に、結婚という転機が訪れたのは、35歳の時のことです。
あるギャラリーで1人の女性に出会い、「一世一代の勇気をふるって、彼女にじか当たりした」そうです。親交のある写真家の立木義浩によれば、その女性は「美しい純粋な日本人」。2017年現在、その奥さんやお子さん2人とともに、京都市に暮らしています。
磯田道史著書のおすすめランキング!原作映画「武士の家計簿」あらすじネタバレ
磯田道史著書のおすすめランキング!独自の視点が垣間見える著書ベスト3
磯田道史には、2003年に出版し、第2回新潮ドキュメント賞を受賞した「武士の家計簿『加賀藩御算用者』の幕末維新」をはじめ、歴史に関する著書が多くあります。
まずは、「無私の日本人」(2012年)。3編構成となっており、その1編目である「穀田屋十三郎」は、「殿、利息でござる!」として映画化されました。舞台は、江戸時代の仙台藩。重税に苦しみ、住民たちの夜逃げが相次ぐことに危機感を覚えた人々が町の復興を考えます。
とった手段は、重税を取り立てる藩へお金を貸して利息をとること。作り話だろうと思いきや、これは実話です。磯田道史のところに、「自分の町にはこんな話が伝わっている。ぜひ本に書いて後世に伝えて欲しい」という手紙が届いたのが、執筆のきっかけとなりました。江戸時代の庶民たちがどう知恵をしぼって生き抜いたかを垣間見ることができます。
次は、「歴史の愉しみ方 -忍者・合戦・幕末史に学ぶ」(2012年)。本書では、埋もれた古文書を日本全国で次々と発掘し、忍者の子孫を訪ね、関ヶ原合戦を現代において感じる方法を提案し、古文書から幕末の姿をあらためて描き出すといった磯田道史の仕事ぶりが見られます。「歴史なんて、なんで学ばなきゃいけないの?」と感じる人も、新しい歴史の見方や、その意義を追体験できます。
最後に、代表作でもある「武士の家計簿『加賀藩御算用者』の幕末維新」(2003年)です。武士というと刀を持って練り歩いている印象が強いものですが、この作品で描かれているのは、職場で黙々と計算を続けるサラリーマンとしての武士の姿。類いまれな算盤の才能を見せる主人公ですが、あることをきっかけに、一家は大変な貧乏状態に陥ってしまいます。数字を手がかりに事件の真相を読み解いていく姿、貧乏状態を一家で力を合わせて乗り越えていく姿は、それまでの武士のイメージを一変させました。
磯田道史の原作映画「武士の家計簿」あらすじネタバレ!
磯田道史の著した「武士の家計簿『加賀藩御算用者』の幕末維新」が原作となっている映画「武士の家計簿」は、加賀藩の御算用者である猪山家の物語。加賀藩の財政に関わる仕事で、日々算盤を弾いています。幕末は、命をかけた躍動感のあるドラマとして描かれることが多いです。しかし、「武士の家計簿」は、算盤1つで生き抜いた猪山家の視点でこの時代を描きます。
物語の主人公は、8代目の直之(堺雅人)。7代目の信之(中村雅俊)の時に出世し、息子の直之も御算用者となったことで、現代でいえば年収1000万円超ほどの収入を得ていました。お駒(仲間由紀恵)を妻に迎え、息子の直吉が生まれます。「算盤バカ」と呼ばれるほど生真面目な仕事ぶりを続けていた直之。その生活が一変したのは、飢饉に苦しむ農民たちの訴えからでした。
それは、農民たちに渡されるべき「お救い米」の量と、実際に農民たちに渡されている米の量が違うもの。帳簿を調べた直之は、お救い米に手をつけ私腹を肥やしている役人の存在に気づきます。直之がその不正を上司に報告しますが、上司は「触らぬ神に祟りなし」として取り合ってはくれませんでした…。
現在社会でもはびこるわいろ問題。身分の違いが大きかった江戸時代では、泣き寝入りをする人も多かったでしょうね。
磯田道史の研究生活を「情熱大陸」で紹介!「専門バカ」の価値を再認識
歴史に名を残す華々しい重要人物たちばかりでなく、生活者にもスポットライトを当てるという独自の視点を持つ磯田道史の姿は、「平成の司馬遼太郎」とも言われています。そんな磯田道史が、「情熱大陸」に登場したのは、2017年1月22日。磯田道史が最近力を入れているのは、戦国時代の大名にとって欠かせない存在である忍者の研究です。番組は、伊賀忍者の末裔である老舗の和菓子屋へ赴いて古文書を見つめる磯田道史の仕事ぶりや、研究室の様子を紹介しました。
テレビや一般大衆向けの講演、新聞でのコラムなどを多く手がけていると、「本業である研究と学会での発表はどうした」と批判されるのが学者の世界の常。しかし磯田道史は、テレビでも、映画でも、何であっても、すべてが直接的・間接的に研究に関わってくることを知っており、研究のためにはそれらも用いるという姿勢を崩しません。そうして得られた磯田道史の知識の広さと深さは多くの歴史ファンを魅了し、それまで歴史に興味のなかった人々にも歴史を知ることの魅力を伝えています。
ともすれば「落第」というラベルを貼られかねない子供時代。興味のないことは完全にスルーする磯田道史は、小学校低学年の第一関門である九九ですら、はじめはスルーしていたそうです。しかし、興味をもったことをどこまでも追いかけていく姿、どんなに細かいことでも覚えているその記憶力には目を見張るものがあります。これぞまさに、現在の日本で中心となっている受験勉強本位の学習態勢とはなかなか相容れない、「歴史バカ」磯田道史スタイルです。
しかし、ひいては、それが日本の歴史を紐解き、日本の未来のために提言できる人間を生み出していくのでしょう。「専門バカ」の弊害が叫ばれ、学際の重要性が強調される昨今では、「なんでもそこそこ知っている」ことも重要です。しかし、本当に深く、意義ある研究を実現するためには、やはり「専門バカ」という部分が少なからず必要なのではないかとも感じられます。