北別府学は213勝の成績を挙げた大エース!コントロールの完璧さはまさに精密機械
北別府学は無名の存在から213勝の成績を挙げて大エースへ!背番号が永久欠番にならない理由は?
北別府学(きたべっぷまなぶ)は、1980年代の広島カープ黄金投手陣の中でもエース中のエースでした。「投げる精密機械」との異名を取った絶妙かつ精緻なコントロールは今でも語り草となっており、20世紀最後の200勝投手でもあります。
そんな北別府学の通算成績は、515試合に登板して、213勝141敗5セーブ、防御率3.67。3113回を投げ、先発577試合中135完投、28完封、36無四球試合、1757奪三振です。獲得タイトルは、最多勝利が2回で、最優秀防御率は1回、最高勝率3回を記録し、MVP1回、沢村賞2回を記録しています。宮崎県立都城農業高校は、1年生からエースとして活躍しながら、甲子園出場に恵まれず、全国的には無名の存在でした。
しかし、1975年に行われたドラフト会議で、その素材に着目した広島カープから1位指名されてプロ入りを決めます。2年目の1977年から先発ローテーション定着を果たした北別府学は、3年目に初の10勝をマーク。以降、流麗なフォームからの絶妙なコントロールを武器に、広島カープの黄金時代を代表する存在となりました。
1992年には、球団史上初の200勝に到達。1994年に現役引退するまでの現役生活19年で、13回の2桁勝利を挙げ(うち11年連続)、開幕投手を9回務め上げました。2001年から4年間は広島カープのコーチを務め、現在は野球解説者やタレントとして活動中です。2012年1月には野球殿堂入りも果たした北別府学ですが、それほどの偉大な成績を残しながら、現役時代の背番号「20」は永久欠番になっていません。
考えてみれば、これはとても不思議な話です。現在の広島カープの永久欠番は、衣笠祥雄(3)、山本浩二(8)、黒田博樹(15)の3名のみ。200勝を挙げた北別府学の貢献度は非常に高く、先の3名と比べても見劣りするものではないと言えます。本人も「背番号を永久欠番にしてもらいたかったことは事実」と言及していますが、球団は選定の基準について明言しておらず、理由は不明なままとなっています。
北別府学のコントロールの完璧さはまさに精密機械!「筋肉番付」ストラックアウトでパーフェクト達成
北別府学の現役時代を語る上で、その完璧なコントロールについて語らないわけにはいきません。ストレートの威力や変化球のキレこそ傑出したものではありませんでしたが、それらをカバーしてあまりあるコントロールの完璧さから「精密機械」や「針の穴を通すコントロール」と称えられています。
北別府学の完璧なコントロールについては数々のエピソードが残されており、現役引退後の広島コーチ時代には、TBS系「筋肉番付」の名物企画「ストラックアウト」でパネルをすべて倒すパーフェクトを演じました。パーフェクトとは、現役ピッチャーですら達成がなかなか困難な代物です。
それにもかかわらず、現役を引退していながら、コントロールの健在さを見せつけたのですから驚かされます。また、ホームベースの三角形地点に置いた3個の空き缶をわずか3球で全て倒してのけたこともある北別府学。「針の穴を通す」という形容は決してオーバーではありません。バッテリーを組んだキャッチャーの達川光男は、「ミットを動かさずに捕球できた」と証言しており、本人も「フォアボールを出すんじゃないかと不安になったことは一度もない」と豪語しています。
しかし、絶対的な自信を持つコントロールの精緻さからか、現役時代は審判の判定にクレームをつける場面も多く見られ、判定に納得できない場合は全く同じ球を同じコースに連投して球審を試すことも。セ・リーグの審判が「他の投手が先発した試合に比べ、北別府の試合は倍以上に疲れた」と漏らしたほどでした。「審判とも『このヘタクソが!』と戦っていましたよ」と語っている通り、コントロールにおいて揺るぎのない自信を持っていたことが分かります。
北別府学の娘は医者、息子2人の現在は?的確で厳しい野球解説は通好み
北別府学の娘は医者?長男は社会人で次男は自分探しの旅へ?
北別府学は、娘1人と2人の息子の子供3人をもうけていますが、時おり話題になるのが娘についてです。2007年に出版した自伝「それでも逃げない―二十世紀最後の200勝投手」の中で、北別府学は、娘が医学生であることを明かしていました。娘が医者を目指すことには反対したという北別府学ですが、娘は自分の意志を貫き通して医者になったそうです。ブログによると、その娘は2013年に結婚しています。
また、2人いる北別府学の息子のうち、長男は、明治大学を卒業して就職して社会人として過ごしている様子です。就職後の初任給で、両親にネクタイとネックレスをそれぞれプレゼントしてくれたと明かしています。次男は、一風変わっており、自分探しの旅に出ているとのことでした。
お見合いを経て知り合った北別府学夫人は元ミス日本でもある、とてもきれいな女性です。1982年のシーズン前に「今年20勝を挙げたら結婚しよう」とプロポーズし、その言葉通りに20勝をマーク。念願かなって結婚に漕ぎつけました。
北別府学のブログやツイッターが人気!的確で厳しい野球解説は通好み
現役時代の常に険しい表情が印象的な北別府学ですが、現在はうって変わってブログやツイッターで日常生活を楽しげに語っています。その人気は、ブロガーとして、現役選手の中に混ざって20位以内にランキングされるほど。常に近寄りがたい雰囲気を漂わせていた現役時代からすると、絵文字まで駆使する文章はまるで別人のもののようにも感じられます。
寡黙でストイックな現役時代を知るファンからすると、ブログでまめに情報発信するなど「実は楽しい人だった」というギャップもまたたまらなく魅力なのでしょう。本人曰く「現役時代よりファンレターが増えたような気がする」とか。家庭菜園にハマって、自宅の庭で野菜やかんきつ類などさまざまな作物を育てることに精を出していることから、「農業ブロガー」とも呼ばれるそうです。
とはいえ、本職の野球解説となるとまるで別人の北別府学。特にピッチャー心理に精通し、200勝投手の貫録で的確かつ厳しい解説ぶりを見せてくれます。時にはピッチングコーチ目線で語ることもある北別府学の解説は、まさに野球通好みと言えるでしょう。
北別府学が野村沙知代の訃報に「圧倒されるような存在感」と回顧
北別府学が、「悼む」というタイトルでオフィシャルブログを更新しました。「悼む」相手とは、元ヤクルト監督の野村克也を長年支えた「サッチー」こと野村沙知代です。夫のマネジメントを務めるかたわらでマスコミへの露出も多く、激辛コメントを連発して「ご意見番」として強烈な個性を発揮していた野村沙知代。おしどり夫婦として二人三脚で歩んできたその波乱万丈の人生にとうとう終止符が打たれました。
北別府学は、「何度かお目にかかり、それはそれは圧倒されるような存在感でした」と在りし日の彼女を偲んでいます。現役時代からコーチ時代までを通じて広島カープ一筋だった北別府学は、野村克也のもとでプレーすることはなかったものの、野村沙知代とは年賀状もやり取りする間柄だったようです。ブログでは、野村沙知代の年賀状について「驚くような達筆でした」と触れ、「心よりお悔やみを申し上げます」と締めくくっています。
現在は、野球解説のかたわら、ブログで近況報告するなどファンとの交流に力を注いでいる北別府学。「野球のことで頭がいっぱいでファンサービスに頭が回らなかった」と語った現役時代とは打って変わり、農業にいそしむなど、人間としての引き出しが増えてきているように感じられます。野球人として、第2の人生でこれほどまでに劇的な変化を見せた例はごくまれなのではないでしょうか。